48.獣に美学は通じない。


「フライングなんて汚らしい」


 さい心底しんていから唾棄するのを捉えたが最後、両目がブッツリと失明した。何も映さなくなった目が、後頭部まで貫く激しい熱を帯びる。


 熱の感触で理解する。裁の付与の魔法エンチャントを受けた阿部さんの刀が、軌道を狂わされ私の目を潰した。裁へ放とうとしたエネルギー全てを打ち返され、身体が宙へ攫われる。


 そんな未来が来る事は、刀を手にした時から分かっている。だから既に次の行動に移っていて、何のラグも動揺も、寸分の狂いも無く前へ首を伸ばして、裁の項へ顎門あぎとを開いた。


 吹き飛ばされようとしたばかりの身体が、宙で停止する。ありもしない、三本目の脚のような異形に支えられ、押し返されるようにすぐさま飛び出した。

 

 裁が息を呑むのを、まだ鋭敏になった耳が生々しく拾う。人間が床を蹴っただけとは思えない強い音が、逃げるように部屋の奥へ吸い込まれた。私は誰もいなくなった床へ着地しながら、広げた顎をガチンと閉じる。


 脚に遅れて着いた三本目は蛇のように床を這い、何も乗らないまま口内に収まった舌で、目元から流れる血を舐め取りながら空気を嗅いだ。嗅覚で裁の位置を掴むと、左手を刀へ伸ばす。


「……フライングだあ? こいつは試合でも演目でも無いんだ。お行儀よくやってやる筋はえだろ魔法使い!」


 引き抜いた刀を前へ投げた。ヒュンと高い音を上げて空を切り、部屋を二分したモルタルカーテンの中央へ逃げた裁に直走ひたはしる。


 だがお得意のゴーレムで叩き落とされたのだろう。弾かれるような金属音が虚しく鳴って、残響を撒いてあらぬ方向へ消えて行った。


 ……全部の音が耳に障る。


 うんざりしながら治った目を開ける。予想通りに裁は、カーテンの中央でぶら下がっていた。体重を指でカーテンに食い込ませた右腕一本で支え、向かい合う格好で私を見下ろしている。


 先程私を押し潰そうと迫っていた両脇の壁は、裁が左腕を失ったタイミングで中途半端に止まっていた。阿部さんの刀を払った大きなゴーレムの腕は、そこからキノコのように湧いている。


 ……膂力りょりょくまで人間離れとは、奴は一体幾つの魔法を持っているのか。


 ゴーレムの腕の発生位置を探そうと視線を泳がせたその直後、裁は零した。


「……その格好、馬鹿にしてるんですか」


 どうやら痛覚はあるらしい。呼吸がやや浅くなっている。然しこんな闇の中私の容姿を指す言葉が出るって事は奴の目は、とうとう灯りが壊れかけのシャンデリアしかなくなった今もしっかり機能している訳だ。裸電球を破壊し、闇を押し広げながら疾駆して来た私の身から、コヨーテの耳と尾が噴き出した不気味な様が。


 生来から持ち合わせている人体のパーツに重複するように、それらが現れていないのがまだ救いか。廊下で三本目の脚のように身体を支えた尾を除けば、どれも元あるものを変質させる形で現れている。今や私とは、人とも獣ともつかない格好になっていた。


 腕の菌床となっていた両脇の壁から、また無数の腕が湧き出した。だがその形は、今まで見せていたような均一性が無い。サイズも胴回りも指の数すらも、モチーフとしている生物の種さえバラバラな、ただこの世にある腕を搔き集めたような、悍ましい塊となっている。


 その醜悪さに、思わず顔をしかめた。


「ええ確かに、その姿は魔術師らしくない」


 俯いて表情が見えなくなった裁が、独り言のように零す。


「それはただの〝患者〟の症状です。魔法使いの間でも扱いが容易かつ足が付きにくいと古くから好まれる魔法、変身の魔法の症状に過ぎませんから」


 裁はそこまで言うと、髪を振り乱して顔を上げた。


 その容貌は鬼。今までの冷徹さこそが奴最大の嘘であったかのように、心火しんかを燃やして激高する。


「よくもまあ〝魔の八丁荒らし〟に選ばれたあたしを前に、〝患者〟の症状を流用するなんざ嘗め腐った真似晒したもんやな! 恥を知れ!」



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