アリスとサンドリヨン

安崎依代@「比翼」漫画①1/29発売!

『ねぇ、アリスのお茶会は何時から始まると思う?』


 懐かしい夢を見たのは、この舞踏会に気が乗っていない証拠だろうか。


「殿下、お時間です」


 椅子に座ったまままどろんでいたカイトは、侍従の声に目を開いた。


 豪奢な部屋に、きらびやかな衣装。舞踏会の会場であるホールへ移動すれば、そこに招待客が加わり目がくらむほどの空間が作り出されているのだろう。


 その光景を漠然と想像し、カイトは無意識の内に左胸の内ポケットに入れた懐中時計に指を這わせていた。


 この10年、ふと気付けば懐中時計に手を伸ばしている。その仕草がすっかり癖になっていた。


「殿下」


 重ねて向けられた声に答えないまま、カイトは気だるげに控えの間を出る。会場から離れているはずなのに、廊下に出ただけでホールの熱気が押し寄せてくるような気がした。


「殿下、今宵は城下の娘達を一同に集めております。殿下の御心に適う娘の一人はおりましょう。将来の伴侶を、必ず見つけてくださいませ」


 侍従がいささか礼を失した念を押すのは、25歳にもなったカイトが一向に結婚相手を決めないせいだ。そもそも父王が痺れを切らしてこんな舞踏会を開いたのも、全てそこに原因がある。


 早く身を固めて、世継ぎを作れと。


 過去のことなど早く忘れて、未来を見ろと。


「……」


 カイト自身だって、そろそろそれなりの相手を決めなければならないことは分かっている。自分の立場では、生涯独身を貫くことなど到底許されないということも。


 それでも、念を押す侍従に言葉を返すことはできなかった。


『アリスっ! ほら、早く行かなくちゃっ!』


 不意に、幼い少女の声で幻聴が聞こえた。


 その声に、カイトは胸の内だけで言葉を返す。


 ──行きたくないよ、リディ。


 カイトの心には、一人の少女が住んでいる。もう決してカイトの元には帰ってきてくれない少女が。


 ついさっきまどろみの中で聞いた懐かしい声を思い出そうと、カイトはゆったりと目を閉じる。


 柔らかい亜麻色の髪に、翡翠のような瞳をした少女だった。快活で、いつだってカイトの手を引いてくれた。


 そんな彼女は、もうこの世界にいない。


 彼女が落ちていったのは、不思議なウサギの穴ではなくて、奈落の谷底だった。家族もろとも、領地視察の馬車に乗ったまま谷底に落ち、亡骸はついぞ見つからなかった。


 それからだ。カイトが何もかもに興味が持てなくなり、『傀儡くぐつの王子』と呼ばれるようになったのは。


「今宵のパーティーは、年頃の未婚の女ならば誰でも参加できると聞きましたわ」


 また指先が、左胸の懐中時計を求めて宙を泳ぐ。


 そんなカイトの指先を止めたのは、不意に聞こえた柔らかな声だった。


「ならばわたくしだって、参加しても良いはずでしょう?」

「しかし、招待状は……」


 焦がれる声に、似ていた。


 カイトは思わず弾かれたように顔を上げる。その先に、数人の衛兵と揉めている一人の令嬢の姿が見えた。


「招待状はありませんわ。先日この国にやってきたばかりですもの」


 だがそこに、カイトが求めた姿はない。


 ──そうだ、リディがこの場に現れるはずがない。


 それが分かっていながらも、カイトは落胆を隠すことができなかった。


 そんな自分に、カイトは思わず自嘲の笑みを浮かべる。だがなぜか足は一行の元へ真っ直ぐに進み出していた。


 そんなカイトに侍従が戸惑うのが気配で分かったが、もうそれに構うことさえ面倒くさい。


「参加させてやればいいじゃないか」


 諦観とも自嘲とも取れる感情を転がしながら、カイトは声を上げた。その時にはすでにカイトは揉める一団と数歩の間合いにまで距離を詰めている。


「で、殿下……!!」

「今宵のパーティーは、未婚の年頃の娘ならば誰でも参加できる。そう触れを出して俺の名前で勝手に招待状を書いたのは、お前達だろう?」


 ようやくカイトの存在に気付いた一行がひっくり返った声を上げる。その奇声でようやく王子の存在に気付いたのか、場の空気がサワリと揺れた。


「しっ、しかし……!!」


 勝手に自分の名前を使われていたことを言外に非難すれば、衛兵も反論はできない。


 そのことにわずかに溜飲を下げたカイトは、止められていた娘へ視線を向ける。


 衛兵がなぜ娘の入場を拒んだのか、その理由はすぐに分かった。


 雪のように白い髪と、ルビーのように真っ赤な瞳。その色合いに合わせたかのような純白のドレス。唯一色を宿した金の首飾りは鎖が首から長く垂れていて、ペンダントトップは豊かな胸の谷間の中に消えている。


 娘が宿す色は、カイト達には見慣れないものだった。


 ──でも、似ている。


 誰もがかしこまって形だけ頭を下げる中、その異形の娘だけが深く膝を折って礼を取りながらも顔を上げていた。真っ直ぐにカイトを見上げたルビーの瞳は、カイトと視線があった瞬間、懐かしいものを見つけたかのように柔らかく細められる。


 そんな中、珊瑚色の唇が笑みを刻み、カイトの意識を引いたあの声で言葉が紡がれた。


「お初にお目に掛ります、カイト殿下」


 髪の色も違う。瞳の色も違う。


 だけどその柔らかな声と、温かな笑みが似ていた。


 それだけで、カイトには十分だった。


「臣下の無礼をどうか許してほしい」


 気付いた時には足が前に出ていた。衛兵を押しのけ、自らの意志で娘に向かって手を差し伸べる。


「どうぞこちらへ、白ウサギの姫君。ちょうど今から最初のワルツが始まる。一曲お相手願おうか」


 ザワリと会場中が揺れたが、カイトはそれに気付かないフリをした。


 強引に娘の腕を取り、ホールの中心に向かって歩き出す。視線だけで楽団に合図を送れば、呆然と立ち尽くしていた指揮者が慌ててタクトを振った。


 今宵の宴の始まりを告げるワルツが、いささか慌てふためいた調子で鳴り響く。


「白ウサギの姫君、貴女のお名前は?」


 ホールの真ん中へ娘を引き出し、ゆったりとステップを刻む。周囲から娘へ羨望の視線が、カイトへは非難の視線が突き刺さるが、ワルツに興じている間は堂々とそれらを無視することができる。


「アリスとお呼びくださいませ」


 カイトが強引に連れ出したにもかかわらず、カイトのリードに身を任せた娘は嬉しそうに笑っていた。流れるようなステップと体重を感じさせない身のこなしは、こうしてワルツを踊ることへの慣れを感じさせる。


「おや、それは奇遇だな。俺も一時期、アリスと呼ばれていたことがある」


 一体何者なのだろう。


 久しく存在さえ忘れていた好奇心がカイトに口を開かせる。


「『カイト・アリスティア・レストルグ』の『アリスティア』から取って『アリス』ですわね」


 そんなカイトにも、娘は嬉しそうに笑んだまま答えた。


 娘がフワリと軽やかにターンを刻むたびに、白いドレスがシャンデリアの光を受けて薄い水色の光沢を見せる。その様はまるで、忘れられない彼女と幼い頃に一緒に読みふけった童話の主人公のドレスのようだった。


 いや、気を引かれたのは、その部分ではない。


 ──この、癖は……


 散々一緒に踊って覚えたワルツ。ターンから戻ってくる時に少し外側に軌道が膨らむ癖。ずっと彼女を相手に練習してきたから、カイトは他の人とワルツを踊ると、ターンから返ってきた相手を受け止める時に少しだけ体の位置がずれる。


「その呼び名で貴方様を呼ぶお方は、今はいらっしゃいませんの?」


 懐かしい声とよく似た声で問いながら、娘はピタリとカイトの腕の中に収まった。今は亡き彼女としかピタリと合わないはずである、カイトの腕の中に。


「彼女は、10年前に亡くなってしまった」


 そのことに、息が詰まる。胸が、苦しくなる。


「今はもう、呼ぶ者のない呼び名だ」


 だから、かもしれない。


 ポロリと、余計な言葉をこぼしてしまった。


 その言葉に、娘の瞳がもう一度細められる。


「ねぇ、アリスのお茶会は何時から始まると思う?」


 そんな娘の珊瑚の唇から、ひそやかに問いがこぼれた。


 まどろみの中で聞いた懐かしい台詞と全く同じ問いに、カイトは目を見開く。


「リディ……」

「今宵のお茶会は深夜12時。鐘が鳴れば、サンドリヨンは去らなければならない」


 懐かしい名前が、無意識のうちに唇からこぼれていた。


 だがそれを遮るかのように、絹の手袋に包まれた指先がそっとカイトの唇に触れる。


「今宵のお茶会のメンバーは、狂った帽子屋に発情期の野ウサギ、眠っているフリをしたヤマネ」


 カイトの足が、完全に止まる。それに追従するかのように娘のドレスもフワリと力を失って落ちていく。


 二人の間にだけ、静寂が満ちた。まだワルツはラストに向けて必死にリズムを刻んでいるというのに。


「ねぇ、アリス。お茶会に似合わないワインは決して飲まないで」


 その静寂の中にそっと、囁きが落ちた。


 カイトの唇に指先を置いたまま、透き通った笑みを浮かべた娘は伸び上がってカイトの耳元に珊瑚の唇を寄せる。


「飲まずにいてくれれば、血濡れた白ウサギが必ずアリスを助けに行くわ」

「それは」


 ──どういう意味なんだ?


 そう、問いたかった。


 指先が左胸の懐中時計を求めてさまよう。


 だが問いを口に出すよりも、カイトの指が懐中時計に振れるよりも、華々しい終章とともにワルツが最後の音を響かせる方がわずかに早い。スッと体を引いた娘は作法通りに一礼するとカイトと距離を置いてしまう。


 その隙を、虎視眈々とチャンスを狙っていた周囲の人間が見逃してくれるはずもない。


「どういう意味だ、それに君は……」

「殿下! 今宵もご機嫌麗しゅう」

「次はわたくしとご一緒してくださいますわよね?」

「いいえ、私と」

「私の方こそ!」


 傀儡王子が自らワルツの相手を求めた。


 そんな今までにない状況に俄然やる気を燃やし始めた令嬢やその親が、ワッとカイトに押し寄せる。


「ま、待て! それよりもあの言葉の意味を……!!」


 波に飲まれたカイトは、自分に群がる人混みをかき分けて必死に視線を巡らせる。


 だがどれだけくまなく視線を巡らせても、白ウサギに似た色合いの娘はもうどこにも見つからなかった。

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