魔力なしのニナ・アルエ
魔力は誰もが持つものだと言われていた。量の違いはあれど、必ず人体に宿っていると。それを操り、別のものに変化させて体外へ発する行為を”魔術”と呼ぶのだ。
学校ではその術を学ぶ授業が設けられていたけれど、魔力はあってもその絶対量があまりに少ないために術を発動できない者は一定数いた。
私がそちら側の人間ですらないことに気付いたのは、その授業が始まった初日のことだ。体にめぐる熱のようなものを手のひらに集め、それを火だの水だのに変えて放出する、という説明を受けても、ちんぷんかんぷんだったことをよく覚えている。
だって、体内をめぐる熱のようなものなんて、私には全く感じられなかったから。
術を発動できない子はクラスの半分はいたけれど、それでも体の中で何かをちゃんと動かすことはできていたようで、しばらくはその不思議な感覚についての話題で教室内は持ちきりだった。
ショックだった。学校へ行って使い方を学べば自然とできるようになるんだと思っていたのに、私の特異な体質は私の期待を見事に裏切ってしまった。術を発動できないどころの話ではない、私は魔力のうごめきについて話の花を咲かせているクラスメイトの輪に加わることすらできないのだ。
私が教師を目指すようになったのは、私と同じ苦悩を抱える子を救いたいという思いからだった。魔力がゼロでも、道はある。劣等感に苛まれることも、誰かの引き立て役に成り下がる必要もないことを教えたい。
魔力を全く持たない私だからこそできる、私なりの教育というものを確立したかった。
――大丈夫だよ、僕がついてる
まどろみの中、懐かしい声が聞こえる。
――安心して。全部、僕が引き受けるから
揺らめく金の髪がチラチラと光を反射している。私はその眩しさに顔をしかめながら、それでも目を離せないでいた。
――お願い、置いて行かないで
一人にはしない、そう伝えたいけれど、口が動かせない。声の出し方もよく分からない。
――行かないで、一人にしないで……
ああ、そうだ。これは……私があの時言った言葉だ。
星が今にも降ってきそうなほど晴れ渡った夜、眠った振りをした私を置いて家を出て行ったのは……。
――ごめん。本当にごめんよ……ニネット
「――フィリップ……!」
「誰のことだ、それは」
自分の叫び声に驚き、そしてそれに対する返答があったことに更に驚きながらも、何とか視界と思考回路を動かしてここが自分の部屋であることを認識する。
「良かった……目が覚めたんだね」
手を握り、私を覗き込んだのはリュカだ。その顔は真っ赤で、いつもは綺麗な二重のまぶたはすっかり腫れあがってしまっていた。
「リュカ……ごめん、私」
「ニナが謝ることない。無事ならそれでいいから」
リュカらしくない、私の心に寄り添った労りの言葉に戸惑いつつも、やっぱりそういう気持ちを向けてくれるのは素直に嬉しくて、私はそっとリュカの髪を撫でて微笑んだ。
「心配しなくても、それだけ大きな声が出せるならもう大丈夫だ。何日かすれば自力で歩けるようになるだろうし、熱もすぐ下がる」
「……」
私たちが絆を深めているところを邪魔する無粋な輩の正体を確かめるべく、声がした方へと顔を向けると、フレイヴァ様がリュカの勉強机の前に座って読書をしている姿が目に入った。
正直、この人のせいでひどい目にあったからあまりいい印象は抱けない。でも私を回復させるために手を尽くしてくれたのは確かだし、そのお礼ぐらいはきちんとしておかなければ。
「あの……ありがとう、ございます」
掠れる声で何とかそう伝える。フレイヴァ様はちらりとこちら見やってから、小さく首を横に振った。
「礼ならリュカにも言ってやれ。君の余剰魔力をすべて受け入れてくれたんだ」
「え……」
「君は一時、心肺停止状態に陥ったんだよ。蘇生処置を施してすぐに回復はしたが……」
客間のソファに寝かされて、フレイヴァ様に何か声を掛けられながら手を握られたところで記憶が途切れているのはそのせいらしい。
でも、なぜリュカが私の余剰魔力を……?
「生理活動が著しく低下している中での魔力排出は体への負担が大きく、それこそ命の危険性は通常時に比べてぐんと跳ね上がる。しかしあのまま魔力の影響を受け続ければまた同じ状況が繰り返されてしまうから、強硬手段をとるしかなくてね」
外的刺激による魔力の排出は、血のつながりのある者が行なえば安全性・安定性共に格段に増すらしい。そこで、甥であるリュカに白羽の矢が立ったというわけだ。フレイヴァ様が”強硬手段”と表現したのは、たぶん魔術を習い始めて間もない子どもに重大な作業をさせたからだろう。
「それにしても、リュカは素晴らしい才能の持ち主だな。君とは全くの正反対と言うべきか」
フレイヴァ様は本を閉じ、感心したような視線をリュカへと投げかけながらそう言った。私はなぜかその目に不快感に似た感情を覚え、リュカの手をそっと自分の方へと引き寄せた。
「俺の補助があったとはいえ排出作業をこんなにスムーズにやってのけるとは、正直思ってもみなかったよ。細やかな制御が苦手なようだが、たぶんそれは魔力量が多いせいだろうな。学校での魔力測定の結果はどうだったんだ?」
「……この国では魔力量の測定を行なう人はほとんどいませんよ。特別な仕事に就くなどの理由があれば別ですが」
そう答えた時、フレイヴァ様が一瞬動揺したような表情を浮かべたのを、私は見逃さなかった。
フランメル王国では当たり前のことをご存じない様子だし、たぶんフレイヴァ様は外国からいらした方なんだろう。そしてその祖国というのが私の思っている所だとすれば、”フレイヴァ”という名前はやっぱり……。
「ああ……そう、だったな。しかしこの年齢でそれなりの量を抱えているとなると、負担も大きいに違いない。他の子が普通にできることがままならない、リュカにそういった面はなかったか?」
尋ねられ、思わず目を逸らす。
「思い当たる節があるんだな。まあ、安心しろ。制御のコツは教えたし、ちゃんとものにできるよう今後も指導は続けていく」
「えっ、あの、指導って……ちょっと待ってください。何のお話をなさっているんですか?」
「俺にリュカを預けてみないか」
いきなりの、しかも理解しがたい申し出に、私はぽかんと口を開けてフレイヴァ様を見上げた。
「この子は本当に凄い力の持ち主だ。このまま他のやつらと一緒に学校で指導を受けているだけでは才能の欠片も発揮できないだろう。だが俺なら」
「……」
「バルジーナ皇国の魔術士を超える人材に仕上げることができる」
フレイヴァ様の口からその国名が出てきた瞬間、私の中でずっと揺蕩っていたとある懸念――彼がバルジーナ皇国を追放された罪人なのではないかという疑惑は、確信へと変わった。
バルジーナ皇国というのは、フランメル王国と今のところ中立関係にある隣国だ。フランメル王国とは逆側に位置する国境にはなだらかな稜線が続くコルピナ山脈があり、その向こうはどの国も統治を拒んだ”空白地”と呼ばれる魔獣の生息地が広がっている。バルジーナ皇国は、コルピナ山脈を越えて皇国内に侵入する魔獣の爪牙を食い止めるために魔術士の大兵団を擁していて、近隣国でこの兵団に敵う軍を持つ国はないと言われていた。
「リュカの才能を買って頂けるなんて本当に光栄です。そんな風にこの子を高く評価してくれる人は今までいなかったから……正直、とても嬉しいです」
本心を悟られないようなるべく抑揚のない声音でそう言いながら、体をゆっくりと起こす。フレイヴァ様の誉め言葉を受け、まつげを伏せて恥ずかしそうにしているリュカの頭をそっと撫でてから、再びフレイヴァ様に少し厳しい視線を向けた。
「ですが、リュカはまだ子どもです。幼い内から厳しい訓練を施すことに有用性があるのは分かりますが、保護者としては賛同いたしかねます」
「皇国の魔術士育成カリキュラムの事を言っているのなら、心配しなくていい。あそこの訓練校が厳しいのは、軍隊という組織内での振る舞い方を叩き込んでいるからだ。無意味な規律なんて教える気はないし、理不尽な上下関係を強要するつもりはない」
これだけ熱心に言ってくれている様子から、フレイヴァ様の本気具合はよく分かる。それでも私は素直に首を縦に振れず、黙って自分の手元に視線を落とした。
バルジーナ皇国がまだ他国を侵略していて領土を広げていた時代、国に多大な損害を与えた罪人を罰するために”根”という刑が設けられていた。生きたまま木の根元に埋められるという非人道的なそれは、現在は執り行われてはいないけれど、代わりにその刑罰の名称を姓として強制的に名乗らされ、国を追い出されるという追放刑があるらしい。
それが、フレイヴァ(根)の刑。フレイヴァ様は、バルジーナ皇国を追い出された罪人なのだ。
ギヨーム様は頭はおかし……いや、ちょっと変わり者でいらっしゃるけれど、人を見る目はある。フレイヴァ様をご客人として招いたのは、危険性はないと判断なさったからだ。とても楽しくくつろいだ時間を過ごされたようだし、ギヨーム様が睨んだ通りこの人は本来悪いお方ではないのだろう。
それでも刑に処されているのは事実で、人間性の善し悪しだけでは測れない何かがフレイヴァ様を貶めた、つまり無実の罪を押し付けられたというのであったとしても、この方に関わればトラブルに巻き込まれる可能性が少なからずあるということだ。
どちらにせよ、これは安易に受け入れていいお申し出ではない。
「その……先ほど申し上げた通り、リュカを評価してくださっていることは嬉しいです。しかし才能があるというだけの理由で特別な指導を受けさせるのは気が進みません。本人の意向がまだはっきりとしない中ですし、大人の都合がこの子の行く末を望まない方向へ決めてしまう結果になるのではないかと」
「リュカの気持ちがあればいい、ということか?」
「自分の意志で魔術士の道を目指すのと言うなら、もちろん全力で応援したいと思っています。ですが……」
「それ、ホント?」
それまで静かに私たちのやり取りを見守っていたリュカが、突然パッと顔を上げて私を見つめた。
「えっ……うん、そりゃまあ。でも」
「だったら僕、キアンのところで勉強したい」
「はっ!?」
「その、僕……魔術士になりたい、ちゃんと目指したいんだ」
「……!」
私が瞠目して言葉を失ったのは、いつの間に名前を呼び合う仲になったんだとか、いやいやギヨーム様のご客人に対して馴れ馴れしくするのはとか、そんな礼儀のなっていないところを咎めてのことではない。
リュカが、夢を叶えたいと言っている。”なりたい職業について調べて報告する”という作文のテストを今日、白紙で持って帰ってきたリュカが、これまではっきりとした意志を持って将来の希望を示したことがない、リュカが……。
「学校ではみんな僕を落ちこぼれだって言ってる。でもキアンは、そうじゃないって教えてくれた。僕には、みんなより優れたものがあるって」
「――……」
「それだけじゃないよ、キアンの言う通りに魔力の制御をしたら、今までごちゃごちゃしてうるさかった頭の中がすごくスッキリしたんだ。まだまだ下手くそだって言われたけどさ、でも、キアンは僕に必要なものをちゃんと教えてくれるから、きっとすぐに上手になるよ」
リュカの表情は、その”スッキリ”という言葉通りにとても晴れやかだった。
こんなに瞳をキラキラさせて、言葉をたくさん使って、自分の思いを一生懸命伝えてくれるリュカの姿に思わずこみ上げるものを感じた私は、誤魔化すようにリュカをぎゅっと抱きしめた。
「うん……そっか、分かった」
「……考えてくれる?」
「もちろん! でも今すぐはダメだよ。フレイヴァ様とじっくり話し合う必要があるからね」
そうは言うものの、さっきまでのフレイヴァ様への不信感はどこへやら、すぐにでも手放しでオッケーを出してあげたい気持ちでいっぱいだ。でも現実的な部分も踏まえて先を見据えておかなければ、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。リュカを守るためにも、フレイヴァ様に全て丸投げでお任せするわけにはいかないのだ。
「……そうだ。リュカ、今から本館に行ってきてくれる? ミスター・ラスペードに、私が目を覚ましたことを伝えてきてほしいんだ」
あふれる思いが零れないように努めて明るい口調でそう言うと、リュカはまた小さくうなずき、立ち上がった。
「キアンとのお話、決まったらちゃんと聞かせてね」
「分かってるよ。リュカもちゃんとミスター・ラスペードに伝えてよ?」
「分かってるよ」
同じ言葉でのやり取りに可笑しさがこみ上げて、私たちは顔を見合わせて笑った。
部屋を出ていくリュカの背中を見送りながら、そっと目の端に滲んだものを拭う。そしてフレイヴァ様の方へ体ごと向き直り、一つ息を吐き出して気持ちを整えた。
「……なぜ快諾してやらないんだ。夢を応援すると言っていたのに」
目が合った瞬間、ひどく不満気に、そして理解しがたいという思いを前面に押し出したような表情でそう言いながら、フレイヴァ様は足と腕を組んでこちらをじっと見据えた。
「リュカは私の大事な家族です。お預けするなら信用できる人かどうかを見極めたいと思っているのです」
「俺は、信頼に値しない人間だということか?」
”フレイヴァ”という姓が罪人を表すという他国の事情なんて、一般的な義務教育しか受けていない平民が知るところではない。もしこの知識をひけらかしてしまえば私が特別な教育を受けたことが分かってしまうし、そこから出自がバレてしまわないとも限らない。
信用できないのにはちゃんとした理由がある、という言葉が口から零れそうになるのを寸でのところで飲み込んだ私は、遠慮がちに小さくうなずいて応えた。
「どうかご容赦ください。何度も申し上げております通り、あの子は私にとってたった一人の家族なのです。もしものことがあったらと考えるだけで……」
そこで言葉を切り、わざとらしく唇を噛みしめる。
そこまで疑う理由を聞かせろ、なんて突っ込まれるといろいろ厄介なので、子どもを心配するあまり、まだ起きてもいない不幸を嘆くやや愛情過多気味の母親を演出したのだけれど。
「もしものこと? それは具体的にどういうことだ?」
「へっ……? ぐ、具体的に、でございますか?」
「それがなければ君も安心できるんだろ。だったら教えてくれ、俺が何をしなければいいのか、どう振る舞えば君からの信頼を得られるのか」
「ああ……ええと、そう、ですね……」
「いや待て、まだ言うな。口伝えでは忘れてしまうから何か書くものを……」
面倒を避けるつもりで立ち回ったのに、逆に面倒を引き寄せてしまった気がする……。
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