残り46日(11月13日)


「あ、こっちこっち」


表参道ヒルズの前で、薄い赤のシャツを着た長髪の女性が手招きする。あたしは軽く会釈をして、彼女のところに向かった。


「こんにちは。待ちました?」


「大丈夫。私もさっき来たところだから」


愛結さんが笑う。……あれ、1人なのか。


「『コナン』君は」


「彼は離れた所にいるわ」


彼女の視線の向こうに、ベンチで本を読んでいる少年がいる。髪型がオールバック気味で、眼鏡もかけていないけど、よく見ると彼だ。


「え、いいんですか」


「いいの。今日は女子会、そういうこと」


愛結さんから誘いがあったのは3日前だ。週末会えないかとLINEが来た時には、少し戸惑った。しかも俊太郎抜きで、ということらしい。

俊太郎とは早稲田祭から会っていない。LINEはやり取りするけど、どこか素っ気ない……というか距離を取ろうとしているように感じる。

あたしが危険な目に遭ったことに対する、負い目なんだろうか。


怖くなかったか、と言えば嘘になる。でもあの時、彼が私を守ろうとしてくれたのは、本当に嬉しかった。

その感謝の気持ちを伝えたかったのだけど、例のオルディニウムの調査とかで忙しいと、デートの誘いは断られてしまった。


もし、彼の「記憶」に間違いがないのなら、エバーグリーン自由ケ丘が倒壊するまでもう50日を切っている。

そろそろ、あそこに何があるのかを証明しないといけない頃だ。だから、俊太郎が忙しいと言っているのは、多分本当なのだろう。

それでも、会えない寂しさは募る。力強く抱いて欲しい。温もりを感じたい。そう素直に言えればいいのだろうけど、それをしない程度の分別はまだあるらしかった。


そんな中での愛結さんの誘いに、あたしは乗った。

人生経験が豊富な彼女なら、きっとこのモヤモヤとした感情をどうすべきかについて、それなりのアドバイスをくれるんじゃないかと思ったからだ。


「どこに行くんですか?」


「『カフェ・アンジュ』。聞いたことない?」


「あ、あります!確か、有名なパティシエールですよね」


「そう、そこ。予約で席を取ってるから、ゆっくり話せるわ」


「予約って、大変じゃなかったですか?すごい人気だって」


愛結さんはクスクスと笑った。


「ちょっと無理を言って、お願いをね」


あそこも「リターナー」と関係があるお店なのだろうか。想像以上に、彼らのコネクションは広いらしい。


しばらく歩くと、小さなビルと若い女性の列が見えた。あそこの一階が、「カフェ・アンジュ」らしい。

黒と茶色で統一されたその内装は、重厚で上品な印象を与える。ここには一度優結と行こうという話にはなったけど、かなり並ぶと聞いて断念していたという経緯がある。


振り向くと、「コナン」君は列の最後尾に並んでいる。

その脇を通り愛結さんが店員に予約の旨を告げると、奥の席に通された。


「いいんですか?」


「ああ、大丈夫よ。彼は好きで並んでるから。それに行列で待っていれば、誰かが来た時に対処しやすいでしょ?」


「まあ、確かに」


あたしはザッハトルテ、愛結さんはピスタチオのケーキセットを注文する。しばらくすると、ケーキと色とりどりのソース、そしてソルベが乗せられた大きめの皿が運ばれてきた。


「すごい……こんなに豪華なんて」


「写真撮る?インスタ映えするけど」


「あ、インスタはやってないんです。愛結さんは?」


「私も。どうにも、SNSは苦手なの」


ザッハトルテを口に運ぶ。濃厚な甘みと、豊潤なカカオの風味が口一杯に広がった。

とても美味しいと感じると同時に、俊太郎がここにいないことを、私は心から残念に思った。……こういうのは、彼と一緒に味わいたい。


「……美味しい、です」


「浮かない顔ね。彼のことを、考えてる?」


「……!はい。正直、ちょっと不安で」


「だと思った。私も、経験した身だから」


「というと?」


愛結さんはピスタチオのケーキを口に運んだ。


「『リターナー』相手の恋って、色々大変なの。相手は自分の知らない時間を生きてて、それは決して共有できない。

それがどんな苦しみや痛みだったのかも、言われれば理解はできるけど、それを共感はできない。

そして、そのことに相手も悩んでいるけど言い出せない。だから、気持ちがどこかすれ違ってしまう」


「愛結さんにも、そういうことが」


「昔、ね。今も、『コナン』君の心の内は、完全には分からない。

まして、私と彼とでは、見た目の年齢が随分違う。決して世間にバレてはいけない恋だし、本当の意味で結ばれるのには時間もかかる。

そしてその時が来たとしても、私が老いて、魅力がなくなってないかは、今でも不安なの」


フッと、寂しそうな表情が愛結さんの顔に浮かんだ。


「俊太郎君は、『覚醒レベル』2だと聞いてるわ。多分、彼の中に眠る『未来の記憶』と現実との折り合いに苦労している頃だと思う」


「『コナン』君にも、そういう時期が?」


愛結さんは静かに頷く。


「彼はすぐに、人格も未来のそれに統合されちゃったけどね。でも、それはそれで大変だった。

俊太郎君の場合、もしそうなったら彼よりかなり難しいことになるって聞いてる。だから、俊太郎君が『壊れそう』になったら、あなたが全力で支えてあげてほしいの」


「支える?」


「そう。彼が、あなたの愛する彼であり続けるために。彼は彼で、苦しんでるでしょうから」


ソルベが溶けかかっているのに気付いて、慌ててそれをすくった。フランボワーズだろうか、濃い酸味を感じる。


「でも、具体的にどうすれば」


「彼には、あなたに隠している『未来の記憶』がまだあるんじゃないかしら。私も、『コナン』君からその点についてはざっくりとしか聞いてないけど」


「え……何ですか、それ」


体温が下がった気がした。俊太郎が、何かを黙ったままにしている?

愛結さんは、軽く首を振った。


「ごめんなさい。私も、そこについては突っ込んで聞いてないの。それに、多分それについては、彼の口から自発的に聞いた方がいいと思う」


……そうなのか。でも、俊太郎が隠し事をするなんて、余程のことだ。一体、未来に何が起きるというんだろう。


「……分かりました。ところで、愛結さんの場合、どうやって支えたんですか?」


「え……あ……そ、それはね……」


「そこまでだ」


「コナン」君が、いつの間にかテーブルの所に来ている。愛結さんは「ハハハ……」と作り笑いをしていた。


「えっと、聞かれただけだからね?」


「それは分かるさ。ただ、詳細をここで話すのは色々不味いだろ」


彼は私たちの隣のテーブルに座ると、慣れた様子で「サオトボルージュのセット」と注文する。聞いたことがない名前のケーキだ。


「あー、それ気になってたのよね」


「じゃあ後でシェアしよう。……木ノ内さん」


「コナン」君があたしを見た。


「どんなことを言われても、あなたはそれを受け止めてあげてほしいんです。僕の口からは詳しく言えないけど、多分近いうちに竹下さんはあなたの助けが必要になりますから」


「……俊太郎に、何が起きてるんですか」


「コナン」君は少し間を置いて、口を開いた。


「竹下俊太郎の『覚醒レベル』が上がり始めています。『未来の人格』の侵食、と言ってもいい」


あたしは席を立った。


「今すぐ行かないと……!」


「待って下さい」


「コナン」君が首を振る。


「やめた方がいいです。下手に刺激すると、酷く不安定な状態で『目覚める』ことになる。それは、あなたにとっても、彼にとっても、不幸なことになります」


「じゃあ、どうすれば!?」


彼は目を閉じ、そして口を開いた。


「あくまで、彼が進んで話をする方向に持っていって下さい。決して、無理強いしないこと。

『覚醒レベル』の上昇を抑え、穏健な形で人格を安定させるには、必要なことです」


「……待つしかない、ということなの?」


「そういうことです。辛いかもしれませんが」

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