10

50.八丁荒らしの見せ場はここからさ!


 走るは真一文字の衝撃。


 それは墨をぶちまけたように黒い尾を引き、芋虫も繊毛のような細腕の大群も、一息に両断して塗り潰す。湧き出す瓦礫と粉塵も巻き込んで、部屋そのものすら断ち切るような一筋に肥えて裁を飲み込んだ。黒の激流にキャビネットもシャンデリアも、紙屑のように吹き飛んで攫われる。


 失速していく激流を躍る〝患者〟の瓶が、更地のようになった部屋へ降り注いだ。消えて行く黒を裂きながら床を埋め尽くし、瓶のボールプールを作り出す。


 その光景を見届けていた私は、瓶を打ち上げながら部屋の中心へ着地した。漂う黒の残滓が瓶で消し飛ぶも、シャンデリアを失い灯りを絶たれた部屋は依然暗い。


 気配が矢の如く背に迫る。


 振り返りながら尾を薙いだ。尾とぶつかり合う気配の輪郭が、闇を照らすように火花を散らす。腹から両断された気配の正体は、捩じれた金属で出来た、シャンデリアより一回りは小さくも巨大な塊。


 すぐに出所が分からず訝しむ。


 各キャビネットにかかっていた脚立か?


 こいつを放ったのは裁だ。まだ姿は捉えられていないが、こんな現象が起きている以上生き延びているのは間違い無い。だがさんざ無視していた脚立を何故今頃? 


 両断された脚立の塊が離れ、視界が急速に開ける。その向こうでは濃霧のような灰色の粉塵が、不自然に集中して立ち込めていた。既に見慣れているモルタルの粉塵の筈だが……。


 右手から飛来した何かに胴を突き抜かれた。


 衝撃に攫われ足が浮く。左側腹部から突き出た何かは床を穿ち、百舌鳥の早贄のように私を縫い付けた。ビビットオレンジの血が私を貫いたものの軌跡を描く。


 崩れそうになる身を支えようと、咄嗟に両足で踏ん張った。潰れた臓腑が噴いた血が、気味の悪い満腹感を孕む激流となって喉を走り堪らず吐く。


 血の塩辛さを忘れる程動揺したまま、右側腹部を見下ろした。刀の柄が突き出ている。続けて左側腹そくふく部へ目を寄越すと、大柄な持ち主に合わせて作った余り太刀のようになっている、古びた打刀うちがたなの刃が飛び出ていた。一度黒に呑まれ砕かれた事を示すように、破片が寄り集まってひびのような模様を浮き上がらせている。


 阿部さんの刀だ。


 ……今頃脚立だの目くらましを使ったのは、壊れた阿部さんの刀を付与の魔法エンチャントで拾い集めて撃ち込む為の時間稼ぎか!


 不自然な灰色の粉塵が急激に範囲を狭め、その集約点から裁が飛び出す。


 私が姿勢を崩す瞬間を狙ったように疾駆する裁へ、右腕を放った。掴む左腕だったものを向けられた裁は息を呑む。鼻先に迫る左腕だったものの先端を、蹈鞴たたらを踏みつつ頭を右へ倒し辛うじて往なされた。掠めた裁の左頬から血が走り、数本断ち切られた髪と宙で踊る。


 辺りの床から胴回りが私ぐらいもある、人の指を模したモルタル塊が竹林の如く湧き上がった。だが左腕だったものから放たれていた墨のような尾が、それらを覆うと嚙み砕くように破壊する。


「破戒の犬が!」


 付与の魔法エンチャントを砕かれた裁は、左肩に手をやりながら吐き捨てた。


「悪魔らいっちゅう魔法使いでもせん外道の上に、魔術師最大の禁忌である魔術名の開示についての掟破りを常にやるとは呆れた奴やな! 首輪が付いてへんのもよう分かる……。付けても言う事聞かんのやろ、〝一つ頭のケルベロス〟!」


 憎悪に燃える裁の目が、刎ねるように首へ向けられた私の左腕だったものに微かに映る。


 今やそれは、阿部さんのものよりまだ古く、形を保っているのが不思議なぐらいに錆び付き傷み切った打刀うちがたなと化していた。そんな見てくれから滲むには余りに不相応な、見る者の胸を押し潰すような圧力を放って。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る