第4話 夢だけど、夢ではないらしい(4)

 耳のそばや、足元から。あるいは、泉の向かい側に生えた木の影から。

 クスクス、クスクスと笑い声が聞こえてくる。


 意味を持たないはずのその声が、ところどころで像を結ぶのをわたしは感じ取った。



『子は善なり』



 言葉の音を形づくったそれは、直接頭の中に鳴り響く。


 ……これが、神さまなのだろうか。

 姿が見えないため、どうにも実感が湧かないのだ。


 それでも、普通ではありえない何かが起こっているのだということはわかる。今は、この声を聞くしかないのだということも。


 ――子は善なり。

 神さまらしき声はそう言った。

 つまり、子供――わたしは、善人だよ、ということだろうか。

 悪人と言われなくて良かった。そう思ってほっと息を吐くと、同じように肩を撫で下ろすヒィリカの姿が目に入る。



『木の立つ鐘を、九つ鳴らし』



 ……鐘? 九つ?

 煩悩の数だろうか。善人だから少ない、とか。

 確か、煩悩は悪いことではなかったはずだけれども。



『土の守り手より来たりて、理の環を知らぬ古を通らん』



 ……あぁ、もうお手上げです。

 単語の意味はわかるのに、何を言っているのかまったく理解できない。ヒィリカとトヲネの会話よりも、だ。



『外の心の寄る身とし、土の心は消ゆ』



 これで神さまの話は終わりらしい。あちらこちらからずっと聞こえていた笑い声が、泉のほうへ集まっていくのがわかった。そして、少しずつ泉の中へ消えていく。


 結局何もわからなかったな、と思っていると、耳もとで僅かに空気が震えた。


「ごめんなさい。あなたの思いが強すぎて、身体まで連れてきてしまったの。……楽しい夢を見せてあげる、それだけのつもりだったのに」


 先ほどまでの古めかしい口調ではなく、とても気楽な調子で「じゃあ、頑張って」と囁き、今度こそ声は消えた。


 はっとして周りを見てみると、ジオ・マカベたちは何やら話し込んでいた。最後の声は聞こえなかったようだ。

 普通に話せるなら、はじめからそうすればいいのに。そう思ったのも束の間。


 ……神さま、今、何て言った?


 ――身体まで連れてきてしまった。

 ――夢を見せてあげるだけのつもりだった。


 つまり、これは夢だったけれど、その中に入り込んでしまったということだろうか。


 ありえない、ただの夢だと思いたいのに、神さまの最後の言葉には現実味がありすぎた。ここには本当に神さまがいて、言葉を聞くことができて、わたしは連れてこられてしまって。


 そして、じゃあ頑張って、と。

 ……これからはここで生きろ、と?


 無理に決まっている。こんな変なところで、どのように生きていけば良いというのだろう。わたしは早く帰りたい。明日はライブがあるのだ。


 けれども、どうやって来たかもわからないのに、帰りかたがわかるはずもない。神さまに聞こうにも、どこかへ行ってしまったようだ。呼び出しかただってわからない。ヒィリカがうたっていた歌がそうなのかもしれないけれど、うたいかたを知らない。

 本当に、わからないことだらけである。


 ヒィリカが神さまを呼び出せるなら、彼女に頼んでみるのが良さそうだが、わたしを娘にすると言っていた人が簡単に頷いてくれるだろうか。

 見た目に反して、ヒィリカは強引だ。そんな女性の希望をはねのけて自分の頼みごとをする勇気など、わたしは持っていない。


 人に頼むことができないのなら、自分でやるしかないのだ。


 となると、ここはやはり彼らの望み通り、娘になっておくのが最善策だろうか。

 ヒィリカはわたしを育てたいと言ったのだ。それならば、神さまの呼び出しかたも教えてくれるかもしれない。

 もしかしたら時間がかかってしまうかもしれないけれど。急がば回れと言うし、わたしにはそれくらいしか思いつかなかった。


 ……それに、もう夢の中で一週間は経っているからね。少し伸びたところで、きっと変わらない。


 わたしが覚悟を決めていると、彼らの話し合いも済んだようだ。

 四人の視線がこちらを向く。


 ヒィリカが、とても綺麗に微笑んだ。


「神に話を伺って、あなたに問題がないことを確認いたしました」


 ……よし、来た。


「ですからわたくしたちは、あなたを娘として迎え入れたく思います。あなたはそれを、受け入れてくださいますか?」

「はい。受け入れます」


 ――わたしが帰りかたを見つけるまでは。


 他人を利用するみたいで気が引けるが、ジオ・マカベも「力を活かせる」と言っていた。これはお互い様だ。


「良かったわ。……では、お名前を伺ってもよろしいかしら? 覚えていなければ、わたくしたちが授けますけれど……」

「わたしの名前は――」


 ――木下きのしたあまね


 これがわたしの名前だ。きっと、ここでは浮いてしまうだろう。

 けれども、今の状況にふさわしい名前をわたしは持っている。


 音楽活動でも使っていた名前。明日に控えたライブのことを考えれば、目標はわかりやすいほうが良い。


「レイン、です」


 こうしてわたしは、ジオ・マカベとヒィリカの娘レインとして、しばし、この夢の中の世界で生活することとなった。

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