20.……私って君のされるがまま。
見えなくなるまで鉄村を見送ると、他の来館者と同じく彼に気を取られていた
「……ここのアップルパイ、一個九百円ぐらいしませんでした……?」
「ああ、それぐらいだったね」
知ってるって事は、食べた事があるんだろうか? そう気軽に通えるような価格帯の店では無いけれど。
裁さんは圧倒されたように硬直すると、私を見た。
「……そんな額をさらっと出せるなんて……。凄いお金持ちなんですね、
「ただの小金持ちだよ。成金って言ってもいい」
苦笑で返す私に反し、 裁さんは羨ましそうに表情を取り戻す。
「いいなあ。そんな大金をぽんと出せるなんて。私ならいっぱい買い物しちゃいます。服欲しいし、スマホは最新のに替えたいし、旅行もカラオケも行き放題だし……」
指を折って願望を数えていく裁さんに、つい微笑んでしまう。
「趣味が多いのはいい事だよ。私と鉄村はお茶してから登校するけれど、裁さんはどうするの?」
あの食事量をお茶と言えるか怪しいが。でもあの通りデカい図体なので、パイ一個なんておやつにもならないだろう。
まだ指を折りながら願望を数えていた裁さんは、ピーマンでも食べたような顔になる。
「ヴえぇっ、学校行くんですかぁ?」
何その私が非常識みたいなリアクション。心外なんだけれど。
「いや……。行くけれど。授業までその辺をブラブラしてもいいけれど、特に用事も無いからね。開始時間もはっきりしてない状態で歩き回るのも、あんまり落ち着かないし」
朝の諸々の一件から時間も経って、すっかりイライラも治まったし。
すると裁さんは、ぱっと目を輝かせた。
「なら、私とお話ししましょうよ! 天喰先輩!」
私は困って眉を曲げると、裁さんを窘める。
「……美術館では静かにしなさ」
裁さんに右腕を掴まれ、鉄村が食べたいと言っていたメニューを出しているレストランに連行された。
壁は白、床は落ち着きのある赤みがかったフローリングで、家庭でも見かけそうな癖の無いデザインをした椅子とテーブルは黒色の、値が張る割には居心地のいい店。大きな窓からは、美術館の敷地内にある広場が見える。
まだ開店時間を迎えて間も無い店内に犇めているのは、空っぽの椅子とテーブルだけ。裁さんは足早にその間を縫い、奥の四人がけテーブルに私を座らせた。
すぐ隣に窓際の席があるけれど、多分ここにしたのは適当だろう。私を連れ出せてご機嫌な中、他に客もいないのに席を選ぶのは時間の無駄と思ったのかもしれない。
裁さんは向かいに座ると、私に見せるようにメニューを広げた。
「いやーびっくりしましたよ。まさかこの目で、例の彫刻が見られるなんて! ましてこの美術館で調査されてるなんて、夢にも思いませんでした!」
引き
「……君って強引」
「天喰先輩が押しに弱いんですよ。でも反省しています。確かに、美術館ではお静かにですから」
裁さんは唇の前で、右の人差し指を立てて苦笑する。
確かに最初に顔を会わせた際の彼女は、しっかりマナーを守って静かにしていた。
「……まあ、分かってるならいいけどさ」
別に断る気も無かったし。
ぼそりと返しながら頬杖をやめ、右手をお冷のグラスへ伸ばす。
私の様子を眺めていた裁さんは歯を見せて、悪戯っぽく笑った。
「へへ。ありがとうございます。何頼みます?」
お冷を口に含んだばかりの私は、頬を水で膨らませたまま応じる。
「んん?」
別に気にしにゃしないけれど、何だか完全に、彼女のペース。
「……じゃあ、リンゴジュース」
身を乗り出して熱心にメニューを眺めていた裁さんは、目をまんまるくすると顔を上げ不思議そうに私を見る。
「……凄い可愛いの飲むんですね」
「えっ?」
私の目もまんまるになった。
裁さんは左手で頬杖を突くと、からかうような笑顔になる。
「いえ、てっきり私、天喰先輩はコーヒーか紅茶かなーと。意外です」
……変、だろうか?
そんなに食い付かれると思ってなくて、気恥ずかしくなって目を逸らす。
「い、いいじゃんか。好きなんだから……」
裁さんはもうにこにこだ。
「お腹冷やしません? 外寒いですけれど」
面白がってこの子。
余計に目を合わせられなくなって、意味も無く窓の外を睨みながら返す。
「猫舌なの。年中熱いものは飲まないし、コーヒーも苦いから嫌。ミルクと砂糖入れないと飲めないよ」
つい声が尖るが、裁さんはびくともしない所か笑い声を上げた。
「あはは! 冗談ですよ天喰先輩。可愛いじゃないですか。その案外私より十センチは低い身長と言い。ギャップですよギャップ。その見た目でリンゴジュースを頼むなんて。ふふ。
「先輩だから気前よく奢ろうと思ってたロールケーキ、頼むのやめるね」
「だぁ!? 嘘です嘘です! 頂きます! 私このッ、抹茶のロールケーキがいいです天喰先輩ッ!」
裁さんは立ち上がって身を乗り出すと、大慌てでメニューの抹茶ロールケーキを指す。
漸く小さな反撃に出られた私は、顔の火照りを何とかしようとお冷を口に運びつつ尋ねた。
「ドリンクは?」
「ブラッドオレンジジュースで!」
目を伏せてお冷を呷ろうとした私は、露骨に不満顔になって裁さんを見上げる。
「君もジュースじゃんか」
裁さんはまた目を丸くすると、歯を見せてはにかんだ。
「……私は子供なので、これぐらいがお似合いですよ」
その姿が、ただ
用意していた意地悪い言葉を吐く気には、どうしてもなれなくなって、代わりにぼそりと呟いた。
「……何だいそれ」
まあ、こういう日常も守れていると思えば、悪い気はしないけれど。
お冷を一気に飲み干すと、店員さんを呼んで注文を取って貰う。まだ私達以外の客は来ない。裁さんが落ち着けば、すぐに静けさが戻って来た。
注文を取ってくれた店員さんが注いでくれたお冷を一口飲んでから、グラスを置くと切り出す。
「もし〝一つ頭のケルベロス〟に出会ったら、何かお願いしたいの? 私が聞いた噂ではこいつって、気に入らない人間と出会ったら、指一本残さず食べちゃう怪物だって聞いたけれど」
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