腑に落ちぬ

 「いくらなんでも急すぎるぞ。周辺の味方の領地はどうやって移動したのだ?」


 藤右衛門はに落ちないと思って、敵の存在を疑っている。


 「いや確かに攻撃を受けてるようでさ。はさみとりでから狼煙のろしもあがっているらしいよ」


 村の若衆はヘタな手ぶりを交えて話した。


 はさみ砦とは関所を挟むようにして土で築いた防塁のことだ。藤右衛門たちも握り飯を食わすと言われて土を運ぶのを手伝わされ、冬だったので文字通り煮え湯を飲んだ記憶も新しい。


 そこに突如として軍勢が攻めてきて関所や砦を攻撃しているという。にわかには信じがたい話であるが、すでに関所や砦は壊滅的な被害だと伝令は伝えた。


 「旗は…、どこの旗を指していた?」


 藤右衛門は若衆をさらに詰問する。


 「それが見覚えのある旗で、たぶん味方の旗じゃないかって…」


 「…なるほど。若造の言うこと真ならば、恐らくは味方の軍であろうな」


 庄屋は神妙な面持ちである。何とも奇妙にも状況から推察するに、味方であるはずの周辺の領地から大挙して襲来しているようだ。


 「おいおい。この周辺の領主たちは味方ではないのか?」


 未だに状況を汲み取れない藤右衛門は落ち着かない様子である。


 「ふむ。同じ主君に仕えているはずじゃの…」


 「それではなぜ?」


 その答えを待たずに「ともかく敵は四方から攻めてくるから皆も逃げろ」若衆は最後に早口で言うと、走って他の村人たちへ伝えに向かった。


 「こうしちゃおれん。逃げなきゃならん!」


 庄屋に銭を見せた父親が叫んだ。


 この一大事に村人たちは蜘蛛の子を散らしたように村へと逃げ帰る。ほんの少しでも遅れれば敵に囲まれて、戦火からの脱出は手遅れになるかもしれない。瞬く間にその場には庄屋と藤右衛門だけが取り残された。


 「皆…、逃げ足が速いのう」


 「………」


 感心するように庄屋はしみじみと言い、藤右衛門は年寄りの庄屋を置いていく皆に呆れるのであった。


 残された庄屋もあたふたと帰りの身支度を整えている。それを手伝いながら、これまで庄屋の言葉が正しかったのに疑って済まなかったと詫びた。だが、驚いたことに直ぐに遮って逆に詫びてきたのだ。


 「ああ、実はあれは嘘なのじゃ。年始の挨拶で殿に年貢を少なくしてくれと頼んだら、では暮らしぶりを家来に覗かせると言うものでな。余程とお主らが極貧に喘いでいるか分らせるため、わしとしても覚悟の一芝居を打ったのだ。それにしても真に攻めてこようとは…」


 庄屋は捲し立てるように言い切る。


 「なんと…、たばかったのか?」


 「なんじゃい人聞きの悪い。良い策士だと言ってくれんか」


 「では此度の出兵は如何なる理由なのだ?」


 「それは全く存じないのだわ」


 そう言って、庄屋はそのまま家中の者を引き連れに帰っていった。その混乱の最中でも釣った魚を手放さないのは庄屋らしい。

 藤右衛門が庄屋を町に見送って、ようやっと村に帰り着いた頃には、見事に村はもぬけの殻になっていた。


 嫁のいない藤右衛門には取るものも殆どないが、それでも隠していた酒瓶と隣村の百姓に作物と引き換えに交換して貰った刀を持参して、山村に急いで向かうのだった。


 (わしはどうにか逃げられそうだが、城下から逃げている庄屋様は間に合うのか?)


 少し心配しながら山道を歩いている。


 村から山村には半刻はんこくほど歩かなければならない。そもそもこの無人の山村には村の人間の一部が住んでいたのだ。三城の家来たちに麓の田んぼを耕すようにと、強制的に移住させられた廃村であった。

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