第45・5話
その日の将成は調子が良かった。
二年前の誕生日に海音にもらった橙色の便箋を使い、手紙を書いていた。宛先は書いていない。ただ日々のことを書き連ねているわけでもない。
そこには、将成の想いが書き連ねられていた。
お昼時になり、佐央里が病室にやってくる。見舞いに来たのだ。
「……なぁんだ。元気そうじゃん」
「佐央里か。びっくりさせるなよ」
「大丈夫なの、起きていても」
「ん? まあ、ご覧の通りだな」
「ふぅん。まぁ、大丈夫ならいいんだけどぉ」
最近目が死んでたし、と佐央里が興味なさそうに言う。
「今を生きることを諦めたわけじゃないからな」
その言葉に佐央里の目が一瞬見開かれる。
それは今まで、彼が生きようとしている場面など見たことがなかったためである。
明るく振舞っていたのは嘘だと彼女は知っていた。
楽しそうにひとに囲まれているのは弱い自分を隠すため。
佐央里はそんな彼のことを知っていたから、素直に驚いた。
「……? どうした、固まって」
「……いえ。何も。……そう。それはいいことね」
佐央里は平然を装いつつ、いつものようなつまらなさそうな顔をして、ベッド横にある椅子に座った。
「勝手にいじるなよ?」
「いじらないわよ。……持ってきてあげた本、読んでないの」
佐央里が本を手に取る。栞は前の方のページに挟まれていた。それは外国の児童用小説だった。魔法をモチーフとした童話本だった。
「ちょっとずつは読んでるよ。けどあんまり好きな話じゃなくて」
将成の眠るベッド横には椅子のほかに棚がひとつある。その棚には色々な本が積まれていた。健や佐央里が持ってくる病院内にある図書館の本の数々だった。ひとつひとつに栞が挟まれているが、ほとんど読まれている気配は無い。
「ざーんねん」
佐央里は手に取った本を積み戻した。
「……今度、外出許可が取れそうなんだ」
再び佐央里の顔色が変わる。
「それ本当なの」
「ああ。でも多分、最後だろうな」
将成は微笑んでいた。佐央里は暫く驚いていた。
あの健が外出許可を取らせるだろうか。いくら可愛い弟の願いとはいえ、数値が悪ければ許可は絶対にしないことを佐央里は知っていた。ずっとそうだったはずだ。自分も同じだったから。だから外出許可が取れそうだと聞いて、佐央里は内心、彼の言っている言葉を疑っていた。
「健くんが、出したの?」
「ああ。最近の検査数値がいいから、一回だけならいいってさ」
多分、それは嘘だ。
余命いくばくもない弟の願いを叶えるための、嘘だ。
「……よかったわね」
「なんだよ、自分から聞いておいて。たんぱくだな」
将成はひと呼吸置くと、ぽつぽつと呟き始めた。
佐央里に対して呟いているのか、はたまた独り言なのかは分からなかったが、それでも彼は呟いた。
「……俺がもし死んだりしたら、海音は悲しんでくれるかな。海音はさ、すげえ努力家なんだよ。いつもひとりでさ。でも、ずっとひとりは寂しいだろ。……なあ、佐央里」
「……なに」
「海音を任せられるのは佐央里だけだ。だから、任せてもいいか?」
「――なにそれ。ばかにしてんの?」
「してないさ。昔のよしみで、さ。頼むよ」
将成の表情はいたって真剣そのものだった。佐央里も彼の真剣さに思わず息を呑んだ。何か皮肉を言ってやろうかと考えていた佐央里だったが、これでは言えない。
「…………なにが、昔のよしみよ。ばかじゃないの」
彼女の呟きが将成に聞こえたかどうかは分からない。
だが、予期せぬ事態がこのすぐ側で起こっていたことは彼らはまだ知らない。
将成の病室のドアノブに手を掛けようとしている人物がいた。
それは――海音であった。
「……任せられる……? いったい、何を話してるんだよ……将成……」
内容までははっきりとは聞こえなかったが、深刻そうな声音に海音の心は揺れ動いていた。海音は踵を返し、病室から離れた。
廊下には静寂が満ち始めた。
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