第6話 シャルロッテ・キャンベル

 誰かが自分の肩を揺すっている。ゆっくりと目を開けると、燭台しょくだいを掲げたサラの姿が目に入った。


 「よかった、目が覚めたか。霊子の光が家の中に見えたから、何事かと思ったらナインが倒れているんだからびっくりしたよ」


 「サラさん……」


 心配をかけてしまい申し訳ない気持ちになる。体に異常がないことを確認しつつ、ゆっくりと立ち上がると、サラの足元には部屋の外に置いておいたはずの薬があった。


 「あの薬草は高価だからね。こぼしていたら大変なことに……って、あれ? ナインはどうして冷たい目をして」


 「心配だったのは俺じゃなくて薬の方かよ」


 「あはは、そんなわけ……っ! 痛い、痛い! 人間の関節はそっちに曲がるようにできてないから!」


 わずかに残る倦怠感などなんのその。素早い動作でサラに腕ひしぎをきめた少年の目がスッと細まる。


 「棚にある葉っぱって、焚き火用の燃料だっけ?」


 「違うよ! 私の話全然聞いてないじゃないか!」


 抗議の声をあげていたサラだったが、口を閉じると首をひねった。感じたのは違和感。彼女の目は少年の首に吸い寄せられる。脈打つように少年の首に巻き付いていた鎖はサラの視界に入った途端、いたずらが見つかった子供のようにスッと隠れるようにして消え去った。


 「ナイン、その鎖……」


 「ああ、これ? 霊子の光に包まれた後に、気付いたら夢……みたいな世界にいたんだ。そこで俺に刺さったんだけど、そのせいかな?」


 少年の答えを聞き、脳裏に浮かび上がった一つの魔術名がサラのまなじりを釣り上げ、ベッドで震えながら己をかき抱く皇女を睨みつけた。


 「どういうことですか、これは? 皇女殿下殿」


 燭台を掲げた先。隙間風によって揺れる薄明かりが、闇の中に唇を戦慄わななかせる少女の顔を映し出す。不思議な少女だった。青いアーモンド型の目をはじめとした顔のパーツは小さな顔の中にバランスよく収まり、その美しい顔を縁取るように絹のような金髪が腰まで伸びていた。


 日に焼けている少年とは対照的に衣服から伸びる肢体は白いこともあり少し傷が目立つ。まるで美術品のような完成された美がそこにはあったが、どこかもの悲しい雰囲気を纏っているせいか、水泡のように目を離せば気づかぬうちに消えてしまいそうな。そんな儚さを感じる少女だった。


 (あれ? こいつ、前にもどこかで見たことがあるような……)


 相手は皇女殿下だ。式典などという豪華なイベントごとには縁遠い身ではあったが、どこかでその姿を見たのかもしれない。既視感の理由を考えていると、皇女が口を開ける。涼しげな声が聞こえてきた。


 「その方がサラさんと入れ替わるようにして、明かりも持たずに部屋に入ってきたので」


 「入れ替わるようにって……サラさんが出てからある程度は時間が経ってたと思うけど?」


 「それだけではなく断片的に聞こえた言葉の中に『殺す』や『手にかける』といったものがありましたので、てっきり追手の残党が侵入してきたのだと勘違いしてしまって……クラリスが戦えない今、私が彼女を守らなきゃって考えで頭がいっぱいになって。まともに頭が働かなくて……本当にゴメンなさい」


 「…………」


 自分の発言がこの状況を招いたことを理解した少年は閉口するしかなかった。


 「それで”誓約の首輪”を発動させたのですか?」


 サラが尋ねると皇女はコクリと頷いた。最低限の家具だけがある部屋に互いの声がこだまする。


 「誓約の首輪って何? 俺、魔術はからっきしだから全然分からないんだけど」


 少年の疑問にサラは悩ましげな表情で答えた。


 「簡単に言ってしまえば、互いを運命共同体にする魔術だと言えば理解しやすいかもしれない。ナインの心臓に穴が空けば、殿下の心臓にも。殿下の首が飛べば、ナインの首も飛んでいく。致命傷のみを相手に与える術。ここしばらく平和が続いていたから、話を聞くまでこの魔術の存在を忘れていたぐらいだよ」


 「要するに一方の死が互いの死につながるってことか」


 「そういうこと。どれだけ傷を受けようが、致命傷にさえならなければ、契約を交わした相手が傷を負うことはないけどね」


 「まぁ、確かに大変だね。だけど術をかけた本人が目の前にいることだし、俺のことを襲撃者だと思ってたみたいだけど、その勘違いも解けたんだから”誓約の首輪”をこの場で解いてもらえばいいだけだろ?」


 サラの心配は杞憂ではないのか。あっけらかんとした表情の少年とは対照的にサラは苦虫を噛み潰したような顔になる。すると、申し訳なさそうに皇女が口を開いた。


「今すぐにというのは難しいのです。簡単な魔術であれば、すぐに解除というのも可能かもしれませんが、魔術は高等であればあるほど解除も複雑で時間的制約も伴うのです」


 「具体的にどれくらいかかるんだ?」


 少年の問いに皇女の人差し指がすっと伸びた。


 「なんだ、一日か。それだったら全然」


 「最短で一ヶ月です」


 「一ヶ月!?」


 なんて面倒な魔術をかけてくれたんだと思わず天井を仰ぐ。


 「信じてもいない神様に祈るとバチが当たるらしいな……」


 昼間の自分の行動を後悔している少年を見つめながら、皇女はサラに尋ねた。


 「いつから私が皇女だと気付いていたのですか?」


 「殿下の左手にはめられている指輪の存在に気付いてからですよ。皇帝の血筋を引くものしか身につけることができず、資格のない者がはめれば指を食いちぎられるという帝国兵装――皇帝の指輪。一般人なら気付かないかもしれませんが、彼は攻略者で、私も霊子兵装にはちょっとばかり目が利きますので」


 「そういうこと。キャンベル帝国、第三皇女、シャルロッテ=キャンベル殿下」


 二人の言葉に皇女は眉尻を下げた。


「外せないのですからしょうがないとはいえ、やはりこの指輪はネックですね。お二人の推察通りですよ」


 慈しむように、そして時折呪うような目をする皇女の顔を磨き上げられた指輪が映す。向き合うようにして立った二人の天使。互いの心臓を矢で貫いたレリーフが指輪には彫られていた。流れる沈黙。ベッド横の燭台に火を付け直していたサラが皇女の前に膝をつき頭を垂れた。


 「ちょっと何を……」


 「先ほどは失礼な態度をとってしまい申し訳ありませんでした。ナインは私にとって家族のような存在ですから、つい冷静さを欠いてしまいました」


 誓約の首輪について詰問きつもんしたことを言っているのだろう。だが、サラの謝罪に皇女はゆるゆると首を振った。


 「私の方こそ慌てていたとはいえ、多大な迷惑を。誓約の首輪は時間の制約が解かれ次第、すぐに解除しますので」


 「本当に頼むよ」


 念を押すのは、少年の黒曜石の瞳。


 「えっと……」


 透き通った碧眼が少年を捉えた。


 「私とクラリスを助けてくれた方ですね? お名前を教えていただけますか?」


 「ナインだ」


 「ナイン。この度は危ないところを助けていただき、ありがとうございました。このお礼はいつか必ず」


 ベッドの上で居住まいを正した皇女はそう言って口元をほころばせた。むず痒いような、歯痒いような。まっすぐな瞳でお礼を言われることに慣れていないせいか、少年にはどうにも感謝の言葉がくすぐったい。だが、雰囲気がわずかだが和らいだ今なら聞けるのではないか。皇女が護衛たった一人とここまで来た理由を。


 「誓約の首輪さえ解除して、助けたお礼を報奨金という形でもらえれば十分。それよりも聞きたいことがあるんだ。なんでこんな場所にたった一人の護衛といたんだ? 状況からして、遊びに来たってわけじゃないだろ?」


 皇女の瞳が動揺して揺れる。やはり答えるのは難しいか。まだ子供といえど、立場は皇女。今日会ったばかりの、それも一国民に過ぎない一般人に言えない秘密を抱えていてもおかしなことではない。


 「悪い。さすがに失礼だったな。今の質問は忘れてくれ。……話は変わって今後についてだけど、明日俺が隣町にある屯所に行って事の次第を伝えてくる。殿下がいるとなったら、親衛隊クラスが迎えとして来るだろ」


 「それは当然として……敬語もろくに使えないのか。お前は!」


 「敬語なんて馴染みがない言葉。俺にとっては、外国語みたいなもんだ。知らない国の言葉が使えるかよ」


 皇女への提案は少し重くなってしまった空気を元に戻そうと、彼女が安心できるような話題を出したつもりだった。少なくとも少年にとっては。けれども、予想とは裏腹に皇女はかぶりを振ると彼の提案をきっぱりと断った。


 「言葉の使い方を改めること、ことの次第を伝えること。どちらも必要のないことですよ、ナイン。なぜなら……」


 決意を固めるように一度深呼吸。そして悲しそうに笑った。


 「私が先ほど侵入してきたと思ったのは、野党ではなく親衛隊。もっと広く言えば、皇帝が遣わした追手という意味で使ったのですから。私はもう皇女ではありません。帝都からクラリスに連れられて逃げてきたのです」

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