第51話 はあ

昨日、何回目かのメンクリ受診が終わりました。

胃が痛いのは薬の副作用のようで、半分に減らしてもらって様子を見るそうですが…それでもまだ痛かったので次は種類を変えることになりそうです。

やる気が出るお薬を飲んでいるのに全くやる気なんて出ないし、無気力だし早く死にたいのは変わりません。


色々調べた情報の中にあった症状の固定化という概念。浮かぶ難治性という言葉。

1年以内 疾患機関と回復期間 同程度以上の

断片的に単語が浮かんできて、それは私を諦めさせるには充分すぎるもので。

今日もやらなきゃ行けないことはあるはずなのに、こんな時間まで何も出来なくて…する気もない。

自分でやると言ったことすら出来なくて。

何も考えたくないことってそんなに悪いことでしょうか?

生産性ばかり求められて、自分も自分にそれを重要視してきたけれどもう疲れました。

よくなってないからそんな見通しもクソも無いんですけど、治ればまたそれだけを求められる世界に放り出されて自分ひとりで歩いていくことが美しいとされるのはもう嫌だと思います。


助けて欲しいという考えがあると伝えたら、先生は私にとって救いって何ですかと聞いてくれました。

わかんない。そんなの分かんないです。

救いを感じたのはどんな時だろう。この人生で救われたことはあったのだろうか。

分かんないなりに一生懸命考えて、私は言った。

抱いている不安が根本的に解消されることだと。

でもそれは無理なことは分かっている。矛盾。

その不安って具体的になんですか、とも聞かれました。自分を責める気持ちや劣等感と答えました。

言葉にすることで一層情けない気がしました。

帰りの電車を待つホームで、到着した電車に飛び込んでしまおうかと思うくらいにはまだ病んでいます。でもそんな自分に安心してる所もあって、そんな自分も大嫌いで死んじゃいたいです。

でもまだ生きてます。痛いのはやだ、苦しいのはやだ。そんな恐怖だけで生きてます。

生きてるだけで一生懸命な私。

お仕事も生活も頑張れる皆。

その違いって一体なんなんでしょうか?

もう嫌です。

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