残り70日(10月20日)その1
「待ってたよ」
赤門を出ると、黒いスーツに身を包んだ仁さんが手を上げた。
これまで見てきた彼はラフなワイシャツ姿ばかりで刑事っぽさはあまりなかったけど、こうして見るとかなりの威圧感がある。やはり、今まで見せていたのは彼の本当の姿ではなかったらしい。
「……遅くなりました」
「まあ、まだ時間には間があるから大丈夫だ。路地に車を待たせてある。行こうか」
仁さんについていくと、シルバーのレクサスが停まっていた。カーウィンドウが開くと、強面の中年男性がニヤリと笑った。
「そいつが、例の子か」
「ええ」
「とても未来のテロリストには見えねえがな」
「赤木さん、今はまだどこにでもいる大学生ですよ。あまり刺激しないで下さい」
「っと、それもそうだな。悪かったな、兄ちゃん」
僕は後部座席へと促された。レクサスは、ゆっくりと動き出す。
「この人も、仁さんと同じ『リターナー』なんですか」
強面が苦笑した。
「いや、俺はただの一般人よ。成り行きでこいつらの正体を知っちまったんで、それに付き合ってる」
「一般人ではないでしょう、赤木さん」
「ハハハ、まあな。俺の名は赤木航。仁と一緒に、警察庁に出向の身だ」
「出向、ですか」
僕の問いに、赤木刑事は肩をすくめる。
「俺も仁も、元は埼玉県警だったんだがな。ま、ある事件を機に『リターナー』……兄ちゃんみたいな未来からの『巻き戻り』の存在を知ってな。
それで警察庁に協力してるってわけだ。ただの使いっ走りだけどな」
「の割に、検挙率は俺より上でしょう。荒事じゃ俺は勝てない」
「お前らみたいに『未来の記憶』があるわけじゃねえからな。力技でやるしかねえってことよ」
ハハハと笑いながら、赤木刑事はハンドルを切る。車は大手町方面に向かっているようだ。
「先週はすまなかったな。気持ちの整理は大変だっただろう」
「いえ……何となく腑に落ちました。悪夢の理由も、分かりましたし」
仁さんから、僕が未来のテロリストであると聞かされた時は正直背筋が震えた。ただ、「馬鹿な」という怒りは湧いてこなかった。
崩れ行く三友グランドタワーの夢。あの夢の中の僕は、間違いなく達成感と喜びを抱いていた。
そして、もし由梨花が誰かに理不尽に殺されたのだとしたら……僕はその怒りを、制御できるだろうか。
そして、僕には……その怒りを破壊に変える知識がある。いや、厳密には「将来は」ある。
オルディニウム。プルトニウムより遥かに少量で、遥かに強いエネルギーを放つそれを使える立場に僕があるとしたら。
もちろん、無差別殺人など考えただけでゾッとする。そんなことは、いかなる理由があれ決して許されはしない。
ただ、多分「未来の僕」は、怒りと悲しみと絶望のあまり、狂ってしまったのだろう。そして、由梨花の死の原因を作った三友地所に、その憎しみを向けた。
その行動に、共感はできない。ただ不思議と、理解はできた。
これが未来を「思い出す」ということなのだろうか。
晴れぬ顔の僕に、仁さんが苦笑した。
「まあ、そのうち慣れる。俺もそうだった」
「そうなんですか」
「ああ。別の自分がいるような感覚だろ?人格ごと『思い出さない』なら、それが続くと思った方がいい」
「人格?」
「ああ。未来の記憶がどこまで戻っているかで、4つのステージがある。レベル1ではごくうっすら未来の記憶がある程度にとどまる。2がまだら模様だが、断片的な記憶がある状態だ。
レベル3でかなりはっきり、細かい事項を認識できるようになる。4が人格ごと未来の自分にすり変わってる状態だな」
「仁さんは、レベル4なんですか」
ハハハ、と仁さんが笑った。
「俺は3だよ。俺も4に戻るとまずい人種らしいがな。
4は数えるほどしかいないらしい。お前が会った『コナン』はその一人だ」
「あいつも、警察……何てことはないですよね」
「そのまさかだ。あいつの『実年齢』は30歳、本来の階級は警視だ」
30歳、か。道理で言動が子供離れしているわけだ。
「これから向かう先にもあいつが?」
「まあな。多分、君の協力者になる人物を連れてくるはずだ」
「彼も『巻き戻り』……『リターナー』なんですか」
「いや。三友地所の関係者だ。というより、倒壊の原因を作った人物だが……どうも、一筋縄じゃいかない話になったらしい。それはこれから説明があるはずだ」
車はいつの間にか、神保町の交差点を抜けている。そろそろ、らしい。
「それにしても、そんなに未来からの『リターナー』が多いなんて」
「俺たちも正確に把握できているわけじゃない。ただ、警察だけでも10人はいる。君のように無自覚なのを含めたら、どれだけいるか分からない。
だから俺たちの役割は、未来に起きるであろう犯罪の抑止だけにとどまらない。他の『リターナー』がその知識を使って犯罪などを起こさないように監視するのも、俺たちの職務だ」
「どうして僕に『未来の記憶』があると?」
仁さんが、少し言い澱んだ。
「それも説明があるかもな。君が『最重要監視対象』なのは、単に君が未来において当時最悪のテロリストだからじゃない。もっと本質的な理由がある」
車がロータリーに入った。ホテルか何かだろうか。
「降りてくれ。人が待っている」
「『協力者』、ですか」
「いや、彼はまだだ」
僕は仁さんと赤木刑事に挟まれる形でエレベーターを上に昇る。ホテルの最上階の一室が、僕らの目的地らしい。
「失礼します」
そこはロイヤルスイートルームのようだった。一泊数十万もするような場所に、誰がいるというのだろう。
奥のテーブルに、頭が少し禿げかかった小男が座っている。どこか無機質で、不気味な印象を与える人だ。
「来たな」
仁さんと赤木刑事が、揃って敬礼した。
「彼が竹下俊太郎です」
男はさっと僕を眺めた。そして短く「座ってくれ」と告げる。
「夕食は取ったかな」
「……いえ、まだです」
「ルームサービスを取っていい。金は気にしなくていいから、好きなものを食べてくれ」
静かに、メニューを差し出された。……とてもルームサービスの値段じゃない。
「一体、あなたは」
「失礼した。私はこういう者だ」
渡された名刺には「内閣官房副長官 網笠博」とある。政治家だったのか。それも、相応の地位の。
「この名刺も総選挙後はどうなるか分からないがね。一応、赤木警視と毛利警部の直属の上司に当たる」
「あなたが、『リターナー』のトップなのですか」
「私の上にもう一人……いや二人いるが、それは今話すことではないな。注文は決めたかな」
抑揚のない声で、網笠氏が告げる。僕はオムライスデミグラスソースを頼んだ。
「どうして、僕をここに」
「幾つか理由はある。既に毛利警部から聞いているかもしれないが」
「エバーグリーン自由ケ丘の倒壊を防ぐために、協力者に会わせると」
「そうだ。そして、今後の方針を話し合うことになる。ただ、それだけではない。君という人間が、どこまで危険なのかを見定めるためだ」
「……え?」
「君が恐らく覚醒レベル2であるのは聞いている。だが、君が問題なのは……青山憲剛の教え子であるという点だ。それも、優秀な」
「それに、一体どういう関係が」
質問の意図がさっぱり分からない。青山教授に教えてもらっていることの、何がまずいのだろう?
網笠氏は僕を静かに見た。
「今から話すことは、他言無用だ。だから君を早く呼んだわけだが。
青山憲剛は、『恐らく』今のこの現象の核心にある。つまり、世に『リターナー』が溢れる原因を作ったのが、彼だ。
ただ、あの男に近づく手段は限られている。君は、あの男の監視役としても適切、というわけだ」
血の気が引いた。馬鹿げていると言いたかったけど、口に出なかったのは……きっと僕にその「記憶」が微かにあるからだ。
「……どういうことですか……あ」
網笠氏が、小さく頷いた。
「思い出したみたいだな。高純度オルディニウムの特性だよ。あれが核分裂を起こすと、核爆発の前に空間と時間の歪みが起きる。結果、東大本郷キャンパス周辺にいた相当数に、精神だけのタイムスリップが生じた。
青山がどうも、オルディニウムによる核分裂を生じさせたらしいことは推測されている。ただ、青山がなぜそのような行為をしたのか、事故なのか事件なのかは、未だに判然としない。
だから、青山に近い君を、十全な形で引き込む必要があったというわけだ。奴の監視のために、な」
僕は唾を飲み込んだ。とんでもない話に巻き込まれてしまったのを、僕はようやく理解した。
「そんなことが、僕にできると?」
「だから『見定める』と言った。とりあえず、レベル4には程遠いようで安心したがね。
それに、第一にエバーグリーン自由ケ丘の事故を防ぐことだ。君が最悪のテロリストにならないようするためにも、これは重要な話だ」
その時、チャイムが鳴った。
「藤原、入ります」
振り向くと、「コナン」とその父親が現れた。そしてその後ろから、白髪交じりの中年の男性がやってくる。
「……君が、竹下君か」
男性は僕に名刺を渡した。水元敬士、というらしい。総合開発部第一部長というのがどういった役職なのかは分からないけど、偉い人なのだろうというのは理解した。
網笠氏が僕らを見渡す。
「さて、全員揃ったな。では、『会議』を始めよう」
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