十五話 敵

「おはようございます」


 挨拶と共に夏樹が部屋に入ると背もたれを倒したゲーミングチェアにこれ以上ないくらいにぐだっと体を預けていた。両手は力なく床に向かって垂れ、その顔は天を見上げるようにのけぞっていた…………そのせいで胸のあたりだけが彼には強調されて見えた。


「…………叶さん胸元空いてますよ」

「ああ、これは失礼」


 顔を赤くして目を逸らす夏樹に叶はしてやったりと体を起こして胸元の乱れを直す。


「僕ら以外が来ないからって油断し過ぎですよ」

「別に少年に見られるなら私は構わないんだけどね」

「…………あんまりからかわないでください」


 夏樹は大きく溜息を吐く。出会った時からその手の方面で彼女に振り回されっぱなしだ。元社会人と学生の経験の差というか、あからさまなのに流せず反応してしまう…………そもそも夏樹に女性に対する免疫がないせいもある。


「お姉さんは本気だとも。もしも少年がその気になっても大人の度量でちゃーんと受け止めてあげるつもりだからね」

「…………」


 ならニヤニヤとこちらを見ないで欲しいと夏樹は思う。


「それにほら、少年にはお姉さんを甘やかす義務がある」

「う」


 そこを突かれると夏樹は弱い。彼は勇者を導くという仕事において叶と氷華のように直接貢献できるような技能がない…………だから夏樹が出来るのはミレイを含めた三人のストレスを取り除きやる気を出させるようにもてなすことだけだ。


「ふふん、ちょうど肩も凝っていることだし少年にマッサージしてもらうのも悪くない。ほら私はこう胸が大きいから何をするにも肩には負担になってね」

「そう」


 楽し気に口にする叶に被せるように、冷たい声が響く。


「や、やあ氷華」


 いつの間にやら部屋の中に立っていた氷華に叶が少し引きつったような声を出す。夏樹の印象では二人の仲は良くも悪くもないという感じだったが、思わず叶が動揺してしまうくらいには氷華の声は冷たかったように思えた。


「重くて邪魔なら、もぎ取ってあげるけど?」

「いや、お姉さんそういう物理的なのは求めていないから」

「そう」


 言葉は同じだが残念そうに聞こえた。確かに氷華の胸は叶に比べれば慎ましやかだが、コンプレックスでもあるのかと叶は小さく呟く…………警告なしで実行しかねない怖さがあるし、彼女がいる時はこのネタは控えようと叶は決めた。


「ええと、氷華も来たことですし今日何かすることがあるなら聞きたいんですけど」


 話題を変えるように夏樹が叶へと尋ねる。


「ん、ああ、やることは残念だけど昨日と変わらないよ。お姉さんも情報収集を頑張っているけどまだ勇者のレベル上げに最適な場所は決められていない」


 ほっとしたように叶はそれに答える。ミレイの強化をするための準備として神具は手に入れたが適当にそこらで魔物狩りをすれば敵に目を付けられる可能性がある。

なのでその場所を選定するまでは休憩期間という話で、氷華もこの部屋で本を読むだけだし夏樹も二人にお茶を淹れたり待機中のミレイと会話するくらいしかしていない。


「ただまあ、ちょうどいい機会だし今のうちに目的の再確認をしておこうか」

「目標の再確認、ですか?」


 それに夏樹は少し首を傾げる。最終的な目的は勇者であるミレイを育てて異世界を救うことであり、次の目的は神具を用いての魔物狩りによる彼女の強化だ。今更確認が必要な事のようには思えなかった。


「少年が考えていることは大体わかるけどね、異世界を救うっていう目的はざっくりとしたもので細かい事情は分かってないんじゃないかな?」

「…………言われてみると」


 シラネから説明されたのは勇者を選んで育てて魔王を倒し、異世界を救って欲しいという話だけ。それ以上の説明はされていないが、なんというか物語などであればテンプレ的な状況設定だったので勝手に納得してそれ以上の説明を求めていなかった。


「シラネはこちらが尋ねないと答えてくれないからね」


 必要最低限の説明はしたがそれ以上は尋ねられたら答えるというスタンスだ。尋ねる際には呼ぶ前に出てきたりするから仕事が面倒なわけではないだろう…………これも神々の規約に引っ掛かるからなのかは知らないが、とにかく主導は夏樹たちにあるというようにしているのだろう。


「そんなわけで今のうちにその辺りをちゃんと話しておこうと思ってね」


 ミレイの強化に適切な場所を探すための情報集めで、叶はそういったものの背景も把握したらしい。


「えっと、それこそシラネを呼んで尋ねたら駄目なんですか?」


 尋ねれば答えてくれるのだから手っ取り早い気がする。


「尋ねるとも、後でお姉さんの集めた情報と違いがないか…………都合のいいようにこちらを誘導していないかを確認するためにもね」

「!?」


 まるで予想していなかった返しに夏樹は動揺を隠せなかった。


「少年、こちらを助けてくれるからって無条件で味方だと信じてはいけないよ? お姉さんたちの状況だって見方を変えれば命を人質に異世界を救うという仕事を強要しているともとれるんだから」


 忘れてはならないのが夏樹たちはこの部屋に望んで招待されたわけじゃないのだ。拉致されて閉じ込められて、その上で自分達に迫る危険とその対処法を説明されて異世界を救う仕事を引き受けたのだ。


それが好ましい仕事の頼み方であるかと言えば否であろう。


「同意する」


 それにぽつりと氷華が呟く。最初に夏樹たちと出会った時の態度もそうだが、彼女も他人をあまり信用しないタイプなのだろう。どれだけ友好に見えるような相手でも常にぶん殴る準備を怠っていないような気配を感じる。


「えっとでも、シラネを信用しないと色々と…………」


 そもそもこの部屋だって彼女の主である白き神が作ったものなのだ。


「もちろん疑うだけでなく信用を築くことは大切だよ、少年。だからこそ信じるに足る相手なのかという確認をするんじゃないか」


 それが積み重なったものを信頼というのだ。


「まあ、もっともこんな会話も向こうには筒抜けだろうから…………無条件に騙されるような間抜けじゃないよっていう牽制みたいなものだけどね」


 流石に相手のホームで出し抜けると思うほど叶も愚かではない。


「さて、前置きはこんなところにして本題といこうか」


 話が完全に逸れてしまう前に、叶はそう宣言した。


                ◇


「さてシラネは勇者を育てて魔王を倒すことを私達に求めたが、それは正確には魔王とその軍勢を倒すことだと考えるべきだ。何せ実際に人類側の領域に侵攻しているのは魔王本人ではなく、その配下の魔族と魔物たちだからね」


 魔王とは文字通り王なのだから率いる軍勢を持つのは当然の話であり、王本人が戦場に出ることは基本的にあり得ない。もちろん重要な戦では鼓舞の為に出陣することもあるだろうが、それでも守りの堅い本陣に詰めるのが常識的な判断だろう。


 雑兵はいくらでも代わりが利くが王はそうもいかない。後継者への引き継ぎがうまくいかなければそれだけで国が割れる可能性だってゼロではないのだ。


「まあ、普通の王と違って魔王だからね。ゲームのように魔王が一番強い存在ならいきなり前線に出て来るって可能性もゼロではないと思う…………仮にお姉さんが相手の立場だったら不穏分子は全力で叩き潰すしね」


 だからこそ叶はミレイの存在をあちら側に知られないよう慎重に先を考えているのだ。


 本来であれば神具を手に入れる為に茨狼を倒したことにしたって出来れば避けたいリスクだった。

 しかし茨狼にはすでにミレイの特異性を知られてしまっていたし、それならば回避するより早急に倒して神具を手に入れる方がリスクは減ると判断したという話だ。


「もっとも魔王が強くない可能性だってある。例えば本人は大して強くないけど存在してるだけで自分の軍勢が強化されるようなバフ能力だったりね…………魔王の影響下で魔物が生まれることを考えるとその可能性は結構高いかも知れないとお姉さんは思うよ」

「なるほど」


 夏樹は魔王というと単純に強いイメージがあったが、そういう可能性も確かに考えられる。


「まあ、全部推測だよ。魔王に関しては直接的な情報はほとんど得られなかったからね」


 その事実は今しがたの話の裏付けにはなるが、確証にはならないので早とちりはすべきではないだろう。


「わかっているのは突然現れて魔族の軍勢を率いて人類に侵攻を始めたことだけ」


 古い伝承にも登場しているが、単純に魔族の王だから魔王と呼ばれているだけだった。


「えっと、そう言えば魔族っていうのは?」


 魔族も魔王と同じく物語などでは親しみのある存在だが、親しみがあり過ぎて考えてみればイメージが幾つも浮かぶ。物語では単純に魔族という種族がいることもあるし、魔に属するもの全般が魔族と呼ばれていたりもする。


「ああ、魔族というのはゴブリンとかエルフとか竜人とか…………人間でない知性種族、いわゆる亜人たちの総称だよ」


 どうやら夏樹の考えていたものの後者だったらしい。


「もっとも人類にとっては忘れ去られていたような存在で、古いおとぎ話や言い伝えなんかに登場するくらいだったみたいだね。悪いことをする魔族がお仕置きしに来るぞって子供の躾に使われるような存在で実在していたことを知る人もほとんどいなかった」

「…………」


 夏樹たちで言うお化けや妖怪といった立ち位置に思われていたらしい。


「なんでそんなことに?」

「お姉さんが調べたところによると元々は異世界における人類の創成期まで遡るらしい。白き神に創造された人類がこの大地に降り立った時にはすでに邪悪な魔族たちが蔓延っていたんだと…………そこから長い戦いの果てに人類は魔族を圧倒し、今は闇に覆われてるけど大陸の端にあるらしい断崖絶壁の山脈の向こう側まで追いやった」


 その山の向こうには大した土地もない過酷な環境だ。そんな環境で生き延びられるはずもなく、人類は魔族を滅ぼしたと判断したらしい…………そして実際に長い年月の間その姿を現すこともなく、古い伝承の中に忘れ去られた。


「ところがその魔族たちが三ヶ月ほど前に突然姿を現して瞬く間に人類の領域に侵攻した…………それが今の状況だね」

「三ヶ月?」


 その言葉に夏樹は思わず耳を疑う。


「人類の領域の半分をたった三カ月で制圧したってことですか?」


 長机に表示されている異世界の人類が暮らす大陸の半分は闇に覆われている。その事実から人類側も押されているのだろうとは彼も思っていたが、まさかたった三ヶ月の内にそれだけの範囲を失っていたのだとは想像もしていなかった。


「まさに理想的な電撃戦だったんだろうね」


 そもそも存在すら忘れ去られた魔族たちによる侵攻などどの国も予想外だったろう。しかも魔王の影響で野生動物が魔物化していくのだから国中がパニックになって対応など碌にできなかったはずだ。


「ええと、これって勝ち目あるんですか?」


 思わず夏樹は尋ねてしまう。彼は軍事関係に詳しいわけではないが三ヶ月で領域の半分を奪われるというのはかなり戦力差があるという事ではないだろうか? 


 確かに叶が言った通り不意を突いた効果も大きいのだろうが、それにしたって被害が大きすぎる。

 この状況を蘇生と強化可能があるだけの勇者一人で覆せるのかというと疑問だ。


「大丈夫だよ、少年。ちゃんと人類側が対抗する時間はあるからね」

「え、でも」

「それを証拠に魔族側の侵攻も今は止まっている」

「そうなんですか?」


 それは夏樹には不思議に思えた。それは叶の言う通り人類側に対抗するための準備を整える時間を与えることだからだ。


「少年、魔王の軍勢は元々大陸の端の山の向こうに追いやられていたんだよ? いくらその辺の野生動物を魔物として戦力にできるからって、一気に大陸を制覇できるような兵力が揃っているわけないと思わないかい?」

「あ」


 確かにその通りだ。


「あの村一帯の地域を茨狼一頭に任せていたのがいい証拠だとも…………恐らく大陸全土どころか今の半分すら統治できる状態じゃないんじゃないかとお姉さんは思うね。きっと今頃全力で支配地域が破綻しないように足場固めをしているところだろうさ」


 余裕がないからこそミレイの村の地域には茨狼を一体監視の為に置いただけですませたのだろう。恐らくではあるが部隊や魔物を統率できるような士官くらいの人材が足りていないではないだろうかと叶は推測している。


「その辺りの推測から考えると、実際のところ闇の領域の中でもいくつかの人間の国はまだ残ってるんじゃないかとお姉さんは思うね」

「え、でも白の神の力が届かない闇の領域になっちゃってるんですよ?」


 力が届くかはどちらの信仰が多いかだとシラネは説明していた。だから夏樹は闇の領域に覆われている地域は魔族側に人間が駆逐されてしまっているのだと判断していたのだ。


「少年、白の神とやらの信仰が失われたイコール人間が全滅したとはならないよ。日本人ほどではないにせよ心の底から神を信じられる一般人は多くないとお姉さんは思う…………悲劇的な状況に陥った人間にとって救いになるのはその教えじゃなくて直接的な救済だよ」


 もちろんそれができないのは白の神が悪いわけではなく神々の規約のせいだろう。実際に死の神が人間たちを救おうとしていることは他ならぬ叶たちが証明している…………しかしそれが実感となって人々に伝わるのは成長したミレイが勇者として名を上げた時だろう。


「つまり叶さんは闇の領域の中でも人間は生き残ってるけど信仰は失われたと?」

「少なくとも真摯な信仰の数は魔族の人数以下になってるのは間違いないね」


 救ってくれない神様をくたばれとまでは思っていないかもしれないが、失望していてもおかしくはない。そうならないのはよっぽどの信仰者か教会関係者などくらいだろう…………少なくとも叶が調べた限りでは異世界の一般人における信仰の強さはその程度だ。


「それよりもお姉さんが気になるのは白き神の教会とか神殿が全て壊されていることだね」


 信仰が負けていても白き神を祀る神殿さえあればその周囲に力が及ぶ。それなのに完全に闇の領域になってしまっているということは、魔族側にはその辺りの事情を把握している存在がいて重点的に破壊した可能性がある。


 もちろん、単純に黒き神と敵対する神の神殿だからと壊している可能性もある…………けれど楽観的に考えるよりは悲観的でいたほうが真実であった時の被害は少ない。


「やっぱり、彼女が育つまでは慎重に行動する必要がありそうだ」


 改めて告げる叶に、夏樹も氷華も特に反論はしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る