手を飼う男

@aikawa_kennosuke

手を飼う男

手を拾った。




その日は雨だった。土砂降りだったから、傘をさしてても膝から下がびしょ濡れになって、水が足にまとわりつく不快感でイライラしながら歩いてた。




会社帰りで、いつもなら日が陰り始める時刻だったから、雲が全体的に黒みを帯び、徐々に明かるさを無くしていくところだった。




住んでいるアパートがある閑静な住宅街を歩いていると、道の真ん中に何かが落ちていた。


最初はビニール袋か何かだろうと思った。


だが、近づくとその異様さに、さらに目が惹かれた。




人の手だった。


手首からさきだけの。




一瞬マネキンの部品かとも思ったが、質感がリアルすぎる。


その手は甲を上に向け、手首の根本から大量の血を流しながら、雨に打たれていた。




俺は周囲を見渡して誰もいないのを確認して、その手を拾ってバッグに仕舞った。


自分でもなぜか分からないけど、その手が無性に欲しくなった。


手を拾う機会なんてこれを逃すと一生無いだろうからね。その事象の稀少性が行動を促したのかもしれない。




家に着くと、濡れた服はそのままにまずは拾った手を洗った。自分の両手で、自分のと同じ肉感の手を洗うのは不思議な感覚だったな。


最初のうちは血がかなり出てたんだけど、そのうちに一滴も出なくなった。けど、手の血色は変わらず、まるで生きているかのようにみずみずしいままだった。


肌の白さと、指関節の細さから、おそらく女性の手だろうと予想がついた。






で、その手をどう保管するか思案した結果、水槽の中に入れておくことにした。


水に塩を入れて生理食塩水を作り、手と一緒に水槽に入れた。


冷凍して保管することも考えたけど、冷凍庫の中に入れたら鑑賞もできないし、なんとなく水に入れておくだけで大丈夫なんじゃないかと思ったんだ。


手は、水槽の底に沈んで沈黙していた。




しばらくはなんともなかった。


朝起きた時、仕事から帰った時、ふとした時に水槽に沈んだ誰のものかも分からない手に目をやると、まるで高価で珍しい生き物を飼っているかのような愉悦感と充実感を覚えた。




だが異変は起こった。




拾ってから一週間くらい経った日の夜。


寝ていると音が聞こえてきたんだ。




コツン、コツン、って、何かを叩く音だった。


まるでガラス窓を誰かがノックしているかのような。




思わず電気をつけて、部屋の中を確認した。


だが、窓も窓の外も何も異常はない。


虫か何かが窓に当たっていたのだろうか、そう思いつつ、何気なしに部屋の隅に置いてある水槽を見たんだ。




動いてたんだよ。あの手が。


手の平のほうを下にして、指をまるで足のように動かしていた。


四方の壁にぶつかりながら、動いて飛び跳ねていた。まるで生き物のように。


コツン、コツンという音はその手が鳴らしていたんだ。




水槽の中はとんでもなく異様な光景だったが、不思議と恐怖は無かった。


むしろ、手が動いたことに嬉しさを感じていたと思う。




やった。この手は生きてる。


これからどう育てていこうか。




そんなふうに考えていた。




そして次の日から、その奇妙な手を飼育する日々が始まった。




水槽の中を動き回る手は、日に日に活発さを増していった。


試しに餌を与えてみた。


コオロギやミルワーム、魚肉や鶏肉、パン屑に米粒、いろいろ試したんだが、どれも食べようとしない。


まあそれもそのはず。手なんだから。口も消化器官もないんだから。




そうしてると水槽の中が汚れてくるから、水を替えなければならなくなる。


水槽をキッチンへ持っていき、手を別の容器に移そうとした時だった。


俺の手首が、その手に掴まれたんだ。




これが結構強いんだ。


大人の女の人に、ぎゅっと掴まれたくらいだった。


それに、その手の平に人間と同じくらいの体温を感じて、思わずゾッとして、手を払い除けた。


キッチンのシンクに落ちたその手は、手の平を上にして指をくねくねと動かしていた。




水槽の水を替え終わって、手を水槽に戻そうとすると、また俺の手に掴みかかってきた。


またもや驚いた俺は、今度は床に手を叩きつけたんだ。




手は床の上でもがくようにしていたが、しばらくすると、指を足のように動かして床を這い回り始めた。


ヒョコヒョコと部屋の中を動いているそれは、なんとなくトカゲを想像させた。


この手は水の中でなくても生きていけるようだ。






その日から俺は、手を部屋の中で放し飼いするようになった。


俺が会社に行っている間や部屋を不在にする時は紐で繋いだり、水槽に入れておくようにして、部屋にいるときは自由にさせておいた。




最初はすぐに掴みかかってきたが、だんだんと懐いて来るのがわかった。


撫でてやると、まるで猫のようにうっとりと指を弛緩させた。


ぬるま湯で洗ってやると喜んでいるかのように指をひくひくとさせた。




そして、俺は名前をつけることにした。


めぐみ。


めぐみにしよう。


昔付き合っていた女ってわけでも、好きな芸能人の名前ってわけでもなく、ほんとになんとなく思い浮かんだ名前だった。






めぐみは成長していった。


手自体が大きくなっているんじゃない。


まず、爪がのびていく。指で歩行しているから爪の手入れをしないと割れてしまう。


そして驚くべきことに、手首の部分の肉がだんだんと盛り上がっていき始めたんだ。




その盛り上がりは日増しに大きくなっていった。


一日に数センチ大、体積が増えている。


そして、手首がだんだんと長くなっていくのだ。


肘関節が形成されるのも、そう時間はかからなかった。




肘関節の細さを見ても、明らかに女の腕だった。


そして、めぐみは肘からさきもどんどん生やしていった。




肩関節まで生えてくると、さすがにもう動き辛そうだった。


めぐみは手首と肘をうまく曲げながら、床を這って移動していた。




肩から先も形成されていった。


めぐみは右腕だったから、まずは右胸が生えてきた。


若々しい乳房だった。20代、もしかしたら10代かもしれない。


右胸が形成された後は、次第に肩と鎖骨の辺りも生えてきた。




そして、俺はめぐみと一緒に寝るようになった。


めぐみの肌は異常なほど綺麗だった。


白く、きめ細かく、まるで赤ん坊の肌のようにつややかだった。


俺は思った。


めぐみと一緒になろう。


おそらくこれからだんだんと体全体が形成されてくるだろう。彼女が一体何者であるにせよ、絶世の美女であるということは予想がつく。


俺は、めぐみと一緒に暮らしていきたい。


首の根元、顎の辺りまで生えてきているめぐみを撫でながら、そのさきに実る顔に思いを馳せて眠りについた。






翌朝、息苦しさと、首元の熱さで目を覚ました。




一瞬何が起こっているのかわからなかった。


そうだ、めぐみは。


そう思って俺は布団の中に手を這わせた。




だが、次の瞬間、首元に感じていた熱さが痛みに変わった。


めぐみが俺の首に覆いかぶさるようにしているのが分かったから、めぐみに首を締められているのかと思った。


しかし、首元の感覚としては、鋭利なものに挟まれているような感覚に近い。そして、めぐみの手は反対側にみえている。




俺は次の瞬間、何が起こっているか理解した。


俺はめぐみに噛まれている。


首元を、相当に強く噛まれている。


おそらく、一晩のうちにめぐみの顎からさき、口や歯が形成されたのだろう。


それが今噛み付いている。




俺は起き上がると、両手を使って首元に噛み付いているめぐみの口をこじ開けた。


離れためぐみは、グウー、という低い唸り声を上げていた。


体は腹の辺りまで形成され、右腕と首と体をくねらせて、不気味にのたうち回っていた。




自分の首元に触ると、血がべっとりとついていた。


服もシーツも血まみれで、ドクドクと血が溢れ出ていた。




このままでは死ぬ。


そう思った俺は、救急車を呼んだ。


「飼っている手に噛まれた」なんて言えないから、とにかく首元に怪我をしたことだけ伝えた。


救急車到着まで、15分ほどかかるらしい。




電話している間も、めぐみは唸り声をあげてばたばたと動いていた。飢えに苦しんでいるかのように、歯をカチカチと鳴らしていたから、空腹で俺に噛み付いたんだなと思った。


要は、めぐみにとって俺は餌だったっていうことだ。口と消化器の一部が形成され、空腹を感じて襲ってきたのだろう。




救急車が来るまでの間に、俺はめぐみを殺すことにした。


出血で頭がクラクラする中、キッチンから包丁を取り出した。




俺は床を這っているめぐみを蹴って仰向けにさせると、包丁で腹の部分を刺した。


その瞬間血が飛び散り、めぐみは甲高い叫び声をあげた。


続けて胸にも刺した。


めぐみは血を吐きながら暴れていたが、しばらくするとぐったりと動かなくなった。




俺は血が流れる自分の首元を押さえながら、めぐみの死骸をビニール袋に詰めた。


血まみれになった右上半身と首と、そして顎のだけの体は熱を持っていて、この奇怪な生き物がたしかに生きていたことを今さら強烈に実感させた。


そして、風呂場に隠すと、めぐみの血で染まった服を着替えて、アパートの外で救急車の到着を待った。




雨が降っていた。だが、濡れるのに構わず、外の塀にもたれてしゃがみ込んだ。


寒気を感じる。大量の出血のせいだろうか。


意識が朦朧として、思考ができなくなる。


そして、雨の音に紛れて、救急車のサイレンを聞いた気がした。






それ以降は記憶がない。


気がつくと病室のベッドの上だった。






俺は首元の大きな血管を損傷していたらしく、出血多量で気を失ったらしい。


自宅アパートの前で倒れているところを救急車に乗せてもらい、病院で処置をした結果、一命をとりとめたとのことだ。




それからは警察からの事情聴取もあったが、アパート付近で不審者に首元を噛まれたと証言した。


めぐみの死体がある自宅アパートの捜査にまで及ばないようにしたかったから、咄嗟にそう言ったのだった。




とんだ災難だったなと自分ごとながら思った。


全てはあの手を拾ってからだ。


めぐみなんて名前をつけて、浮かれて生活していたことを悔やんだ。


自分は紛れもなく被害者なのだが、めぐみを刺し殺した事実と、その感覚と光景は、罪と後悔の烙印のように記憶に焼き付いていた。






全治には2週間ほどかかり、退院できた。




これだけ長期間休んでしまって、会社は大丈夫だろうか。


めぐみの死骸をどう処分しようか。


実家には連絡がいっているのだろうか。




そんなことを考えながら、アパートの自室の鍵を回して、ドアを開けた。






「あら、おかえりなさい」




思わず俺は後ずさった。


予期せぬ声だったから。


若い女の声。


反射的に部屋番号を確認する。


ここは間違いなく自分の部屋だ。




そして、エプロン姿の20代、もしかすると10代かもしれない美女が部屋から姿を現し、どこか艶めかしい歩き方で、玄関先に突っ立っている俺に近づいてきた。




少しの沈黙の後、俺は痛む喉元からかすれた声を出して、


「…めぐみ?」


とだけ言った。




その女は俺の方に駆け寄り、細い腕を回して抱擁してきた。


そして、透き通るような声で、俺の鼓膜を優しく震わせた。




「ずっと待ってたんだから。お腹すかせてね。やっと食べられるわ。」




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