第6話 自覚する(2)
紙になってしまった鳥、もしくは、鳥であった紙に、ヒィリカはさっと目を通した。
「どうやら話がついたようですね。森の入り口まで来るように、とのことです」
そう言いながら、彼女は腰飾りから取り出したペンで何やら書きつけていく。そして最後にちょん、と
……何、あれ?
「行きましょうか」
わたしの驚きはよそに、ヒィリカはそう促す。言われるままに赤い花の服をヴェールのように被ると、トヲネがそれを整えてくれた。顔のほとんどが覆われているが、一応前は見える。
最初に着ていた服と、花の服を数枚、腕に抱える。出発だ。
ヒィリカたちが、泉の水が川になって流れているところへ向かって歩きだす。
わたしはその後を追おうとしてすぐ、足を止めた。
振り返り、泉に向かって小さくお辞儀をする。何もわからない状況で一週間生き延びることができたのは、この不思議な泉のおかげだ。
顔を上げると、一瞬、泉の光が強まった……ように感じた。
荷車と聞いていたので、わたしはリヤカーのようなものを想像していた。けれどもそこにあったのは、もっと機械的なものだ。
形は馬車に近いだろうか。しかし馬はおらず、大きな機械にレバーやらハンドルらしきものが取り付けられている。それらが勝手に光ったり、小刻みに動いたりしているのを見て、何らかの動力が使われていることがわかった。
操縦席には男性が座っていたが、わたしはすぐに荷車の中へ押し込められてしまった。視界の端に映った、鮮やかな青色の服だけが印象に残っている。
「では、私たちは先に帰宅し、レインを迎える準備をしておく」
三人が荷車に乗り込んだところで、窓の外からジオ・マカベが話しかけてきた。
「えぇ。よろしくお願いしますね。マカベの儀まで、季節二つ分もありませんもの」
「そうだな。あの魔力量であれば問題ないと思うが……できるだけのことはしておこう」
また魔力の話だ。わたしのことを言っているに違いないのだろうけれど、理解が追いつかない。そうやって知らないところで期待されることが怖かった。彼らが期待するだけの何かをわたしが持っているとは思えないのだ。
わたしは平凡な人間だ。
そのことに気づいたとき、彼らはわたしをどうするのだろう。
そんな不安を胸に抱きながら、わたしは動きはじめた荷車の窓から、後方へ流れる景色を眺めていた。
早くとも到着は明日の夜で、時間はたっぷりある。ならば一度、頭の中を整理しておこうと思ったのだが、それは話しかけてきたヒィリカとトヲネによって阻止されてしまった。……おかげで重要な話を知ることができたのだから、結果としては良かったのだけれど。
「レインは余程、歌の好きな子供だったのでしょうね」
はじまりは、ヒィリカのそんな呟きだった。本人であるわたしにも答えを求めていないような言いかたに首を傾げると、彼女は優しく微笑む。
「あなたの記憶は消えてしまった、と神はおっしゃいました。けれども、歌はこの身体に染みついているようですね」
……あれ? わたし、記憶あるよね?
まるで疑う余地もないように言われて、急に怪しくなってきた。ひとつずつ思い出してみる。
本当の名前は木下周、二十五歳。都内で一人暮らしをしていて、IT系の会社に勤めるしがないテスターだ。趣味は勿論、音楽である。学生時代から付き合っている、
わたしの沈黙を肯定と受け取ったのか、ヒィリカは続ける。
「レインが泉に現れたのは、神が寄り道をしていたからなのですって」
気立子とは、ここマクニオスという場所の外から神さまが連れてきた子供のことを指すらしい。神隠しのようなものだろうと、わたしは無理やり納得した。
ずっと遠いところから連れてくるので、「神の道」と呼ばれる、普通には行き来できない道を通る。そのため、神の道と繋がっている神殿か、マクニオスの中心にある特別な木のところにのみ現れるのだという。
あの泉は神さまに近い場所ではあるが、神の道との繋がりはない。この身体には相当な負担がかかっただろう、と。
当然、わたしが身体に負担を感じた記憶はない。もしかして、これが消えた記憶の正体だろうか。……なんて、さすがにそれはないか。
「……そのせいで記憶が消えてしまったのですから、神も困ったものです」
そう言いつつも、ヒィリカの表情は明るい。むしろ都合が良いなどと考えていそうで、わたしは薄ら寒いものを感じた。
「あなたの故郷は、マクニオスからずっと北へ行ったところにある、土の国、と呼ばれる国だと思われます。『外の心』、『土の心』と、神が分けていた理由はわかりませんけれど……」
「そのことはナヒマ様もジオ・マカベも、不思議がっていましたね」
「まぁ、神は気まぐれでいらっしゃいますから。……土の国とは、ほとんど交流がないのです。けれど、北方の国に住む人びとは確かに、このような服を着ていることが多いですね」
ヒィリカが、わたしの隣の席に目を向けた。そこには、あの目の粗い布の服が置いてある。
心臓が、ドクリ、ドクリと大きな音を立てはじめた。
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