蝉が鳴く、君と逢う

A

第1話

 蝉がまるで命を燃やすように大声で鳴いている。




 夏は嫌いだ。嫌な記憶を思い出す。




 高校2年生の夏、雲一つない天気の中、旧校舎裏の木陰で目を瞑って寝転ぶ。




 この場所は昔墓地だっただの、あの世とつながる場所だの、幽霊が出ただのいろいろな噂があるようで俺以外近づくことが全くない。


 おそらく、旧校舎の端にある謎の祠をこじつけて誰かが言い出したんだろう。


 高校生は本当にくだらないことで騒ぎ出す。




 長かった梅雨も明け、快晴の続く最近では昼食後に必ず訪れる俺のお気に入りの場所となっていた。




 時節吹く風が気持ちいい。




 特に何をするでもない、時間だけがゆっくり過ぎていくような感覚になる。


 この一人だけの時間が俺は好きだ。




 誰とも関わらずに生きていけるならどれだけ幸せだろう。




 昔は人と関わることが好きだった。いろんな景色を見るのも。


 でも、今は違う。誰とも関わりたくない。




 いろいろな思いが浮かんでは消える。そして、いつしか俺は眠りに落ちていた。












「お父さん!今日はどこ行くの?」




「ふっふっふ。今日はな。なんと山に行きます!!


 お前はまだ海しか言ったことないだろう?今日は夏の川の楽しさを存分に教えてやろう。


 透き通った美しい水、そこで育った活きの良い魚を釣ってバーベキュー。


 それだけじゃないぞ?夜には幻想的に舞うホタルを見せてやろう。


 どうだ?楽しみになってきただろう?ちなみに俺は既に水着を着ているほどに楽しみだ」




「はあ……子供が生まれてもお父さんは付き合ってた当時と何も変わらないわね


 子供以上にはしゃいで、ほんと大人げないわねえ」




 父はいろいろな場所へ旅行へ行くのがとても好きな人だった。いつも楽しそうで、勝手に語り出すと、俺以上にはしゃいでいた。




 母もそんな父を見つつ、呆れながらついていく。


 そんな二人に囲まれて俺はとても幸せだった。




 だが、そんな幸せな日常は突然の終わりを迎えた。




 旅行の帰り道、反対車線を走っていたトラックがこちらに突っ込んできた。


 後で聞いた話によるとどうやら居眠り運転だったらしい。




 俺たちの乗っていた車はその前半分が完全に潰れており、病院で目を覚ました時には、俺は一人ぼっちになっていた。




 今は父方の叔父夫婦が面倒を見てくれており、彼らはすごく優しくしてくれる。




 俺はまだ恵まれている方だろう。親は俺のために貯金をしてくれていたようで生活には困っていない。その上叔父夫婦は血の繋がっていない俺をとても大事にしてくれる。




 ただ、それでも俺はまだ過去に縛られている。


 誰かを失うのが怖い。また一人になる気持ちを味わいたくない。


 だったら、距離を置こう。持っていなければ、失うことなど無いのだから。




 あの夏から、俺の生き方は大きく変わった。 










「――」




「ねえ君」




 少しずつ意識が覚醒してきた。声がするが、気のせいだろう。




「ねえねえ。」




 あー聞こえない。




「ねえってば!!」




「うるせえ!無視してるのが分かんないのか!?」




 振り向くと、別のクラスのやつだろうか。見覚えの無い女子生徒がそこに立っていた。




「そうだったの?耳が遠いんだと思ってた」




「そんなわけないだろうが!わかったらさっさとどっかに行ってくれ」




「君。なんでここに一人でいるの?」




「…………どっかに行けってのが聞こえなかったのか?」




「ここ、何もないし、誰もいないよね。なんで?」




 この女。まるでこちらの言葉を聞いていないようだ。


 さすがに暴力は不味い。教師に泣きつかれて、この場所が使えなくなるのは嫌だった。




「……一人になりたいからだ」




「へー。そう言えば、夏って好き?」




 この女ーーーーーーー!自分で聞いといてまるで興味が無さそうに返してきやがった。


 こっちが下手に出てれば調子に乗りやがって。


 しかし、こいつが理由でこの場を去るのは癪に障る。何とか追い出せないもんか。




 無視しても無駄なのはわかっている。冷たい態度で追い払うか。




「嫌い」








「私は好きなんだ。


 森の中では蝉が煩いくらいに鳴り響いて、命の輝きを放っているの。


 そして、歩いていくと綺麗な川があって、木々の隙間から降り注ぐ太陽を反射して煌めいている。


 水に手を入れると、冷たさに一瞬手を引っ込めちゃうんだけど、だんだんと慣れてきて、すごく気持ちいい。




「海もいいんだよ?砂浜をサンダルで歩く、足が沈み込むような感覚が普段とは違う新鮮な気持ちにさせてくれるの。それで海に入るとね、ずっと漂っていた塩の香りが包み込むほどに濃くなるの。


 でも、嫌な気分にはならなくて、足の隙間を通り抜けていく波が不思議な気持ちよさを与えてくれる。そして、遠くには山のような入道雲がかかっててね、その大きさにまるで目の前に迫ってくるかのように錯覚させられるんだ。」




「どう?夏は好きになった?」








 女は、すごく楽しそうな声で、まるでそこにいるかのような口調で語っていた。




 その姿に、遠い記憶の、大好きだった人達の面影が重なる。


 頭を振り払うと、気持ちを落ち着けるため、深く息を吐いた。




「どうでもいい」




「そっか。まあ、ただ語りたかっただけだしどっちでもいいよ」




 女はとぼけた顔でそう言う。あまりの自分勝手さに呆れたように力が抜ける。




「でも。いつか、そう、いつかでいい。遠くまで旅に行きたいと思ってるんだ


 いろんな景色を見るの。いろんな場所、いろんな季節。絶対楽しいと思うんだ」




「……あと一ヶ月くらいで夏休みだろ。その時行けばいい」




「…………うん。そうだね」




 なんだろう?赤点補修が確実なのだろうか。先ほどまでと違う、少し憂いをおびた表情で女は言った。




「私、もう行くね」




 無言で応える。なんだったんだろう、あいつ。まあいいか、ようやく一人に慣れたし少し昼寝でもするか。














 翌日、俺は不機嫌だった。




 なぜか?また憩いの場所にやつがいたからだ。


 昨日と同じように語り出すと、一人で満足した顔をしている。




「どう?秋は好きになった?」




「嫌いになった」




「そっか。まあ、昨日も言ったけどただ語りたいだけなんだよね」




 殴りたいこの女。そう思うが、必死に怒りを抑える。


 殴ったら俺の負けだ。落ち着くんだ


 この気ままな女のことだ。いずれ、飽きて来なくなるだろう。それまでの我慢だ。




 そして、女は自分が満足すると昨日のように勝手に去っていった。














 どうやら、俺の読みは間違っていたらしい。




 この女はここ二週間毎日ここを訪れてはそれぞれの季節の良いところや行きたいところを語りかけてくる。




 その表情はいつも楽しそうで、夏の太陽にも勝る輝きを放っている。




 この女は嫌いだ。俺は誰とも関わりたくないのに無断でずけずけと踏み込んでくる。




 それに、自分自身も嫌いだ。あれほど関わりたくないと言っていたのに、気を許しかけているのだから。














 最初に彼女と会ってから一ヶ月ほど経った。


 その間に俺はいつしか彼女と言葉を交わすようになっていた。




 今日は終業式で明日から夏休みだ。


 当然、早帰りで昼休みなんかないが、ついいつもの癖で旧校舎へ向かう。




 どうやら彼女も同じだったらしい。いつものように話が始まる。




「どう?湖は好きになった?」




 女は語り尽くしたとでも言うような見慣れた満足げな顔で言う。




「少しはな」




「よし!またデレポイント頂きました」




「デレてねえ」




「ちっちっち。わかってないねー。デレてるやつはみんなそう言うんだよ」




「うるさい、黙れ」




 そのようにくだらないことを喋っていると空に雲がかかっているのが分かった。


 ニュースでも雨が降るようなことを言っていた気もするので教室に戻るかと、声を掛けようとする。




 だが、どうやら一足遅かったらしい。強い雨が降り注いだ。




「うわっ降ってきやがった。いったん旧校舎に入るぞ!」




 急いで旧校舎に入る。床がぼろいので歩く度にギシギシと音が鳴る。


 そして、比較的綺麗な教室を見つけると埃を払って椅子に座った。


 すぐに旧校舎に入ったものの、雨脚が強かったので服はびちょびちょだった。




「お前は大丈夫か?」




 無意識に声が出てしまい。またからかわれると身構えかけるが、その視界に映った違和感のある光景に動きが止まる。




「……ばれちゃったか」




「お前。なんで……」




 彼女は全く濡れていなかった。俺とほとんど同じ位置にいたはずなのに。




「不思議だよね?」




「……内緒でお前だけ傘さしてたんだろう?怒らないから言ってみろよ」




「…………そうだったらよかったんだけどね」




 いつもと違う雰囲気に戸惑う。彼女は常に元気で、笑顔だった。


 そして、勝手に弾丸のようにしゃべり出すのだ。


 でも今はまるで別人のような雰囲気で沈黙を続けている




「……どういうことだ?」




「………………」




「どうして黙ってるんだ?」




「私ね。秘密があるんだ。」




 そう言うと彼女は教室を出て廊下に立つ。そして、勢いをつけるとその場でジャンプする。




「ばかっ!!!!」




 あんなことしたら床が抜ける。万が一に備えて助けに行こうと駆けだす。


 しかし、途中で立ち止まった。


 彼女は勢いをつけて跳び、着地したはずだ。そんなことをすれば歩くだけで軋む床が耐えられるはずなんかない。でもそこにはまるで重みを感じていないように床が無事な姿を保っていた。




「実は、私、幽霊なんだ」




「……幽霊?」




「少し違うけど、簡単に言うと幽霊。私本当は病院にいるはずなの。


 それに全身管だらけで動けるような体じゃないの。先生にも今年の夏は乗り切れないって言われるくらい。」




「幽霊?病院?何を言ってるんだお前は」




「信じられないよね?私も最初は驚いたの。君と出会う少し前からはほぼ寝たきりで、目を覚ます時間がほとんど無くなった。


 そしてある日ね、この旧校舎に立ってたの。元気な姿で」




 彼女は元気な体を誇示するかのようにその場でくるっと回った。




「私、病院から一度も出たことなかったんだよね


 まあ、この姿でもこの建物の近くしか動けないんだけどさ。


 それでも私にとっては貴重な外なんだ。」




「だけどお前、旅の話とかしてたじゃないか。あんなに楽しそうに」




「うん。あれは全部私がずっと憧れてたことなの。一度も外に出られなかった私は、いろんな景色を見るのが夢で、本とかテレビとかでずっと想像を膨らませてたの


 それにね。体力が続かないから人に話すことさえあんまりできなかったんだ。薬で眠ってる時間も多かったし」 




 彼女は初めて見るような苦笑いのような表情でこちらを見ている。




「やめろ。そんな顔するんじゃねえ」




 彼女はちょっと驚いた顔をすると満面の笑みになった。 




「はいデレポイントごちそうさま。もう両手じゃ数えられないね」




「うるせえよ。こんな時に冗談を言うな」




「こんなに楽しいんだもん。ついからかっちゃうよ」




「おい、お前な」




「でも、君には本当に感謝してるの。最後にいっぱいの楽しさをくれた。


 自分の体に残された時間が残りわずかだって最近わかるの。


 もうね、あっちの私が目を覚ましている時間はほとんど無いんだ。」




「…………」




「そんな顔しないで。私は幸せなの。夢を語って、人と話して、こんなに外が楽しいなんて思ってもみなかった。もう少しだけだけど一緒にいてくれる?」




「……もう少しなんて言うな」




「君は優しいよね。こんな変な女、普通の人なら初日で逃げてると思うよ?」




「俺も変だからな」




「ふふっ。そうだね。君は変だよ。すごい変」




 彼女はとても嬉しそうに笑う。




 誰かを失うのが怖い。また一人になる気持ちを味わいたくない。


 だから、距離を置こう。近づかないでおこう。そう思っていた。




 でも、今の俺は離れられる気がしない。


 持っていなければ、失うことは無い。


 でも一度持ってしまったそれを、自分から手放す勇気は俺には無かった。










 夏休みにも関わらず、毎日外へ出る。少しでも彼女と一緒にいるために。


 これまで、休日にほとんど出なかった俺を不思議そうに見る叔父夫婦に心配しないで欲しいと伝えつつ、彼女との残された時間を過ごす。




 いろいろなことを話した。


 毎日声が枯れるまで話した。




 いつまでも、今日が続けばいいのに、そう思う中で、最後の日は近づいていた。




 彼女の姿は徐々に薄くなっている。


 色が消える速度を考えると、もうほとんど時間は残されていないかもしれない。そう思った。












 数日後の夜、遠くで祭りの花火の音が聞こえる。


 俺たちは上がっては消えていく花火を見ながら木陰に座っていた。




 彼女の足は既に見えない。


 その体は徐々に輝き粒子となって消えていっている。


 そして、それと共に彼女も弱っていくのが分かった。




「君ともっと一緒にいたかったな」




「ああ」




「本当は一緒に外の世界を見に行きたかった」




「ああ」




「いろんなところに行くんだ。山も、川も、海も、島も、湖も、どこへだって」




「ああ」




「私が引っ張って君が呆れながらついてくるの。どう?素敵じゃない?」




「……ああ」




 俺の視界が涙でゆがむ。


 情けない俺の顔を見ると、彼女は穏やかに、そして慈しむようにほほ笑んだ。




「ねえ、一つだけ約束して欲しいの」




「なんだ?」




「これからの人生。精一杯、楽しむって。それこそ、私の分まで」




「……わかった」




「じゃあ約束ね」




「ああ」




 彼女の指が俺の指にかかったように合わせられる。そして、彼女はいなくなった。




 祭りも終盤なのか連続で鳴る花火の音が俺の嗚咽の声を隠してくれた。























「もう行くのかい?」




「はい叔父さん。心配しないでください。満足したらちゃんと帰ってきますから」




「わかった。体には気を付けてね?」




「はい」




 あれから俺は人と再び関わり始めた。


 最初は戸惑っていたクラスメイトとも徐々に仲良くなり、卒業するときには多くの友達ができていた。




 そして、卒業するとすぐにバイトを始め、お金を貯めた。


 両親の遺産じゃなく、自分の稼いだお金でどうしてもやりたいことがあったからだ。




 今日、俺は旅にでる。二人で語ったいろんな景色を見るために。






 扉を開けると蝉がまるで命を燃やすように大声で鳴いている。




 夏は好きだ。彼女を思い出すから。








 そして俺は、外の世界へと足を踏み出した


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蝉が鳴く、君と逢う A @joisberycute

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