第2話 覚醒

 席を立った。白い無機質な壁に体を預けながら歩き、倒れそうになるのを何とか支える。洗面所へ向かった。蛇口をいっぱいに捻る。水は勢いよく流れ続ける。排水溝を手で塞ぐ。直ぐに手首まで水が溜まった。顔を上げた。鏡に映る僕は直視できない程に曇り、翳り、頬がこけて見える。左手を右手に近づける。掬った水を顔めがけて放り投げた。辺りに飛び散る水飛沫。床が濡れても気にもならなかった。また鏡を見る。触れた肌は、さっきよりも少し萎縮し、緊張しているようだった。何日も取り替えてはいない黄ばんだ固いタオルで顔を拭いた。臭いは感じない。バナナのように歪に反ったチューブを手に取った。必要以上に歯磨き粉を出し、バサバサの歯ブラシにそれをのせる。簡単に歯をブラッシングする。口腔内の粘着物を取るだけの行為。うがいは三回、軽くした。徐々に目が覚め始める。今度は壁に頼ることはせず、キッチンへと戻ろうと踵を返した。用を足していないことを思い出す。途中にあるトイレにに入った。冷たい便座を警戒しながら腰を下ろす。暫くの我慢。温度の均衡が保たれたことを認識する。視線を落とし俯いた。そして溜息を吐いた。目の前に落ちている白い紙の残骸は右端に集まり、本能に支配される蟻の様に群れ、独りは危険だと誰かに訴えているようだ。そんな事を考えて、僕は小さく鼻から息を溢し、何故だか笑った。逃がしはしないと紙を掻き集めトイレから飛び出る。怒りを抑えながらテーブルまで急いだ。放置された残飯を乱暴に掴み取り、一緒にゴミ箱へと投げるように捨てた。何日も捨てていないゴミが山のように聳え立ち、その周りをコバエが数匹飛んでいる。食べかけの朝食を捨てるのは毎日のことだった。

 テーブル横にある椅子に崩れるように座る。脱力した左腕を見つめ、肩に視線を移してから顎を上げた。今にも落ちてきそうな安っぽい天井が映る。一度深く瞼を閉じ、カーテンから漏れ出る微かな光の揺れに哀惜の想いを感じた。もう一人の自分を思い描き、赤の他人を見るように嘲けるような眼をわざと向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る