赤い痣

王生らてぃ

本文

 妊婦が大きな火を見ると、生まれてくる子には赤い痣がついて生まれてくるという古い迷信がある。

 わたしがそうだ。

 胸の真ん中あたりに、ぼんやりとした赤い痣がある。まるで火傷のあとのようだ。

 お母さんがわたしを妊娠している時に、近所で大きな火事があったかららしい。それを知ったのはほんの偶然から。お母さんもそんな迷信を信じていたわけじゃないらしいけど、わたしの胸の痣についてはどこか思うところがあったみたいだ。

 でも、そんなお母さんの気持ちとは裏腹に――

 わたしは火が好きだった。物心ついた時から。







 はじめて「焼った」のは、たぶん十歳くらいのころだ。

 たまたま道で拾ったライターを、カチカチと鳴らして火花を散らすのが好きだった。指先が熱くなって焼けていくのが楽しかった。こっそりと人気のないところに、テストの答案や使い終わったプリントを持っていって、ライターでこっそり燃やすのが好きだった。紙が焦げて黒ずんで、縮んで、灰になっていくのを見るのが好きだった。



 わたしは髪を長く伸ばすのが好きだった。ある程度まで伸びたら、前髪をハサミで短く整えて、切り落としたものは集めて、焚き火の材料にした。髪の毛は燃えるとものすごい臭いがする。人間が燃えるとき、こんなひどい臭いがするのだろうか。



 小学校を卒業するころ、散々やっていた「火遊び」が親にばれて、学校にも知られた。わたしは結構ひどく怒られて、しばらく親の監視が厳しくなった。それ以来「火遊び」は禁止されて、わたしのフラストレーションは溜まる一方だった。

 大学生になって、わたしは家をでて東京でひとり暮らしを始めた。

 そこで出会ったのだ、香菜ちゃんと。



 香菜ちゃんは一浪していて、わたしよりひとつ年上だった。すぐに誕生日を迎えて二十歳になっていて、すぐに煙草を吸い始めた。祖父も父も兄も喫煙者なのでその影響だと言っていた。

 わたしは、香菜ちゃんが煙草に火をつける、その仕草が好きだった。

 煙草を口にくわえて、左手で顔を覆い隠し、右手にそっと隠し持ったライターで火をつける。その時、目が細くなって、長い睫毛がわずかに残った瞳を覆う。

 とても色っぽい。

 そんな彼女の口元で揺れる火は、さらに美しかった。

 だけど、香菜ちゃんには入学したときから、年上の恋人がいた。すぐに別れたけど、また新しい人を見つけて一緒になった。それを何度も繰り返していて、――わたしの入る隙間はない。

 まるで、一瞬でも火が消えてはいけない蝋燭の火のようだと思った。香菜ちゃんはいつも燃えていないといけない、一度でも消えてはいけないのだ。



「穂乃果ちゃんって、なんか燃え尽きてるって感じだよね」



 ある日、香菜ちゃんはわたしにそう言った。

 いつものように、口元に火を揺らしながら。



「覇気がないっていうか、何事に対しても、エネルギーがない? そんな感じ」

「そんなことないよ」

「大失恋でもしたの? それとも夢をあきらめたとか?」

「う~ん」

「思いつかないんだ? つまんな。生きてて楽しい?」

「あんまり」



 ふーっと香菜ちゃんに煙を吹きかけられる。

 鼻の穴から紫煙が飛び込んできて、思わずむせ返る。



「人生一度きりなんだから、やりたいことやらなくちゃだめだよ」



 とても大人っぽい笑顔で香菜ちゃんは言った。わたしだってそう思う。だけど、「火遊び」を見とがめられた子どもの頃以来、わたしの気持ちはずっとくすぶったままだ。わたしのほんとうにやりたいことって、いったいなんだろう。







 ある日、飲み会の帰りに香菜ちゃんを家に泊めたことがあった。その時香菜ちゃんはちょうど恋人と喧嘩して別れた後だったみたいで、口では散々軽口を叩きながらもものすごい酔っぱらっていた。半ば引きずるようにシャワーを浴びせてベッドに寝かせると、わたしはものすごい力で引き倒された。



「ね、いいでしょ」

「もうっ、酔っぱらって……」

「いや?」



 香菜ちゃんは背が高いのに、ものすごく体重が軽くて、ほっそりしていた。それなのに力は強くて、ぜんぜん振りほどけない。

 いつの間にかわたしはベッドに押し倒されて、服を脱がされていた。



「あ、」



 香菜ちゃんは露になったわたしの胸にうかんでいる赤い痣を見て、大きく目を見開いた。わたしの胸に生まれたときから浮かんでいる赤い痣。成長しても、小さくなったり消えたりすることはなく、ずっとそこに在る。



「なにこれ。火傷?」

「生まれつき……」

「病気? 痛いの?」

「ううん。ただの痣」

「なんか痛そう」



 香菜ちゃんは痣を手で撫でて、それから舌を這わせて舐めた。

 くすぐったくて笑ってしまいそうだったけれど、そうすると香菜ちゃんはすごく不機嫌そうな顔になってむすっとする。そして、乱暴にわたしにキスをした。



 香菜ちゃんは暗い部屋の中で、ベッドに腰かけて、煙草に火をつけた。

 煙草の匂いが、わたしのアパートの中に充満する。

 香菜ちゃんの髪の毛からは、シャンプーの匂いと甘い香り、それから煙草の匂いがした。



「なんか、流されるままって感じだね。穂乃果ちゃん」



 わたしは服を着るのもなんだか面倒で、ベッドの上でぼんやりと、香菜ちゃんのことを見ていた。



「つまんない。なんか、もっと楽しく生きたらいいのに」

「楽しくって……?」

「そりゃ、人によるけど」

「香菜ちゃんは楽しそうだよね。恋人をとっかえひっかえして、わたしにもちょっかい出して。後先考えてないって感じ」

「いいじゃん。気持ちよかったし」



 煙草を灰皿の中に押しつぶすと、香菜ちゃんはベッドに倒れ込んで、寝ころんだままのわたしに無理矢理キスをした。煙草の匂いがしてすごく嫌な気分だったけど、わたしはされるがままになっていた。



「今日のお礼」

「え?」

「私のこと、好きにしていいよ」

「何でも?」

「何でも」



 わたしは香菜ちゃんのライターを借りた。香菜ちゃんに似合わない、ちっともかわいげのないゴツいジッポーだった。火をつけると、オイルの匂いがつんと鼻をつく。

 わたしは香菜ちゃんの綺麗に整えられた髪の毛に火をつけた。

 ほんの少ししか焼けなかったけれど、電気を消した暗い部屋の中では、それはとても明るい炎のように見えた。



「終わり?」



 香菜ちゃんはつまんなそうにジッポーを奪い取ると、今日何本目かの煙草に火をつけて、思い切り煙を吸い込んだ。

 そして、ふーっと煙をわたしの顔に吹きかけたあと、裸のままの胸の赤い痣に火を押し付けた。

 熱い。

 だけど、不思議と痛くなかった。ツボをつかれているかのようだ。



「やっぱりあんたつまんない。不感症じゃん」



 また、火を吸い込む香菜ちゃんの姿は、ほんとうにきれいだった。



 結局、香菜ちゃんと寝たのはそれが最後だった。しばらくして香菜ちゃんは休学し、そのままなし崩し的に退学してしまった。どこかで恋人を作って、フリーターでもしているのかもしれない。もう彼女には会えない。きっとわたしが焼いた髪の毛も、とっくに切られて整えられているのだろう。

 だけどわたしの胸に残った痣は、ずっと消えないままだ。

 生まれる前にお母さんがみた炎より、あの夜の煙草の火のほうがずっと美しくて、力強い。わたしはそれが忘れられない。

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赤い痣 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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