残り31日(11月28日)その2
車はタワーマンションから少し離れた場所で停まった。僕は手元のバッグから、ラバーの手袋と、金属で出来た楕円状の輪を取り出した。
「それ、何?」
「毛利さんが僕に貸してくれたものだよ。いざという時のため、らしい」
メリケンサックというのに近いのだろうか。ただ、それとは違ってギザギザの突起はない。
丸腰で向かうほど、僕も無謀じゃない。恐らく、こいつの出番はあるだろう。
由梨花の顔が強張ったのが分かった。僕はそっと、頭を撫でる。
「大丈夫」
妙に頭は落ち着いていた。これも、「覚醒レベル」が上昇したことによるものだろうか。
今の僕には、かなり明確な「未来の記憶」がある。知識も、恐らく「39歳相当」のものになっているだろう。
ただ、感情や心の動きは、2021年の僕そのものだ。……今のところは。
車から出て、グランメゾンタワーに向けて歩く。仁さんたちは、既に所定の位置に付いているはずだ。問題は、何一つない。
タワーに入るとインターフォンで、4101を押す。返答なしに、静かに自動ドアが開いた。由梨花が、手を繫ぐ力を強めた。僕もそれに応じるように握り返す。
エレベーターは、ゆっくりと上昇していく。時間が経つのが遅く感じられた。
そして、僕らは坂本が待つ部屋の前に立った。
「由梨花は下がっていて」
「……うん」
チャイムを鳴らすと、金髪の大男が出てきた。
「入んな」
「あなたが先に歩いてくれ」
「……は?」
「由梨花が傷つけられるリスクは、なるべく抑えたいんだ。それに、あなたたちの目的は、僕だろ?」
無言で男が僕を睨み付ける。空気が張り詰める中、向こうから声がした。
「その通りにしてやってくださいよ、堂島さん」
「……ちっ」
舌打ちすると、男は僕らの前を歩き始めた。どこか饐えた臭いがする。……佐藤さんは、無事なのだろうか。
そして、男がドアを開くと、視界が一気に開けた。全面ガラス張りの広いリビングの向こうには、痩せた茶髪の男がソファーに座っている。両脇は、明らかにボディーガードと思われる男が固めていた。
茶髪の男がニコリと笑った。
「初めまして、そしてお久しぶり……かな」
「あなたが坂本か」
「そうだ。慶應義塾大学法学部の坂本竜太だ。会えて嬉しいよ」
奴は立ち上がると手を差し出してきた。僕はそれを無視する。背中に、僕のシャツを摑む由梨花の手の感触がした。
「……佐藤さんは無事なのか」
「無事だよ?ただ、今は取り込み中でねえ」
向こうから、誰かが叫んでいる声がした。はっきりとは聞こえないが、それが佐藤さんのものというのは理解できた。
「優結!!」
「……大丈夫だ、由梨花」
僕は少しだけ振り返り、極力静かに言った。リビングの奥から、さらに1人、男が現れる。僕らを案内した男と合わせ、5対1……幾ら何でも不利だ。
ただ、想定以上ではない。
「そっちの狙いは、僕だろう?由梨花と佐藤さんは関係ない」
「いや、関係はあるよ。1年前はあいにく逃げられたからね。おかげで好きでもない女を抱くことになった」
「そして殺したのか」
ハッ、と坂本が嘲笑った。
「事故だよ?セックスをしていたら途中で泡を吹いてねえ。感じすぎて、文字通り逝ったらしい」
「『AD』のオーバードーズだろ?それも、恐らく分かっててやった」
坂本が真顔になった。
「……『デウス』の危惧してた通りかよ。『未来の記憶』が、相当戻ってるのか」
「そして、それを完全に取り戻させるのが、本当の狙いだ。だが、そうはいかない」
僕はポケットに手を突っ込み、金属の輪……「スタンナックル」を握った。同時に、坂本の両脇にいた男たちが、拳銃を僕に向ける。
「下手なことはするなよ?大事な大事な由梨花ちゃんに、流れ弾が当たったら大変だもんなあ?」
「……そうだな」
向こうから、残りの男2人が歩いてくる。僕を捕まえようとしているのだ。由梨花が「俊太郎……!!」と叫ぶ。
その刹那。ガラス張りの窓の向こうに、何かが浮かんでいるのを、僕は確認した。……ドローンだ。
僕はニイと嗤う。
「……?」
男たちが怪訝な表情になった、次の瞬間。
窓の外に、命綱を付けた2人の男が現れた。そして、彼らはガラス窓を蹴り、反動を付ける。
「由梨花、伏せろっっ!!!」
バンバンバンッッ!!!
バリィィィィッッ!!!
ガラスに何かが撃ち込まれる音。そして、男2人……仁さんと赤木刑事がヒビの入ったガラスを蹴破って、リビングに雪崩込んできた!!
「何っっ!!?」
僕は由梨花を見る。大丈夫、無事だ。そしてそれを確認すると、突然の闖入者に呆気に取られている、堂島と呼ばれた男に向けてボディーブローを叩き込む!!
「ぐおっっっ!!?」
男はそのまま崩れ落ちた。
「スタンナックル」は、握りに応じて電流が流れる仕組みになっている。いわば、一種の「殴るスタンガン」だ。直撃すれば、少なくともかなりの苦痛を与える。まず、しばらくは立ち上がって来れまい。特に「AD」を服用しているなら、なおさらだ。
「このガキがっ!!」
もう一人の一重の男が、蹴りを見舞おうとする。速いっ!!
バックステップで、それを紙一重で交わす。風圧が僕の顔を撫でた。この速度、間違いない。「AD」を使っている。
「由梨花は玄関にっ!!」
そう言うやいなや、次の蹴りが飛んでくる。空振りに終わったその蹴りは、壁に大きな穴を開けた。……これは、受けることすら致命傷になりかねない。
冷や汗が額を伝う。由梨花を庇いながら戦うのには、やはり限界がありそうだ。
ドンッ!!!
「ぐふっ!!?」
向こうでは、仁さんと赤木刑事が坂本の取り巻きを既に倒していた。銃弾は本物じゃなく、貫通性に乏しいゴム弾だけど、「AD」で痛覚が鋭敏になっている相手にはとてつもなく有効だ。
「竹下君っ!!」
「分かってますっ!!」
坂本の姿は……ない!?奥に消えたかっ!
「行かせるかよ!!」
一重の男が大ぶりのパンチを繰り出して来た。身体が流れている。……好機!!
僕はそれを拳で受け流す。そしてその勢いのままに懐に後ろ向きで潜り込む。腰をかがめ、パンチを出してきた右腕を取った。
「うおおおおおおっっっ!!!!」
カウンターの、一本背負いだ。
ドスッッッ!!!
「ぐあっっっ」
背中から倒れ込んだ男の腹に、「スタンナックル」をぶち込むと、男はそのまま白目を剝いた。僕は由梨花を探す。
「由梨花っっ!!!」
廊下を見ると、そこには……
「しゅ、俊太郎っっ……!!」
彼女は、全裸の男2人に捕まっていた。そして、廊下の別のドアから、坂本が顔を出す。……リビングの入口は、1カ所だけじゃなかったのかっ!
「よくやったよ。……さて」
坂本が銃を由梨花に向けた。
「あんたを半殺しにして動けなくした上で、彼女を犯し、絶望させた上で殺そうと思ったんだけどね……ちょっと予定変更だ」
……やめろ。
僕の内側から、熱く、どす黒いものが湧き上がってくるのを感じた。
まずい。これは……本当に、まずい。
「ま、死んでも穴があれば楽しめるしな。じゃあ、そういうことで」
「やめろおおおおっっっ!!!」
パンッッッ!!!!
……
…………
倒れたのは、坂本だった。
「そっちに行くなら、俺たちを倒してからにすべきだったな」
「仁さん!!!」
坂本は、苦悶の表情でうずくまっている。男たち2人も、立て続けに赤木刑事に撃たれ、沈黙した。
「な……何……だよっ……!!!」
「プロを舐めるな、ということだ。とりあえず殺人未遂、ならびに拉致監禁、銃刀法違反の現行犯で12時12分、逮捕する」
仁さんは手早く手錠をかけた。廊下沿いの部屋から、全裸の佐藤さんが由梨花に飛びつく。
「由梨花ぁ……!!!」
「優結……ごめんね……」
仁さんはふうと息をついた。
「すまなかったな。木ノ内さんに、怖い目に遭わせてしまった。俺も少々、見通しが甘かった」
全裸の男2人に手錠をかけ終えた赤木刑事が、肩をすくめる。
「SWATを使えねえから仕方ねえさ。『リターナー』関連の事件で、『本店』は動かせねえからな。第一、『AD』服用者の処理は初見じゃ難しい。感覚が鋭敏になったのを逆手に取るのが鉄則だからな」
「まあ、それも赤木さんが第一空挺団出身だからできることですけどね」
「全く無茶をやらせるもんだぜ。ダイ・ハードのブルース・ウィルスばりの突入劇かよ」
仁さんは、倒れている坂本に向けてしゃがみ込む。
「ま、訊きたいことは腐るほどある。お前らのトップが誰か、そして『AD』をどう調達したか、とかな。それは後でゆっくり訊いてやる。……竹下君は、大丈夫か」
「……ええ、何とか」
どす黒い感情は、どこかに消えていた。……あれが「目覚める」と、僕はどうなっていたのだろうか。
「なら良かった。とりあえず、応援が来るまでしばらく待機しよう。7人全員を収容するとなると、少々時間がかかる」
「これで、もう大丈夫なんでしょうか」
「……どうだろうな。ざっと見るに、住口会の連中が絡んでいるのは間違いない。ただ、『AD』は切れたはずだ。少なくとも、量はほとんどない。
あとは『グレゴリオ』のトップである、柳沢と大仏を上げられればいい」
内容とは違い、仁さんの表情はさえない。
「……まだ、何かあるんですか」
「いや、どこか腑に落ちない。やり口が、乱暴に過ぎる。いくら部下にやらせるにしても、だ」
赤木刑事が頷く。
「だな。俺らのことをこいつらが知らなかったにしても、事が明るみになった時のリスクが大きすぎる。殺人を犯すのが前提の計画だしな。
第一、由梨花ちゃんを殺すことで『覚醒レベル4』に竹下の兄ちゃんがなったら、その場で皆殺しまであるだろ?つまり……」
「ええ。多分、成功するにしても、失敗するにしても、こいつらは切り捨てるつもりだった」
仁さんが焦った様子でスマホを手に取った。
「えっ」
「柳沢と大仏が、姿を消すかもしれん。ひょっとしたら、永遠に。至急、確認に向かわせる」
*
仁さんの判断は、一歩遅かった。
柳沢和臣と大仏宏樹は、既に行方不明になっていたのだ。
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