第45話 勇者という記号
少しのんびりし過ぎたらしい。陣地に戻ったころにはだいぶ夜も更けてしまっていたらしい。
夜警に当たっている兵に挨拶した後、陣地の中に入る。
兵達は勝利の宴をしていたようだ。少し酒の匂いがする。それが入ってたらしい空の樽もそこかしこに見えた。
でも今は既に皆が寝入っているようで、ほとんどの兵が寝入っている。
起こさないように静かに歩いていると、自分の天幕の前で、サクラが樽の上に腰かけ足をプラプラとさせているのに気づいた。
彼女は俺が来たことに気づいたのだろう。少し恥ずかしそうな顔をすると樽から降り、こちらに近づいてきた。
「食事もとりに来られなかったので天幕に来たのですが、中にもおらず心配していました。ご無事でよかったです」
そうか、見張りの兵にはちょっと出てくると言ったきりだった。魔法の訓練が終わったころには既にかなり時間を使っていたし、その上風呂にも入ってきた。
そりゃ心配されてもしょうがない。悪いことをしたと罪悪感を感じる。
「すまん。少し魔法の練習をしてきたんだ。理由はレイアが起きてから話すが、扱える魔力量が増えてな。力加減が少し不安だったんだ」
「そうですか。確かに魔力が上がっているのは感じます。元々勇者様は膨大な魔力を行使していたので、魔法に長けたものしかその違いには気づけないかもしれませんが」
フェアリスはすぐに気づいていたし、簡単にわかるものなのかと思ったがそうでもないのだろうか。
「フェアリスはすぐ気づいたんだが、実はあまりわからないものなのか?」
「そうですね。フェアリスもかなり特別ですから。例えば私と一般の兵の間には隔絶した魔力量の差がありますが、魔法を見ないと分からないものが多いでしょう。魔力の感知に長けていないとあまり気づけないものなんです。ただ、それが格の違いくらいで伝わるくらいで」
なるほど。彼らは魔力量で判断ができているわけではない、ただ本能的に格が違うと認識されているだけで魔力がどこまで増えても感覚的にはあまり違いはないのかもしれない。
流石に魔法を使えばわかるだろうが。
それよりも、サクラがフェアリスを呼び捨てにしている。彼女たちもだいぶ距離が近づいたようで少し嬉しくなる。
「そうなのか。確かに、思い返すと将軍や他の兵には何も言われなかったしそうなんだろうな」
「そうですね。将軍も指揮能力が高いタイプで個の武力がそこまで高いわけでは無いそうですし」
将軍は体格はとても優れている。でも、双剣の剣闘士と比べてそれほど強者というのは感じなかった。恐らく最前線に立つタイプではないのかもしれない。総大将が剣を持って立つなんてのは逆に危険だろうし。
「そういえば、体はもう大丈夫なのか?」
現在、サクラは自力で動けているようだ。最初見た時は立っているのもやっとだったことに比べればかなり回復したのだろう。
「はい。私は魔力を急激に使ったことによるもので、レイア様のように枯渇してなお魔法を行使していたわけでは無いので。動くだけならもう問題ありません」
それを聞いて安心する。でも、レイアの方はそんな無茶をしていたのか。
体が良くなったらすぐに見舞いに行こう。
「それならよかった。やっぱり四天王は尋常じゃない強さだったんだな」
「はい。正直、私一人でも、フェアリス一人でも負けていたでしょう。それに、一度私は命を犠牲にして勝ちを拾いに行こうと考えていました。でも、それをフェアリスが止めてくれて諦めが早すぎると叱られてしまいました。勇者様のように諦めずに立ち向かえと」
サクラはその時のことを思い出したのか、少しおかしそうに言うとこちらを見つめる。
「死闘と呼べるものを経て、勇者様は本当に凄いと改めて思いました。どんな時も勝利を諦めない、そして、常に前を向き続け皆を守る。まさに英雄と呼べる方だと思います」
少し熱に浮かされたようにサクラが言う。だが、それとは反対に俺の心は少し冷たくなる。
自分はそんなに素晴らしい奴じゃないと知っているから。
「……いや、それは違うよ。俺は、ただ怖いだけなんだ。せっかく手に入れた大事な物を失うのが。だから、物語のヒーローみたいに強い心を持って立ち向かうような、そんなカッコいい奴とは違うんだ。ただ、力を持っただけの臆病者だよ」
「…………貴方はただの臆病者なんかじゃありませんよ。臆病なだけなら自分が傷ついても進み続けることなんて絶対にできません。自信を持ってください。」
サクラが俺の手を握る。手を引こうとすると、更に強い力で握りしめてくる。
「大丈夫です。貴方のいいところは私達がちゃんと知っています。優しくて、温かくて、強い、だけどどこか放っておけない。完全無欠の勇者様なんてものではないのはもちろん知っています。
でも、これだけは覚えていてください。私達は救われた。他ならぬ貴方に」
少し視界がぼやける。涙が大地を濡らしていくのが分かる。
気があるんじゃと思った子にフラれることがあった。それ以来、人の気持ちに自分から触れるのがどこか怖かった。
自分の見えているものは相手と違って、反対の意味を持つこともあるんだと思うと不安でしょうがなかった。
でも、サクラが言ってくれてやっと信じられた。
俺と彼女たちの関係は一方通行な物じゃないって。ちゃんと通い合っているものだって。
その場に立ち尽くし、涙を流す俺。
サクラは、俺の頭を抱えると何も言わず優しく撫でてくれた。
≪勇者は勇者であり、象徴である。この世界ではそれは一種の記号のように扱われている≫
≪人類の希望、勝利への道しるべ。これまでは皆にそう意味づけられてきた≫
≪ならば、戦いが終わった時、それはどんな意味を示すのか≫
≪今、その記号はこれまで紡いだ人の縁によりその意味を変えようとしている≫
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