咄嗟に視線を、帯刀おびなたの脇に置かれた学生鞄に向けた。試験も終わって春休みも近いと言うのに、妙に荷物が多くて膨らんでいるのが強烈に気になって来る。既に学校にいた間に気付いてはいたが、そんな日もあるだろうと深く考えていなかった。


「最後まで塁に甘えっ放しなのは、やっぱりよくないと思って」


 私の問いを躱すように、帯刀は切り出した。


「頼む前から考えてたんだけどね。やっぱり、人に頼るのはよくないって。ましてこんな大きな事を起こして、万一の時の責任は全部塁に任せるなんて、やっぱりズルいよ」


 帯刀の親は連絡がつかない。メールも電話も、メッセージアプリも何度も試したが無駄だった。娘の帯刀でこの様なのだから、私が試みても同じだった。職場か警察からでも無いと応じないだろうという彼らの態度は、私と帯刀は思い知っている。それでも私達が彼らを呼び出すには、相当に特殊な事情を用意しなければならない。だから帯刀は、こんな願い事を私にしたんだ。それは勿論最初から分かっていたし、それを踏まえて説得するという手段を採り、失敗して今日に至った。私が断った場合帯刀に残された、特殊な事情を用意する手段とはもう、人の道を踏み外す種のものしか残されていない。


 別に、止めようと思えば幾らでも出来る。所詮帯刀はただの人間で、私は悪魔喰らいで魔術師だ。『韜晦とうかい狗盗くとう』を仕込んでしまえば何をしようとしても察知出来るし、どれ程離れていようと駆け付けられる。


 ……それでどうするんだ。捕まえて押さえ付けて、お前は間違ってると突き付けるのか。帯刀が何をやろうとしているのかは知らないが、私はそれを、世間に露呈する前に必ず防ぐ。帯刀の将来の為に。場合によっては手を汚すだろう。それを厭う気は無い。……無いが、その道の先に、何があるんだ? 結局私達は何からも抜け出せないままで、ただ帯刀の立場が危うくなるだけ。そうなった時帯刀は、私と友達を続けようと思うだろうか。最後の願いは相手にされず、間違っていると否定され、何かあれば障害となって現れるような奴と。私だってそんな風に変わり果ててしまった帯刀と、この先も関わっていけるか自信が無い。私とはあくまで、正しさを重んじたいんだから。


 もし私達が友達でなくなった時帯刀は、今度は何を頼りに生きていくんだろう。全ての望みを絶たれ、側に誰もいなくなった未来で、まともに生きていけるんだろうか。そんな、幼馴染でも何を考えているのか、分からない目をして。


「いいよ。一回ぐらい」


 やっと不自然な苦笑を剥がせた私は、心から笑った。眉はハの字になった、完全な困り顔だったけれど。


「魔が差すなんて、誰にでもある」


 私の性格からは信じられない言葉に、帯刀は目を見開いた。感情の読めない気味悪さが弾け飛んで、いつもの帯刀の、驚いた顔になる。


 その様に私は、得たばかりの確信を噛み締めた。


 正しいだけじゃ救えない。


 何かを支払う覚悟が無ければ、如何に正しく真っ当な願いであろうと叶わない。そう思い知ったから。


 だから私が切り売りしてやる。この死に様すら選べない身を、幾らでも。


 私が望んだ願いの代価は、私が全て払うんだ。親みたいに誰かを踏み台になんか決してしない。たとえその願いが誰かの為のものであろうとも、そう願ったのは誰でもない、私自身なんだから。たとえ何を得る事も無く、ただ虚しさを突き付けられ失うだけに終わっても、帯刀が少しでも、前を向けるようになるのなら。私はもう、それでいい。私じゃ帯刀は救えない。


 ならせめて、どこまでだって付き合おう。それがきっと、友達ってものだ。一人が寂しい事ぐらい、知っている。


 ソファから立ち上がった。スカートの皴を伸ばしながら歩み寄って、呆然と見上げて来る帯刀を抱き締める。


 ずっと殺して来た魔に、身を堕とす。


「何でもはしてやれないけれど、私に出来る事なら全部するよ。お前を置いて行くなんて絶対しない。どこへでも付いて行ってやるさ。お前を笑う奴は、私が全員ぶちのめしてやる。もう二度と、誰にもお前を否定させない。地獄の底まで、ずっと一緒だ」


 帯刀は泣いてしまった。宥めたかったのに、上手くいかないものだ。


「……その性格、悪い人に騙されるよ?」


「自分で選んだ相手なら恨まないよ」


 縋り付いて来る帯刀の背中をさすってやりながら、困り顔で笑い続ける。


「私達の、最初で最後の復讐をしよう」



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