六月二十六日

 出かけようか、と隆一くんが言った。梅雨の只中の、少し肌寒い日だった。ぼくは万年床の中で窓の外の雨垂れを見ながらその声を聞いた。

「どこに?」

「どこでも。」

 そうやって彼は薄く笑った。

 並んで、傘を差して、ぼくたちは出かけた。こういうふうに二人で歩くのは久しぶりのような気がして楽しかった。目的地もなくぶらぶら歩いていると、街の外れに小さな家具屋を見つけた。深い赤色の屋根に、木組みの壁。その店先にひとつ、小ぶりのロッキング・チェアが置いてあった。

「これ、いくらだろうね。」

 値札が見当たらなかったので、隣に立つ隆一くんにそう言ってみると、彼は「訊いてくるからちょっと待ってて」と応えて店内へ入っていってくれた。二本の傘を持ち、ショー・ウインドウを眺めながらしばらく待っていると、浮かない顔で彼が戻ってきた。

「売ってないってさ。注文制で作ってるんだって。作るのも半年くらいかかるらしいよ。」

「そっか。」

「欲しかった?」

「うん、ちょっと。」

 そう、残念だったね、と隆一くんは言って、ぼくから傘を受け取るとすたすた歩き出す。ぼくもあわててそのあとを追いかけた。

 適当な店で昼食をとって、また歩いて、今度は適当な店でお茶をしたりして、のんびり時間を過ごした。ずっと雨が降っていた。

「牛乳、なかったんだっけな。」

 帰りぎわ、ふと隆一くんはそうつぶやいて、買ってくから先帰って飯作っといて、とぼくに言った。

「ありがと。なに食べたい?」

「……肉じゃが。」

「わかった、作っとくね。」

 それからぼくたちはそれぞれ別の方向へと歩き出した。雨足が少し強くなってきていた。

 家に帰って電灯をつけてただいまを言った。ふいに、窓辺でこちらへ背を向けた大きなキャンバスが気になった。描いているところを邪魔されたくないだろうと思ってめったに覗いたりしないから、そういえば描き始めたころに一度見たきりだったのを思い出す。

 隆一くんはいないのに、なんとなく忍び足でキャンバスに近づき、そっと覗き込んだ。

 それは、誰の姿も描かれてはいないけれど、確かにあたたかな気配のある部屋の絵だった。すぐにわかった。ぼくたちのこの家だ。なんだかとても嬉しかった。普段よりずっと、隆一くんの帰りが待ち遠しく思えた。

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