帯刀おびなたの家庭が妙であると感じ始めたのはその後だった。


 参観日に帯刀の親が来た事が無い。運動会も学芸会も見に来ない。帯刀は遠足になると、いつもコンビニのおにぎりや菓子パンを持たされていて、そう言えば幼稚園でのあの一件以来、帯刀の親を目にした事すら無いと気付いたのは、もう小学校を卒業する間際だった。


 当時の年齢では言語化出来ないモヤモヤを抱えたまま中学に上がって、多少年齢が追い付いても今度は尋ねるべきなのかと逡巡が噴き出して、悩んで悩んで、悩んだ果てに、漸く口にした。訊いてどうなるんだという疑念は晴れず、知ってしまったが最後、引き返せない場所へ落ちて行くような空恐ろしさに怯えながらも。


 ……お前の親御さんって忙しいの? 全然見かけないけれど。


 昼食を終えたばかりの昼休みだった。自販機にジュースを買いに行くと言う帯刀に付いて行って、廊下を歩いている時にそう尋ねた。丁度理科室を横切ろうとした辺りで、薄暗く冷え切った廊下に、突き刺さるような蝉の鳴き声が騒々しかった。


 隣で財布の中の小銭を数えていた帯刀は私を見ると、石みたいに動かなくなった。頭が真っ白になって、何の思考も生じていないと分かる、ただそれだけの顔だった。でも私の放った言葉とは帯刀にとってはそれ程までに衝撃的で、受け入れ難いものであったと理解するには、十二分だった。


 後悔のようなものが、濁流のようにあぶく立って胸を襲う。


 うん。何か最近忙しいんだってさー。


 溺れていくのを許さないように、妙に固い声とつるんとした笑顔で返された。それは振り落とされたギロチンのように濁流を遮断して、空っぽになった私の胸の虚しさを酷くした。


 その作り笑いは、同情は許さないという怒りなのか、心配して欲しくないという強がりなのか、今でも分からない。ただ立ち入って欲しくないという強烈な拒絶だけが透けて見えて、当時はそれ以上追及出来なかった。


 自分の家だって特殊なのに、人の家庭に首を突っ込もうなんて考えが浮かんだのは、天喰あまじき家とはすこぶる特異であると、その頃から感じ始めた事に起因する。


 私は中学に上がるまで、父の仕事を教えられていなかった。いつも朝早くに街に出て、夜遅くに帰って来ていたそうだから、姿を見た記憶さえ乏しい。漠然と、街の治安を守る仕事だと母から聞かされていて、警官なのか、警備会社にでも勤めているのだろうと考えていた。それが誤りであったと知ったのは、父と魔法使いの戦いを、偶然目撃した事による。


 物心が付いて、その存在を知った時から、魔術師が嫌いだった。


 魔法使いは勿論怖かった。けれど、魔術師の大勢で少数を追い出そうとする様が、自分が同級生らに受けた扱いを思い出して、どうしても正しい事と思えなかった。


 そんな扱いを受けたからと言って暴力で報いようとする私自身も、私を嗤う奴らと同じ程度に自ら落ちているのを頭の隅では分かっていて、殴り飛ばした瞬間こそやって来る暗い爽快感と、我に返ってから這い寄って来る胸の悪さに、いつも鬱屈していた。その上現場を見ていない母には一方的にどやされるのだから、絶対に謝りたくなければ、同級生らと同じぐらいに母も憎かった。


 何で私とお父さんは髪が青いの?


 そう幼い頃は何度もいた。


 おじいちゃんの病気が移った所為よ。


 母はいつもそれだけしか言わなくて、私がこの問いを投げる度に、付き合う気は無いとでも言うような冷気を纏っては、「お父さんを困らせないようにね」と、口癖を付け足して終わらせていた。


 どうして私が悪いかのような振る舞いを見せるのか、分からなかった。その内怒りと虚しさが勝って、訊くのをやめた。


 もう少し大きくなってから話そうと思っていた。


 父と魔法使いの戦いを目撃した日、帰宅した私に問い詰められた母が言った。現場で私と目が合っている父が珍しく早く帰って来て、全員で夕食前のテーブルに着いた。家族全員が同じ場所に集まったのはその日が初めてかもしれないし、その日が最後だった。



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