運命の歯車 4
客間に到着するや否や、ギヨーム様に、娘の未来のために何も聞かず黙って従ってほしいと頼みこまれ、その勢いに押された私は思わずうなずいてしまった。室内に控えていたラスペードには拒否権はあるとやんわり止められたけれど、ギヨーム様はエレーヌ様の未来がかかっていると仰ったし、断る理由なんてない、そう考えていたんだけれど。
「あ、あのぅ……」
何をされるのか全く分からない状態っていうのは、思っていたよりも怖い。私は、私の頭に謎の機械を取り付ける、という作業をしている短髪コワモテの男性に声を掛けてみた。
「すみません、あの、この装置は一体」
「余計なこと考えるなよ。ブレちまうだろ」
一体何がブレちまうというのか、その辺りも含めた詳しいご説明を賜りたかった。でも鋭い眼光でそう凄まれてはこれ以上二の句は継げない。
仕方なく私は謝罪の言葉を小さく吐き出し、それ以降は口を噤むことにした。
「背水の陣とは正に、この状況のことを言うんだなあ。勝算はあったんだけど……うーん、どうしたものか」
そう言って少し長めのブラウンヘアをかきむしるのは、ギヨーム様だ。ひどく悔しそうな態度を取っていらっしゃるけれど、口調や表情はご機嫌そのものと言っていい。顔が紅潮し、呂律が回っていないご様子から、すっかり出来上がってしまっているのは明白だった。
「どれだけ人員をかき集めてもこちらの勝利は揺らぎませんよ、ブランモワ卿」
不敵に微笑むその男性はギヨーム様が招いたご客人で、キアン・フレイヴァというお名前らしい。いわゆる美男のお手本みたいなお顔立ちに、ややクセのある黒髪と明るいヘーゼルの瞳が神秘的な雰囲気を醸し出していて、たぶん世の女性たちは放っておかないだろうと思った。
見た目は理知的で麗しいけれど、マノンが言った変人というのはこのお方で間違いないだろう。そして彼と結婚すれば不幸が待っているという言葉があながち間違いではないかもしれないということは、”フレイヴァ”という姓を聞いてすぐに感じたことだった。
「足掻くのはやめて、潔く負けを認めてはどうですか」
「いやいや、簡単に諦めるわけにはいかないよ。娘は金髪の男と結婚させるって決めてるんでね」
「それは残念。どうやら卿の望みは叶えられないようだ」
「見ていなさい。こういうのはね、最後の最後に大逆転をカマすのがカッコいいんだから!」
ギヨーム様がこうして客人として迎え入れていらっしゃるのだから、大丈夫なお方なんだろうと思いたい。でも、いわくつきかもしれない相手との結婚を、当の本人であるエレーヌ様がご不在の中、賭けの勝ち負けで決めるなんてどうかしているとしか言いようがない。
貴族の結婚において当人同士の感情が全く考慮されないのはよくあることだけれど、それは互いの家、領地の繁栄のためという大義があるからだ。賭けの道具に使うのは言語道断で、たとえギヨーム様がこの賭けを自らの享楽のために持ち掛ける、もしくは受け入れたのだとしても、家にとって何の利益にもならない愚行を家令であるラスペードがまず許さない。
こんな馬鹿げたお戯れを、咎めることなくただ見守っているのはなぜなの?もしかして、私には考えの及ばないような密かな思惑があったりする?
そんな疑問をぶつけるべく、ギヨーム様の斜め後ろに控えるラスペードの方へと視線をやる。私の洞察が正しいとして、その思惑とやらの通りに事を運ぶにはどう身を振ればいいのかを確認したかったのだけれど。
(何も……分からない……)
ラスペードはまるで彫刻みたいな無表情のまま、びっくりするくらい美しい姿勢を保っていた。ただまっすぐ前を見据えていて、こちらを気に掛ける仕草は全く見られない。
そんなラスペードの様子を鑑みて、私は考えを改めた。わざと負けてエレーヌ様とフレイヴァ様の婚約を成立させる目論見がある、なんて読みを繰り広げていたのだけれど、それはちょっとひねくれすぎていたかもしれない。だいたい賭けなんて勝つことが目的なのだから、とりあえず勝っときゃこちらの要望はいい形で通るはずだ。
そう、とりあえず勝とう。たとえ私が間違った振る舞いをしたとしても、ラスペードがどうにかしてくれる。だから大丈夫、ブランモワ家の存続を危ぶめる何某なんて起こらないに決まっている。
「それにしても、いいねぇ……この後がないギリギリな感じ! 手に汗握る緊張感を覚えたのなんて、何年ぶりくらいだろう」
「負ければ手痛い損失になるが、勝てばバラ色の人生が待っている。こんな刺激的な夜を過ごしたのは、卿と同様、私も久しぶりのことです」
待って待って、なにその不穏な会話。やっぱり結果次第ではブランモワ家転覆の可能性は無きにしも非ずかもしれない……。
「設置完了。すぐおっぱじめようぜ」
短髪の男性の一言で、空気がピリッと張りつめる。それに伴って私の恐怖心は、エレーヌ様を心配する気持ちを彼方におしやってしまうほど一気に膨らんだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 頭が爆発したりしませんか!?」
「おい、余計なこと喋るなよ。誤差が出ちまうだろ」
「いや、でも、だって! 私まだ死にたくないんですよ!」
「だから黙れって――おい、アレックス!」
苛ついたように頭をかきむしりながら、その人はフレイヴァ様の隣に座っている、長髪で細身の男性に向かって声を掛けた。
「ちょっとこいつの口、封じてくれよ。うるさくってかなわねえ」
「やってもいいけど……私の魔力が干渉することになるよ。それこそ誤差が出るんじゃない?」
「あーそれもそうか。じゃあ仕方ない、やっぱり物理で口を塞ぐしか」
「ヒッ!」
口元に布切れを押し当てられ、声にならない叫び声を上げる。そのまま、ぐいぐいと乱暴に口内に突っ込まれそうになったけれど、
「カルロ、うちの使用人にあまり手荒な真似はしないでくれるか。エレーヌのお気に入りの子だし、傷でも付けられたら娘に合わせる顔がなくなってしまうよ」
ギヨーム様の助け船が入り、強制的に口を塞がれることは免れた。チラリとそちらに目を向けると、親指をたててウインクを投げかけられ、殺意に近い邪悪な感情が毛穴から吹き出すのを感じた。
死の恐怖を覚えている身としては、そういう助けてやったぜ的なお茶目なアピールすら腹が立って仕方ない。でもエレーヌ様の幸せとブランモワ家の歴史と繁栄を守るため、そして……今月のお給金を倍にしてもらうというちょっとしたオプションを現実のものにするためには大人しく従うしかない。
「じゃ、起動するぞ。……絶対喋んなよ」
顔を近づけて凄まれる。喋れば命がないと思え的な何かである可能性は否めないから、この忠告には大人しく従うことにして、恐怖で満足に動かない首をわずかに揺らしてうなずいて見せた。
「私の質問には、すべて”はい”と答えてほしい。それ以外の発言は厳禁だ」
いつの間にか私の背後に立っていたフレイヴァ様に耳元でそう囁かれ、自分の意志とは関係なく体がびくりと撥ねた。
「それから、聞かれたことはちゃんと頭で考えること。合っているか間違っているか、一度脳内で事実を確認してから答えるんだ。分かったかな?」
「は、はいぃ……」
「物分かりが良くて助かる。それでは、始めようか」
◇
私に取り付けられた機械は”うそ発見器”というもので、人が持つ魔力のわずかな揺らぎを読み取って、その者が嘘をついているか否かを暴き出すというシステムなのだということを、事後になって知らされた。
「ニナ、どうだった? 感想聞かせてよ!」
「そう、ですね……。私いまものすごく汚い言葉を口にしてしまいそうなのですが、その辺はお許し下さるのでしょうか」
「やめておきなさい、ニナ。旦那様も追い打ちをかける真似はなさらぬように」
精神的にも肉体的にも疲れ切って立っているのがやっとの私を支えながら、ラスペードがぴしゃりと言い放った。
「全く、こんなにまでなって……。だから言ったんだ、拒否はできると」
「これくらいのこと、何でもありません。ブランモワ家のためですから」
「……その心情だけで動いてくれたのなら、素直に褒めてやれたんだがな」
眼鏡の奥で、ラスペードの青い瞳が冷たく光る。彼はどうやら、私が例のオプションの方に食いついてこんな茶番に付き合ったのだと勘違いしているらしい。卑しい人間だと思われるのも嫌だし、ここはちゃんと訂正しておくべきだと判断した私は、控えめな笑みを浮かべて首を横に振った。
「分かっています、私の行動が褒められたものではないことくらい。でも私はこの家にお仕えする身、主人のご期待に沿うためなら」
「旦那様がご提示した金額を下げられたくなければ、その口を噤んでおきなさい」
「はい」
間髪入れずの返答をした私に、ラスペードは呆れたような笑みを返した。
「賭けは私の勝ちってことでいいよね、キアン?」
そんなやり取りをしていた私たちの横で、ほくそ笑む、という表現がしっくりくる表情を浮かべたギヨーム様が、目の前で腕を組むフレイヴァ様をじっと見据えていた。
「まさかこんな特殊な人間がいるとは……正直、予想だにしておりませんでした」
特殊な人間というのはつまり、魔力を全く持たない人間ということだ。あの装置は魔力に反応するものなので、それが皆無なのであれば動作するはずもない。
結局フレイヴァ様御一行は、私がどれに嘘の返答をしたかを見抜くことができなかった。
「まあそうだろうねぇ。残念だけど、ああ、私はちっとも残念じゃないけど、娘のことは諦めて。それより、そろそろ本題の商談に入りたいんだけど」
ギヨーム様のその言葉を合図に、室内にいた使用人たちが部屋を出ていく。私もラスペードに支えられながら、その後に続こうとした。
「いや、その前に……ミスター・ラスペード、少しお待ちを」
不意にフレイヴァ様に声を掛けられ、私も一緒に立ち止まって振り返る。
「彼女は置いて行って頂きたい。少し用がある」
彼女、というのは私のことだろうか。とりあえず辺りを見渡すけれど、この部屋には私以外、女性はいないようだ。
ギヨーム様の体面を保つためにも、できればご客人のご要望には応じたい。でも激しい頭痛と吐き気がさっきよりもひどくなってきているから、たぶんお応えしたところで大した振る舞いはできそうにない。そう思って、チラリとラスペードの方へ視線を送った。
「このような状態の者に一体何のご用があると仰るのです? 今夜はもう、休ませてやっては頂けませんか」
「放っておけば、取り返しのつかないことになるかもしれないぞ」
ラスペードの有難い助け舟に感謝したのも束の間、フレイヴァ様が不吉なことを言い放った。その強い口調と言葉に、私だけでなくラスペードとギヨーム様も顔色を変えてフレイヴァ様を見つめた。
「ニナと言ったな。君、魔術の授業を受けたことはあるのか?」
「……最初の1回だけでしたら」
「”選別”で振るい落とされたか。では、体内の魔力を感じることは」
一瞬ためらってから、首を横に振る。するとフレイヴァ様は厳しい表情を浮かべ、やはり、と小さく呟いた。
「キアン、どういうこと? ニナは一体」
「自分の許容量以上の魔力が流入した場合、何もしなくても自然と体外へ排出されるのはご存じでしょう。だが魔力を持たない彼女にはそもそもそういった器官が存在しないか、あったとしてもほとんど機能しないかもしれないのです」
「じゃあ……ニナの体内にある余剰魔力はどうなるんだ」
「彼女にとって魔力は毒のようなものです。このままにしておけば命に関わる重大な悪影響を与えかねない。すぐにでも外的刺激を与えて排出させた方がいいでしょう」
ラスペードと、ギヨーム様の視線がこちらに集中する。ラスペードはともかく、ギヨーム様の方はさっきまでの浮かれた気分がすっかり消し飛んでいらっしゃるご様子だ。そのお顔つきのあまりの落差に、もし今いつも通りの体調であったなら私は盛大に吹き出していただろうとぼんやり思った。
「あの、排出って……今度は一体何を体に取り付けられるのでしょうか」
気を取り直して、そう尋ねてみる。選択肢なんてあってないようなもの、返す答えは当然決まっているとは言え、さっきのように何も知らされないままで恐ろしい思いをさせられるのはご免こうむりたい。そう思って全力で警戒する私にフレイヴァ様は、何も、と言った。
「機械は使わない、人の手だけで行なう。排出先の”器”も、私で事足りるだろう」
人力だけ、と聞いて安堵……はやっぱりできない。でも自分ではどうしようもないことで、背に腹は変えられない。
「……分かりました。それでは、お願いします」
私がそう答えると、フレイヴァ様は黙ったままソファから立ち上がって私の前まで進み出た。
「ニナ、いいのか」
ラスペードが心配そうに尋ねる。これ以外に手の打ちようがない状況でこんな風に尋ねるのは、恐らくラスペードも私と同じくフレイヴァ様のことをいまいち信用できていないからだろう。こんな下っ端のことまでちゃんと案じてくれるなんて、本当に彼は家令の鑑だと思いながら、私は小さく笑ってうなずいた。
「リュカのこと、頼みます」
万が一のことを考えて、ラスペードに私のいちばん大切なものを託す。わずかな迷いを見せることなく望みを受け入れてくれたラスペードに、私は感謝の言葉を返しながら、革手袋に包まれたフレイヴァ様の手を取った。
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