132.馬鹿げたショーはここまでだ。


 地を割って現れる二つの輪郭が、私達を見下ろすように立ち上がった。向かい合ったそれらは丁度、劇場支配人の悪魔の瓶が閉じ込めていた空間を再び閉鎖するように、腕を伸ばして掴み合う。


 その姿は、後ろ脚で立ち上がった巨大な犬。揃ってすっぱりと切り落とされたように首が無く、その断面からビビットオレンジの血を流し出す。互いの脇を埋めるように尾を立ち上げて歪な壁を作り、足元の空間と外界を切り離した。


「ああその通り。私の名である天喰あまじきるいとは魔術師だった父親から、言っちゃいけない意味を込めて付けられているからさ」


 裁が『天をも喰らうとりで』の異様な姿に目を奪われた隙に、尾と拳で騎士を砕いていた私は切り出した。


「まあ安心しろよ。ただの結界だ。名前の通り、悪魔らい故に用意出来る膨大な魔力があってこそ扱える難物だよ。こいつの範囲内で起きたあらゆる魔法と魔術は、その範囲外へ一切の影響を漏らさない。逆も然りだ。こいつの中は、外からの魔術も魔法も受け付けない。劇場支配人の悪魔の瓶とほぼ同じだ。だから、お前が今し方私に向けた脅しは機能しない」


 ぬるいビビットオレンジの血の雨が降り出す中、背後へ向き直る。


 二体の犬が作った影と、急速に地を覆い始めたビビットオレンジの血の雨の間で、鮮血のように赤いドレスを纏った裁が立っている。気味悪く鮮やかな景色に反しその顔色は、血を抜かれたように青い。


 その驚愕に打ちのめされまいと固く結ばれていた口が、おもむろに開いた。


「……まだ手は隠してるやろ思てたけど、まともやないな。自分の娘の名前を魔術名に……。ただ魔法使いを殺す為の、道具にするやなんて」


「父なりの愛情表現らしいぜ。阿部さん曰く」


 本物の雨のように均一に降り始めたビビットオレンジの血の下で、今度こそ肩を竦めて苦笑する。


「父は生前、鉄村の親父さんの援護を受けて戦っていた。でも私が魔術師になった時、同じように援護してくれる腕を持つ魔術師がいるとは限らないだろ? だからその時は、こいつを使って自分ごと魔法使いを閉じ込めて、周りを巻き込まないように戦えって事なんだとさ。それでも勝てる見込みが無い相手に当たった時は、この中に自分の身内を入れて守りなさいって。まあ父が想定していた身内とは、母の事なんだろうけれど。つまり、これが父の遺した魔術の至高であり、魔術師の中でも国一番の腕利きが集う〝不吉なる芸術街〟で、魔法使い殺しにおいて最強と恐れられた天喰とおるの最後の魔術だ。こいつの中でなら、一切の容赦無く戦える。もうお前という、気を遣わなきゃいけない共闘相手もいない」


 『天をも喰らうとりで』の隙間から、頭上を一瞥した。相変わらずアスファルトの棺に覆われているが、棺とその縁から垂れ下がる流れ旗の隙間から、何にも閉ざされていない遠方の空が見える。陽が傾いて来ていた。


「芋虫の夭折の呪いは、今日の日没頃に起きるんだったな」


 視線を裁へ戻して問う。


「お前こそ諦めたらどうなんだ。今なら二度も街を救った英雄として、いよいよ魔術師の追及を逃れられるぜ。劇場支配人の悪魔の悪魔のはらわたも粉々にされて振り出しに戻った今、時間も無いまま私と戦って勝てると思うか? どこまで行っても手数だけで、火力不足の付与の魔法使いエンチャンター


 裁ははっとして空を見上げた。依然棺に覆われている。


 つくづく勘のいい奴だ。


 感心を通り越し、呆れを覚えながら言葉を継ぐ。


「確かに『鎖の雨』は壊されたが、雲が払われ膨大な雨水のみ残されていたように、全壊では無い。つまり、付与の魔法エンチャントを用いたのだろう劇場支配人の悪魔による破壊は、部分的なものだ。全壊させたら街ごと私とお前が流されて、見物所じゃないと思ったんだろう。溺死には興味が無かったのかもしれない。もっと現実的な理由を挙げれば、街の外の魔術師に、自分や裁の存在に気付かれ邪魔をされるのが嫌だったから。折角七ヶ月もコントロールして来た土地を、目的も果たせないまま手放すなんて意味が無い。奴とは、人間の苦しみなら何でも楽しい悪魔とは違う。名前の通り、自分が用意した舞台で起きた悲劇で無いと満足出来ない質だったんだから。だがそれも過去の話だ。魔法とは、持ち主が死ぬか、持ち主の意思により解かれない限り、永遠に機能し続ける。劇場支配人の悪魔は死んだ。もう『鎖の雨』にかけられていた、雲だけを壊し続けるという付与の魔法エンチャントは機能しない」


 棺の内部を食い破り、大量の淡水エイが飛び出した。『鎖の雨』が壊された際、一番に対処に向かっていた鉄村清冬の『苦海の檻』によるモトロの群れだ。裁が棺を作った際に巻き込まれたままだった大群が陽光を浴びながら、砕いた棺と共に降って来る。その奥から、棺が閉じ込めていた筈の水は一滴も現れない。ただ巨大な空洞を思わせる刳り貫きが、棺の内部に施されているだけだった。


 モトロはその身で瓦礫を受け止めながら、街に直撃させまいと空を飛び回る。だがとても追い付かない。漏らした瓦礫が隕石のように降り注いだ。


 影となった瓦礫の輪郭に呑まれていく街のあちこちから、夾竹桃きょうちくとうが噴き出す。倍速再生される動画の中にいるように急成長しながら入道雲のように湧き立って、瓦礫を枝葉で抱えるように刺し貫いた。だが花は咲かない。血のような毒液も吐かず、ただ緑の塊として街の上空へ生い茂る。つまり、草壁と鉄村清冬による連携で、ついに空の脅威が取り払われた。



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