第7話 誓約の首輪の力

 時が止まる。呼吸音さえ聞こえそうな静謐せいひつさが支配する中、少年は息を呑んだ。親衛隊とは帝都の護衛を司る騎士の中でも、主に皇帝一族を守るために選りすぐりの者を集めて組織されている部隊であり、彼らが守るべき対象に刃を向けるなど微塵も想像できなかった。


 万が一あるとすれば、追われる者は余程の重罪を犯したか。理由を知りたい。少年はそっと拳を握りしめた。聞くというのは選択肢を生み出す行為だ。


 それは未来へ繋がる希望の道にも、聞いたとしても自分には何もできず、ただ後悔と傷跡を残す道にもなりうる。一度尋ねてしまえば、尋ねなかった時の選択肢には二度と戻ることのできない、まっすぐ伸びた一方通行の一本道。それでも知りたいと思ったのは、尋ねなければこの先喉に刺さった魚の小骨のような不快感が胸の奥底に残り続けるであろうことは想像に難くなかったから。


 「皇女じゃないっていうのはどういう意味だ? 教えてくれよ。事情を知らなかったとはいえ、俺は殿下を助けたことですでに関わっちまったんだ。加えて、誓約の首輪もあるときた。今度どんな火の粉が降りかかってくるのか予想するには情報が足りない」


 少年がさらに尋ねてくる可能性をほとんど考えていなかった皇女は、予想外の反応に目を丸くする。だが、命を助けてもらったことで芽生えた信頼と不用意に魔術をかけてしまった後ろめたさから口を開いた。


 「十日前。私の家族が住まう城でお母様が殺されたのです」


 「母親っていうことは……亡くなったのは皇后様!?」


 「はい。そして私は……皇后殺害の容疑で追われているのです。事件があった日の夜、気付いたら凶器を持っていて、それで、それで……目の前にはお母様が倒れていて……。でも私にはお母様を手にかけた記憶がなくて……」


 そんなことがあり得るのだろうか。あまりに突拍子のない発言に、皇女の言った内容を確かめる術をすぐには思いつくことができない少年は心の中で首を捻った。


 「記憶か……」


 目に見えて動揺する皇女を見ながら、思考にふけっていたせいで一歩も動かなかった少年とは対照的に、サラはぽつりと言葉をこぼしながら呼吸が浅く早くなり始めた皇女の側に駆け寄った。そのまま安心させるように背中をさする。呼吸が落ち着くのを待って、サラは一つの提案をした。


 「殿下。お辛いかもしれませんが、その時のことを思い出すことはできますか? 今でしたら、ナインとその時の記憶の共有ができるはずです」


 サラは少年と同じことを考えていたらしく、解決策を提案してきたのだ。問いかけに皇女は少し考えるそぶりを見せると、すぐに首を縦に振った。一方、少年は彼女がやりたいことは分かるものの、具体的な方法が分からず首を傾げた。サラはそんな彼の首を指す。


 「誓約の首輪は互いの運命を共にするという代償と比較すると些細なことかもしれないが、メリットが二つある。その一つが記憶が共有できるというものだ」


 「誓約の首輪を介して、俺が記憶を確認してくるってことか。まぁ確かに、その方が言葉で説明されるよりもいいか。ちなみにもう一つのメリットというのは?」


 「互いの位置が分かる」


 「それだけ?」


 「それだけ。元々戦で敵に追い詰められた魔術師が、相手を道連れにするために生み出された代物だからね」


 (とんでもない術だな)


 げんなりした表情の少年をひとまず置いておいて、サラは皇女に彼の首に触れるように頼んだ。


 「失礼しますね」


 恐る恐るといった様子で小さな手が伸ばされ、少年の首に添えられる。温かい。と同時に伝わる小刻みな震え。少年は皇女の目をまっすぐ見ると、微笑んだ。


 「記憶を自分に送った後は、目をつぶってもらって構わない。嫌な記憶を二度も見る必要はないからな」


 「ありがとうございます、ナイン。だけど私が今生きていられるのは、現実を中々受け入れることができなかった私の手を引いてくれた人たちのおかげなのです。だから今度は私の番。もう逃げません」


 口を引き結んだ皇女を見て、少年はサラに頷いてみせた。


 「では殿下。ここからはイメージです。事件の始まりを思い出しながら、霊子をナインに送るイメージで」


 「始まりだけでいいのですか?」


 「はい。最初の記憶に霊子が絡み、残りは容易に引っ張り出すことができるはずですから」


 頷き、皇女の手に力がこもる。徐々に首に添えられた手の熱が高まるのを感じていると、互いの首に赤い鎖が再び現れ、光と熱を放ち始めた。目が眩むほどの散乱光。光から目を守るために目を閉じていると、不意に体が宙に放り出されたかのような無重力感に包まれる。


 (あれ、また光が? でもさっきとは違う)


 瞼の裏越しに感じた眩しさ。ゆっくりと目を開けると、少年の体は見知らぬ豪奢ごうしゃな部屋の中にあった。


部屋の隅々まで見渡すことができるほどの明るい光。朝だろうか。普段、太陽の光と夜に灯す蝋燭の明かりぐらいにしか馴染みがない少年は、後ろを振り返り、自分の考えが間違っていることを知らされた。


 「そうか。俺の当たり前はここでは当たり前じゃなかったんだな」


 大きな透明な窓から見えるのは見慣れた夜の闇。そのまま上を見上げると、光の正体がそこにあった。攻略者たちがダンジョンで回収した結晶――霊子結晶を加工して作られた「魔具まぐ」が煌々こうこうと光を放っていた。


 「ここは私の部屋です」


 少年の真横にはいつの間にか皇女が立っていた。その体は彼と同じように、幽体であるかのように色素がどこか薄い。


 「すごい部屋だな。魔具のおかげで夜でもこんなに明るいなんて。それにしても記憶の共有と聞いていたから、断片的なものかと思ってたけど、記憶をもとにした舞台を見ているみたいだ。驚いた」


 「それは私もです。合図もなく舞台は始まっているみたいですけどね」


 魔具の下。部屋の中央に置かれたテーブルを囲んで女性たちが座っていた。


 「今”記憶の中の私”の周りにいるのが大事な家族でもあり、近侍でもある者たちです」


 お茶とお喋りに興じている彼女たちは主人と従者という関係のはずであったが、和気藹々わきあいあいと笑顔で会話に花を咲かせる様はまるで姉妹のよう。


 『どうぞ。シャル様』


 「シャル様? 殿下とは呼ばれないんだな」


 「そこは引っかからないでください。シャルロッテは長いので、親しい者たちはシャルと呼ぶのです」


 赤面しながら説明してくれるシャルに少年は思わず吹き出しそうになったが、すんでのところで堪えた。


 「ああ、なるほどな。ところで近侍は全部で五人か? 殿下のすぐ横にいるのがクラリスさんか……あとの四人は城に残ったままなのか?」


 少年の質問にシャルはゆるゆると首を振った。


 「専属という意味ではあそこにいる五人だけです。ですがクラリス以外……みんな私を逃がすために次々に犠牲になりました。彼女たちにはもうどこへ行っても会えません」


 目を伏せるシャル。少年は最後まで大切な人を守り抜いて死んでいった四人の近侍に心の中でそっと哀悼の意を捧げた。


 「辛い……なんて言葉じゃ足りないよな」


 続く言葉が見つからない。昔自分が同じような運命を辿った時はどんな言葉が欲しかっただろうか、どんな言葉をかけてもらっただろうか。記憶を探ろうとしていた少年の耳朶じだを不審な物音が叩いた。


 「何だ、今の音?」


 「私の……悪夢の始まりです」


 どっ、どっと何か重たいものが倒れるような鈍い音が扉の外で響いたのだ。シャルを囲んでいた近侍の一人が扉の外へ鋭く言葉を発した。


 『どうした』


 扉の外には護衛の者が二人立っているはず。いつもなら尋ねれば、打てば響くように答えが返ってくるのだが、返ってきたのは沈黙のみ。その時、別の近侍が何かに気付いた。


 『城の中が静かすぎませんか』


 シャル専属の護衛として訓練を受けた彼女たちの感覚は常人を遥かに凌ぐ。鋭敏な聴覚が普段の物音を拾えないという事実が、彼女たちの胸中に暗雲を立ち込めさせる。主人であるシャルを不安にさせないよう、クラリスと他の近侍は目線のみで意思を伝え合うと、護衛目的で常時携帯を許可されている帝国兵装を各々手に取った。


 『クラリス、何が起こっているの?』


 『申し訳ございません。正直私も分かりかねている状況でございます。ですが、何があろうと御身はお守りいたしますので、ご安心ください』


 『分かったわ。だけど、無理はしないでね』


 花のような少女の微笑みに頷き返すと、クラリスは扉の左右の取っ手を掴んで待機していた仲間に小さく首を縦に振った。直後。扉が勢いよく開かれ、隙間に近侍たちの刃が次々突き刺さる。万が一敵が侵入を試みていたならば、間違いなく串刺しになっていたであろう斬撃。


 だが、変わらず動きがないことを確認すると扉が大きく開かれ、シャルの側で不測の事態に備えるクラリスを除いた四人が廊下に背中合わせで展開した。部屋の前に伸びる、なぜか普段よりも明かりの乏しい廊下の光に目を向ける四人。その刹那、彼女たちの足は地面に縫い止められたかのように動かなくなった。皆何か言おうと口を動かすも、誰の口からも言葉が出てこない。


 『護衛の方たちはそこにいらっしゃいますか?』


 主人であるシャルの質問でさえ誰も答えない。


 『殿下、少し外を確認して参ります』


 仲間の様子から察するに、ただならぬことが扉の外で起きている。クラリスは窓の外にも意識を広げ、何者もいないことを確認すると扉の外に出て仲間の視線を追った。


 『なっ……』


 絶句。扉の外にいた護衛は生きたまま人形にされたかのように、直立姿勢のまま床に転がっていた。

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