第22・5話

 海音が帰った後、将成はもう一度釘を刺すように佐央里に聞く。

「……本当に、何もしてないな?」

「将成しつこぉい。本当に、何もしてないわよぉ」

 カロン、と佐央里はキャンディーを噛み砕く。


 ――ガリッ!


 その表情は段々と不機嫌になっていった。

「…………お前、この間、奥村のこと美里先生に似てるって言ったよな」

「ええ。それが何か?」


「奥村は、さんだよ」


 将成のひとことで、佐央里の顔色は一気に冷めていく。

 先ほどまで余裕があった表情が、余裕すらなくなっていった。

「嘘……。……『奥村』なんて名字、どこにでもあるじゃない」

「だけど奥村は美里先生の息子だって、自分で言ってた」

「他人の空似っていうこともあるじゃない!」

「写真を見せたら本人だって。間違いないんだよ」

「……そんな……」

「だから、もう奥村には近付くな」

「……分かった……」


 妙に聞き分けがいい。


 きっと、周りのひとはこの場面を見て、そう思うだろう。

 けれど、彼らの関係性を知っているひとなら。

 彼らの過去を知るひとなら。

 この会話の聞き分けがいい理由も分かるだろう。


 その日、将成が帰宅すると、携帯にメッセージが入った。

 佐央里の件があり今日はもう早く休みたいところであったが、送り主が海音だったのですぐにメッセージを開いた。

 やはり佐央里に何か嫌なことを言われて気分を悪くしただろうか?

 将成の心はその思考で埋め尽くされていたが、メッセージの内容は想像よりも斜め上をいっていた。


〈今日は誘ってくれてありがとう。とても楽しかったです〉


「……ん?」

 ? 本当に?

 あの『大丈夫』は、我慢して言ったわけではなかったということか。

 ぐるぐると考えていると、ピロンと音が鳴った。


〈さおりさんによろしくお伝えください。


 その瞬間、将成の喉は、きゅっ、と気道が狭まった。

 ドッ、ドッ、と心臓の鼓動がうるさい。

 大丈夫だ。これは『痛み』じゃない。


(俺はまだ、大丈夫だ)


 知られるわけにはいかない。

 その気持ちだけが、今の将成を生かしている。


 もし、


 なんて、考えている暇などない。

「……はぁ……」

 落ち着いたころ、ソファに深く腰掛けた将成の頬には汗が一筋伝った。

 将成は震える手で、海音への回答を送った。


〈そっか、それはよかった〉

〈佐央里には伝えておくよ〉


 この返信を受け取った海音が「あ、さんって漢字こう書くんだ」と、初めて彼女の名前を認識したのは、別の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る