79.さよならは最悪に。


 薄闇を、鉄村の呟きが這う。


「お前は腹の中の悪魔に魅入られてる」


 凝固するように淀んでいた部屋の空気がざわめいた。


 それがただの脅し文句で無いと分かっていた私は、喉から左手を離す。


 ゴーレムはそれを見逃さない。胸の奥から異物感が湧き出し、部屋の壁という壁からは鉄村のトラテープが飛び出した。


 それらが発する音の全てを、甲高い遠吠えが掻き消す。


 ゴーレムは足元から飛び出した何かと入れ替わるように姿を消し、トラテープは私が薙ぎ払った左腕に引き裂かれた。黒と黄色の残骸が花弁のように閃いて、部屋の空気は突風となって荒れ狂う。


 テーブルのコップやノートPC、床に転がっていた洗濯物が紙屑のように吹っ飛んで、閉めっ放しのカーテンははためき、窓ガラスは老人の背骨のようにたわむと罅が走った。


 咄嗟に目を庇おうと右腕を翳しながら踏ん張った鉄村は、顔を上げるとゴーレムがいた場所を振り返る。


「……お前……!」


 その声には、焦りと拮抗する驚愕が露わになっていた。


 消えたゴーレムと入れ替わるようにさいがいる。引きられて来たように制服の襟首を、痩せぎすのコヨーテにくわえられていた。裁も何が起きたのか分からない顔をしていて、鉄村に足を向け仰向けに倒れている。


 〝館〟で裁の左腕を奪う際に仕込んでおいた私の魔術だ。奴が左腕を失う直前の私とは、付与の魔法エンチャントで疾駆して来る〝館〟の壁を躱そうと、前方に立つ裁から距離を取る形で後ろへ跳んだ。それでも奴の腕を噛み千切れたのは、跳ぶと同時に放っていたあの痩せぎすのコヨーテだ。私の任意で好きな影から現れ、影から影へと人目から逃れるように走り回るこいつとは、一切の検知機能に引っ掛からず私の命令だけを聞く。


 それは、かつて最強の魔法使い殺しとして〝不吉なる芸術街〟の頂点に君臨していた天喰とおるの、見敵必殺たる由縁を支えていた不可視の探照灯サーチライト群。


「『韜晦とうかい狗盗くとう』」


 今更魔術名を開示して、また魔術師の規律を破った私は喋り続ける。


「まあ、一匹拝借しただけだけどな。流石にクソ親父のように、群れとしてはまだ扱えなくてね」


 その一匹を裁の足元の影から飛び出させ、あの左腕を噛み千切ってやれと命じたのだ。そのまま万一の時の為に、裁の影に潜んでいろとも。ゴーレムは裁と入れ替えるように御三家の下へ捨てて来た。


 痩せぎすのコヨーテは裁を引きって、トラテープの破片を蹴散らし私の下へ向かって来る。それは不運のように予感無く、実体があるとは思えない程に速い。即座に鉄村がトラテープの束を放つも容易にり抜け、私が座る椅子の側までやって来るなり、裁の襟首を離した。


 立ち上がっていた私は、靄のように消えて行くコヨーテの頭を左手で撫で、支えを失い崩れ落ちようとする裁の胸倉を右手で掴み引き上げる。鉄村へ視線を投げると彼を守るように、コヨーテを逃がし標的を失っていたトラテープが突進して来る。


 テーブルを吞みながら眼前に迫るそれを、尾で一蹴した。テーブルごと粉砕されたトラテープの群れが、木片を巻き込み宙で踊る。


「友人一人も救えないような奴に、その強さの余り恐れられた父親の技なんて手に余る」


 トラテープと木片の三色の欠片の向こうで愕然とする鉄村を、見据えたまま言葉を継いだ。


「なんて嘗めて考えてるから、出し抜かれるんだぜ」


 裁の頭が麻痺している隙に、自分を左手で絞殺する。


 ブッツリと途切れた知覚はすぐ戻って来て、荒らされた心霊スポットのようになった天喰あまじきの家の中と、そこで変わらず立ち尽くしている鉄村、裁の胸倉を掴んでいる右手の感覚を難無く捉える。喉から零れ落ちたのか、阿部さんの刀の破片らしき金属片が足元に転がっていた。

 

 それに気付いて俯いた時、諦めたように鉄村が言う。


「……お前が魔術師になってから、一度も魔法使いを殺せなかった理由が漸く分かったよ」


 頭は足元に下ろしたまま、視線を鉄村へ向けた。そこにあった目は、決して分かり合えない頑なさを放って私を見ている。


 きっと私達とは、これで最後なのだろう。


「残念だったな」


 荒れ果てた薄闇の中で噛み締めながら、不健全な笑みで別れを寄越す。


「これがお前の望んでた、私の心からの言葉だよ」


 足元から再度出現させた『韜晦とうかい狗盗くとう』のコヨーテに連れられて、裁と影に呑まれて姿を消した。


 移動先に指定した影がある場所は、数年前の市政改革によって閉館され廃墟と化している、電車で三十分程先の市民交流センターだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る