第130話 止まらない涙と家族(2)

「新しい曲を作ったのです。今までとかなり雰囲気が違うので、マカベにふさわしいか確認してもらえませんか?」


 家へ帰ってきて二週間ほど経った昼食後にそう言うと、両親と兄姉たちはなぜか一瞬顔を見合わせ、それから神妙な面持ちで頷いた。

 軽く咳払いをしたシルカルが口を開く。


「ならば、二日後の夜に。私とヒィリカで開く披露会としよう」

「お願いします」


 右手を胸に当ててそっと微笑む。わたしの、マクニオスでの生活はここからだ。


 今までは自分のできる音楽の中でもマカベが好みそうなものを選んできたけれど、これからは違う。この世界でしか音楽をできないのなら、日本に帰ってからでいいと諦めていた音楽もなんとかやれるようにしていきたい。

 ……さすがに、この前みたいな曲は人前で披露できないけれど。

 美しさを重要視する価値観や魔力のことを考えると、感情をさらけ出すようなものは難しい。それでも雰囲気や曲調だけならば少しずつ馴染ませていけないだろうかと思うのだ。




 蠱惑的に裏拍をとるリズムと、気持ち強めに叩く深い低音。

 したたかに生きる女性をテーマにした、挑戦的で繊細な心の動きをなぞるような歌詞。ダイナミックな構成には物語を刻むように旋律を乗せて。


 妙に優しげな、というよりむしろ気遣わしげな様子で演奏が始まるのを待っていたヒィリカたちが、わたしの歌い出しに目を丸くさせる。

 ……やっぱり、美しくないって思われるかな。

 なにを考えているのかわからない、常に穏やかな笑みを浮かべているバンルがどこか失望したように軽く目を伏せていて、その隣でルシヴが眉をしかめているのがとても気になる。シユリの笑顔もどこか哀しげだ。


 けれどこれもまたわたしのやりたい音楽なのだ。すぐに却下されるわけでないならば、あとはどのように変えればマカベにも受け入れられるのか、助言をもらいたいと思う。


 ――そういうふうに、歩み寄っていかなければならない。

 マカベの感覚にも、この家族にも。


 演奏を終えるとハッとしたように拍手が鳴り、五人の観客たちが視線を交わす。二日前に新しい曲を聞いてほしいとお願いしたときと似たような空気感。


「……もう一度、聞かせてくれないかしら」

「わかりました」


 マクニオス屈指の音楽家であるヒィリカにも判断が難しいのか、それでも完全に駄目ではなさそうな雰囲気にほっとしながら鍵盤に手を添える。


 先ほどよりも丁寧に始まりの音を押し込む。ここから始めるのだと、臆さずに強い人間の皮を被る。

 自分で自分を励ますように、そのために作った歌でもあるから。


 ――ふと、大丈夫だと歌うわたしの声が深い位置から支えられた。

 ピアノに似たアクゥギでは出せない、腹の底から震えるような深みのある音。シルカルの、コントラバスのようなアクゥギだ。


「……っ!」


 声が重なる。視線だけで追えば、怖いくらいに優しく微笑むヒィリカと目が合った。彼女も自分のアクゥギを抱えている。

 違う、二人だけではない。シユリも、バンルもルシヴもそれぞれのアクゥギを出して、歌っている。

 わたしが今聞かせたばかりの曲に、音を合わせている。彼らにとっては未知の曲調であるはずなのに。わたしの出したい音を汲み取り尊重し、けれどもより美しくなるよう導いてくれる。

 即興で合奏ができあがっていく。


 陽だまり部屋に、木漏れ日よりも強くてやわらかな光が満ちていた。さわさわと知らない感触で魔力が動く。くすぐったいほどに心が動かされる。

 わたしたち六人の魔力の光が。互いに向け合う家族の愛情が。


 ……家族。そう、家族なのだ。

 こんな簡単なことに気づくのに、随分と時間をかけてしまった。


 音がやむ。

 なんと言ったら良いのか上手く言葉を探せなくて、でもなにか言わなければと口を開閉する。

 どうして、そう問いたい気持ちをぐっと堪えながら。彼らは初めから、この家のラッドレに魔力を刻んだその時から、わたしを家族として迎えてくれていたではないか。

 あのときの言葉がようやく身体に染み込んできて、だからこそ躊躇ってしまう。


 そんなわたしの迷いを見抜き空白を埋めるのは、いつだってこの人だ。


「あなたが普通でないことくらい、初めからわかっています。けれどそれは、わたくしも同じでしょう?」


 ヒィリカがそう言って茶目っ気に微笑んだ。普段は誤魔化すのに、こういうときは子供を甘やかすために認めるのだから、ずるいと思う。


「……お母様・・・

「――っ!」


 ヒィリカを母と呼ぶわたしの声の質量に、みんなが、そしてわたし自身が驚く。


「レイン」


 いつのまにかシルカルはわたしの傍まで来ていて、ぽんと頭に手が乗せられる。

 彼の手は大きくて、少しひんやりとしていて、その重みを感じるとともに心のノイズのようなざわめきも凪いでいくようだった。こんなふうに甘やかされても、誰ひとり――兄姉たちにだって、こちらを疎ましく思うようすはない。


 そんな家族の一人ひとりに呼びかける。今の音を忘れてしまわないように。

 まさか。心を重ねた言葉の音が、こんなにも違うものだなんて。


 ヒィリカの……お母様の微笑みが満ち足りたように綻んで、溜め息になった。そこに乗せられた思いがほのかに光る。


「それに、子供の才能を伸ばさない親がどこにいます? あなたの美しさはわたくしが保証します。それでも心配なら、今日みたいに聞かせてくれれば良いのです。ですからレインは、自分の思うままに歌いなさいな」

「……思う、ままに」


 それはただ感情的に歌うという意味ではないことを、わたしはもう知っている。

 魔法のあるこの世界で、神のいる場所マクニオスで芸術を扱うということ。心を豊かに揺らして音にするということ。誰かと想い合う大事なかたち。

 鮮やかで透明な歌を、わたしにも生み出すことができる。やってみたい。

 その切れ端はたった今掴んだばかりだ。


 まだ心の底にはおもてなしのあの光景がこびりついていて、手放しに彼らとの関係を喜べるわけではない。

 問題だって山積みだ。でも、今だけは。


 ……お父さん、お母さん。わたし、ちゃんと生きるよ。


 頭の中で必死に家族・・を否定する声を無視して、この新しい家族に対する思いに浸ろう。

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