第21話 年下の兄姉(1)

 ヴウゥゥ――……



 日暮れの時刻。いつものように木の唸る音が聞こえてきて、わたしはイェレキを弾く手を止める。この音が聞こえなくなり、それからしばらくすれば、夕食の準備を終えたヒィリカがベルを鳴らして呼んでくれるだろう。


 今日は四の月の初日。シルカルとヒィリカの子供たち――つまり、わたしの兄姉となる人たちと、はじめて顔を合わせる日だ。

 わたしはいま一度姿見の前に立ち、櫛で真っ直ぐな黒髪を梳かしたり、ツスギエ布のひだによれ・・がないかを確かめたりした。……よし、大丈夫。ヒィリカの華やかさにはとても敵わないだろうが、美しくないと指摘されるような部分はないはず。


 ベルが鳴って、居間へ向かう。わたしの部屋は最上階で、階段を下りる途中で他の子供たちの部屋の前を通るため、誰かと鉢合わせるのではないかと緊張していたが、そんなことはなかった。

 それもそのはず、わたしが居間に着くと、そこにはすでに、この家の元々の家族五人が揃っていたのだ。


「遅くなりました。お父様、お母様」

「気にする必要はありませんよ、レイン。来る途中で顔を合わせるのは気まずいでしょうから、この子たちを先に呼んでおいたのです」


 ヒィリカの気遣いに礼を言う。それから子供たち三人に目を向けると、シルカルが「そなたの姉と兄たちだ。挨拶なさい」とわたしを促した。

 わたしは慌てずに三人の前まで近づく。本来は家族にするものではないが、初対面であり、練習も兼ねて正式な挨拶をするようにと言われていたのだ。


 まずは向かっていちばん右。三人のなかで唯一の女性だ。十六歳ということで、わたしからすると少女なのだが、マクニオスでは立派な成人である。


「はじめまして、シユリお姉様。ジオ・マカベとヒィリカの娘、レインです。どうぞお見知りおきを」


 感謝を伝えるときは片手だが、挨拶の場合は両手を重ねて胸に当てる。そうして背筋を伸ばしたまま軽く膝を曲げるのだ。

 手を重ねるときよりも膝を曲げるときのツスギエ布の捌きかたが難しく、わたしは何度も練習した。実を言うと、今、若干の筋肉痛である。


「木立の舍の教師、シユリです。妹ができて嬉しく思います。どうぞよろしくお願いしますね」


 そう言って同じように両手を胸に当てながら膝を曲げ、微笑むシユリ。ヒィリカと顔がそっくりだ。が、新米教師としての勤めを終えたあとだからか、はたまた性格からか、その表情はきりりと引き締まっている。

 そんな彼女にもう一度笑みを返し、左の少年に顔を向ける。


「はじめまして、バンルお兄様。ジオ・マカベとヒィリカの娘、レインです。どうぞお見知りおきを」


 面倒ではあるが、挨拶は一人ずつ行うものらしい。

 となると挨拶をする順番も決まっており、その基準を最初に聞いたときは驚いた。


 まずは木立の者。これは代表者なのだから当然だ。

 次に成人。大人が優先されるというのも納得できる。


 そして最後の基準は、身長だ。

 年齢でも、立場でもなく、身長。背丈のある者が先に挨拶を受け、ない者から挨拶をする。

 今のような数人ではわからないが、人数が増えると、ずらりと並んだときの美しさが際立つのだという。


 と言っても、この家の未成年者でいちばん背が高いのは長男のバンルだ。二人の兄の年齢差は三歳。さすがに成人前の身長は年齢と比例している。


 バンルは、わたしの挨拶を受けてニコリと穏やかに微笑ん……微笑んだ!?

 男性も微笑むのか、いや、子供だからか? と考える間もなく、彼は軽く握った両のこぶしを胸に当て、膝を曲げる。

 シャン、と金属の飾りが鳴った。


「ジオ・マカベとヒィリカの息子、バンルだ。シユリ姉様と同じく、レインを歓迎するよ」


 さらに笑みを深めるバンルは、わたしの五歳上。十四歳とはとても思えない大人びた雰囲気だ。そして中性的というわけでもなく、あくまでも男性らしい骨格を持ってはいるが、赤みがかった大きな瞳をやわらかく緩めた目もとは、ヒィリカの血を感じさせる。

 あまりの綺麗さに固まりそうになったが、もう一人残っているぞと自分に喝を入れた。


「はじめまして、ルシヴお兄様。ジオ・マカベとヒィリカの娘、レインです。どうぞお見知りおきを」

「……ジオ・マカベとヒィリカの息子、ルシヴだ」


 こちらの兄は無表情だ。というより、少しムッとしているようにも見える。まだ十一歳、日本で考えるなら小学生だ。いきなり二歳下の妹ができて困惑しているのだろう。

 それでも、バンルと同じようにシャンと鳴らす挨拶は様になっているところが、何ともシルカルたちの息子らしい。


 ……わかる、わかるよ。迷惑はかけないつもりだから、少しの間よろしくね。そう思いながら笑みを送る。が、ルシヴの表情は変わらない。


「ルシヴ」


 そんな彼を見かねたのか、窘めるように声をかけてきたのはシユリだ。

 するとルシヴは一瞬で、わずかに引き結んでた唇を緩め、ただの無表情へと変える。


「……よろしく」


 そう。

 「認めない」と言われる可能性もあったのだ。そのことに今さら気づく。

 内心ではどうあれ、自分を律することのできる子供たち――新しい兄姉に、わたしは感謝した。


 そのあとの夕食は、今までの倍近く時間がかかった。これからずっとそうだと思うと、気が滅入る。

 唯一の救いは、わたしの背がいちばん低いことだ。つまり、周りを気にする必要のない、いちばんはじめに料理の感想を言える。

 九歳ということになっているわたしも人のことは言えないかもしれないが、兄姉の語彙力がすさまじい。本当に、どこで鍛えたのだろうか。


 ……なんてね。この両親のもとで、だよね。知っている。

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