夢にまで憶う

クニシマ

Merry Christmas, Mr.Y

3月18日

 ——だからそれってきっと恋なのです!

 なんて、かわいい女の子がぱっと顔を赤らめて、どきどき鳴る胸にそっと手を当ててみたり、とか、あんまりそういうマンガは読まない。友達のみいちゃんの家に行っていっぱい遊んで、やることがなくなって暇になって、お姉ちゃんのマンガ読む? って隣の部屋から持ってきてもらったときくらい。

 だからあんまり、そう、あんまり、恋なんてみんな、そんな、するものなのかな、って思ってたんだけど。

 卒業式の日。すごい晴れた、六年間の小学校生活の最終日。みいちゃんと一緒に帰るから! ってお母さんとお父さんをさっさと正門から押し出して、十二時過ぎの明るい道をみいちゃんと二人でゆっくり帰った。

 そんなに寒くなくて、ちょうどいい日だった。卒業式のために買ってもらった黒と赤のワンピースには、通学帽なんか似合わないよね、って脱いで、手に持って歩いてた。

「もう卒業って、なんか、早い気するよね」

「中学でも絶対仲良くしようね」

「ね! 絶対だよ」

 そうやって言い合いながら、車なんて全然来ない信号をちゃんと青に変わるまで待ってから渡って、角をふたつ曲がって、またひとつ曲がって、みいちゃんにバイバイを言って、一回振り返って、大きな声でほんとにバイバイを言って、歩き出した。

 家までもうあとまっすぐな道をちょっと行くだけ、のところで、人差し指の先に引っかけてくるくる回してた通学帽がすぽって手から離れた。それは小さな風に乗って、近くのアパートの部屋の前まで飛んでいった。あっ、て駆け寄ろうとしたのと、ドアが開いたのがちょうど同時だった。

 優しそうな目の男の人。口元とあごにヒゲが生えてて、けどお父さんみたいなヒゲじゃなかった。おじさん、より、お兄さん、って呼びたくなる、かっこいい人。

 その人は足元の通学帽にすぐ気づいて、さっと拾い上げて、わたしのほうを見て微笑んだ。

「はい、……留美ちゃん。かわいい名前だね」

 あれ、なんで名前? 一瞬、頭が真っ白になった。けど、差し出された通学帽の内側に、そういえば黒マジックでお母さんが名前を書いてくれてたんだってすぐ思い出した。お礼言わなきゃ、って見上げたその顔のすぐ後ろに、『与野井』って書いてある表札が見えた。

「あ、ありがとうございます、与野井さん」

 その人はちょっとだけ驚いたみたいな顔をした。でも、ちらっと振り向いて表札を見つけると、納得して「うん、どういたしまして」ってにっこり笑った。それから、ふっと思い出したみたいに左手首の腕時計を見て、それじゃあね、って歩いていった。その後ろ姿がアパートの横の道の奥に遠くなっていって見えなくなるまで、わたしはずっとそこに立っていた。

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