125.兵隊さんは偉い人に逆らえない


「お前に幸福をもたらさない神とは愚昧ぐまいなものだ」


 高く鳴り渡った金属音の底で、低く呟かれた声が嘆く。


 これも高位の付与の魔法エンチャントで拵えられたサーベルが、独りでに宙で横倒しになり『一つ頭のケルベロス』を受けていた。散る火花とビビットオレンジの血が、カクタスグリーンに潰されながら辺りを彩る。


 着地しながら素早く辺りを見た。二度目の『一つ頭のケルベロス』を受けた街は、あちこちから濃霧のように粉塵を吐いている。裁がまだ呼びかけに応じていなければ、姿すら見えない。まさか、ドレスの守りの魔法が追い付かなかったか?


「そうして常に他人で頭をいっぱいにして破滅していく様は、連中の趣味にぴったりだろうに!」


 劇場支配人の悪魔が項垂れたまま叫んだ。宙のサーベルに剣を弾かれ、右腕ごと頭上へ打ち上げられる。


 ガラ空きにさせられた胴へ、サーベルを掴んだ劇場支配人の悪魔の右手が突きを放った。その私の腹を貫こうと迫る鋭い剣筋は、本当に俯いたまま発せられたものかと目を疑う。


 堪らず歯噛みしながら右足を引く。左足を軸に身体をコンパスみたく百八十度一気に回し、背を向けながら紙一重にサーベルを往なすと、尾で劇場支配人の悪魔を薙ぎ払う。


 左肩越しに振り向き、地を転がる劇場支配人の悪魔を捉えて跳んだ。まだ受け身を取れていない奴の頭上へ回ると腹を向けるように身を翻し、『一つ頭のケルベロス』を振り下ろす。


 劇場支配人の悪魔の周囲の地表を、腐肉の束が突き破った。主に迫る刃へ絡み付くと、意趣返しとでも言うように私ごと投げ飛ばす。


 山のように積み上がっている瓦礫の山へ打ち込まれ、視界を闇と粉塵に奪われた。喉に纏わり付く砂っぽさを堪え、伸しかかって来る瓦礫を蹴り飛ばそうと足を上げる。


 身体中に走った衝撃がそのまま体外へ飛び出した。辺りの瓦礫がウニのように棘を突き出し、全身を刺し貫かれる。狂ったように噴き出した血が豪雨のように軍服を濡らした。劇場支配人の悪魔の付与の魔法エンチャントか……!


 砂っぽさを押し退け喉を駆け上がって来る血を歯を食い縛って無理矢理無視し、今度こそ足を放つ。伸しかかって来る瓦礫を全て吹っ飛ばした途端、足元の地表が球状にせり上がった。咄嗟に尾で殴って宙へ跳び退く。


 かさずせり上がっていた地表から、あの頭を千切られた蛸のように暴れる腐肉の束の群れが噴き出した。裁の付与の魔法エンチャントの壁をクッキーのように打ち砕いたあの激流が突っ込んで来る。


 生半な攻撃では打ち返せない。もう一度、渾身の『一つ頭のケルベロス』を放つか? いや駄目だ。裁が側にいない状態で振るえば、本当に直撃の巻き添えを与える事になる。魔法を壊す『一つ頭のケルベロス』の性質上、付与の魔法エンチャントで凌ぐのも不可能だ。ドレスに施されていた守りの魔法も、先の二度目の斬撃でもう失ってしまっている。


「クソ……!」


 瓦礫の平原と化した街では遮蔽物が少な過ぎて影が無い。『韜晦とうかい狗盗くとう』を呼び出そうと右手の甲を額に向け、強引に影を作った。


 劇場支配人の悪魔が零す。


「実に眩しい聖性だ」


 背後から飛んで来ていたサーベルに胴を貫かれた。カクタスグリーンに潰されたビビットオレンジの血が派手に散り、その向こうから腐肉の激流が視界を覆う。


 だが激流は直撃する間際で二つに割れると、落下していく私の両脇を素通りした。そのまま地表へ落下すると滑走し、あっと言う間に見えなくなる。


 走る激流の轟音が過ぎ去り静寂が戻って来る中、うに叩き付けられ地に伏している私の元へ、一つの足音が気乗りしないような緩慢さでやって来た。


 音を頼りに、自分の足先へ目を向ける。右手をスラックスのポケットに入れたままの劇場支配人の悪魔が、俯いたまま立ち止まっていた。やっと上げられた顔に貼り付く表情は葬儀中のように色が無く、固さを纏っていて物寂しい。


 色を潰されたビビットオレンジの血の中心で、肩は疎か腹すら上下させて漸く呼吸をこなしている私は、刺さったままのサーベルの痛みも忘れる程強く、その不快な面を睥睨する。


 どうして『一つ頭のケルベロス』が効かない。奴が着ているスリーピーススーツも悪魔のパーティに則った服装規定ドレスコードだろうが、それにしたって頑丈が過ぎる。同じ悪魔が仕立てたドレスを着ている裁でも、直撃を避けたにかかわらず守りの魔法を剥がされたんだぞ。


「……ふざけやがって……!」


 しつこく喉を駆け上がって来る血に声が濁った。ビビットオレンジの血の池へ腕を伸ばし、立ち上がろうと全身に力を込める。


 羽のような軽々しさで身体を持ち上げた。その軽快さはリセットが入っている最中の傷を開き直す程無神経に身体を運び、劇場支配人の悪魔へ向き直る。


「があッ……!?」


 意図していない己の行動に気付くが、鮮明さを取り戻し再び暴れ出す激痛に、堪らず上体を折ろうとしたが動かない。軍人のように直立したまま、意地でも前を向いてしまう。


 服従の魔法か? 今すぐのたうち回りたいのに、どうしてもこの姿勢を崩したくない。振り払おうとしてもそうすべきではないと、自分が動くのを拒絶する。


 向かい合う格好になった劇場支配人の悪魔は葬儀中のような面のまま、私の踠く様を眺めていた。暫くそのままでいると、微かに感嘆した様子で切り出す。


「……大した精神力だ。ここまで来て戦意を失わない魔術師とは滅多に会わない。まだ若いってのに立派だよ。若さ故の蛮勇に過ぎないかもしれないが、それでも賞賛に値する」


 自殺してリセットしようと、舌を噛み切ろうと口を開く。途端、今度は噛むべきでないと考えが浮かんで閉じてしまった。


 劇場支配人の悪魔は咎めるような顔になる。


「やめとけよ。いい手じゃないと分かってるから俺の前での自殺は控えてたんだろ? 魔法は、かけた本人が解くか死なないと解除されない。その魔術刀によらない傷はリセット出来ても、肝心の俺からは逃れられないんだから時間の無駄だ。その間に付与の魔法エンチャントが効かない俺に裁が集中的に攻撃されたら、気が気じゃないのもあって堪えてたんだろ?」



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