二枚のピザ

 とある日の休日。

 午前九時に鳴り響いた電話から、全てが始まった。

 電話を掛けて来た相手は、俺の母さんだった。電話を取ってみると、「今日のお昼頃、湊の家の近くに用があるから帰りに部屋に寄って行くわね」とのことが告げられた。

 日頃から部屋は綺麗にしてあるので、特に片付けなどの必要はない。しかし母さんにはまだ言っていないことが一つだけあった。


「そう言えば……お前のこと言ってなかったなあ……」


 そう言いながら、眠たそうな顔でベッドの上でペタンと座っている瑠愛を見る。彼女の髪にはところどころ寝癖が跳ねていて、さっきまで寝ていたことが分かる。


「どういうこと?」


 眠たそうな顔のまま、瑠愛は首を傾げた。


「昼くらいに俺の母さんがうちに来るんだって」


「お昼ご飯はどうするの?」


 俺の母さんが来ると聞いて昼食の心配をするとは、さすがは瑠愛だ。精神が図太すぎる。


「母さんがピザを買って来てくれるらしい」


「私の分もあるのかな」


「多めに買って来てって言ってあるから大丈夫だと思うぞ」


「そう。湊のお母さん優しい」


 瑠愛は寝ぼけ目のままに言うと、ベッドから立ち上がって服を脱ぎ始めた。


「着替えるのか?」


 瑠愛は寝巻きのままで一日を過ごすことが多い。なのに今日は珍しいなと思っていると、服を脱いだ勢いそのまま下着まで脱ぎ始めたので、慌ててテレビに視線を向けた。ちなみに今日の瑠愛の下着は、ちょっと大人な黒色だった。


「ううん、シャワー浴びてくる」


「珍しいな。どうしたんだ?」


「お母さん来るなら、寝癖のままじゃイヤ」


 おお……瑠愛がそんな気を使えるなんて……朝から少しだけ感動したぞ。

 背後からガサゴソと着替える音が聞こえたかと思うと、ペタペタと浴室に向かっていく足音が聞こえた。


 瑠愛の下着姿は見慣れたけど、裸を見るとなると勇気が居るんだよなあと思いながら、誰も居なくなったベッドを振り返る。

 ベッドの上には瑠愛の脱ぎ捨てたパジャマや下着が散乱している。その普段と変わらぬ光景を見て、母さんが部屋に来る緊張がほぐれる。


「しょうがないなあ」


 口では文句を言いながらも、脱ぎ捨てられたパジャマと下着を洗濯機に投げ入れた。

 やっぱり手のかかる彼女は最高だ。改めてそう思えた朝だった。


 ☆


 正午を少し過ぎたところで、部屋の中にはチャイムの音が鳴り響いた。ドアスコープを覗いてみると、そこには久しぶりに見る母さんの姿があった。

 後ろを振り返ると、瑠愛がいつもの無表情のまま立っている。

 この扉を開けた瞬間に、母さんと瑠愛の初対面だ。俺が一番緊張している自信がある。


「開けるぞ」


 緊張した声で言うと、瑠愛はあっけらかんとした表情でこくりと頷いた。


「よし……すー……はー……」


 深く深呼吸をしてから扉を開く。

 扉を開けた先には、ピザの入った袋を持った母さんが居た。茶色の髪はカールが掛かっていて、赤色の口紅が目立っている。口元には小皺があり、年齢を感じさせる。そんな母さんは、俺の顔よりも先に瑠愛を見て目を大きくさせた。


「あ……えっと……?」


「お義母さん。初めまして。湊の妻の柊瑠愛です」


 また何ともややこしい自己紹介をしてくれたものだ。でもそんな自己紹介も瑠愛らしいので、全てを許せる。


「えー……っと?」


 目を白黒とさせている母さんは、瑠愛を手で示しながら俺の顔を見た。


「まあ、ちょっと色々あって。中で話すよ」


 そう言って母さんを部屋に通した。


 俺と瑠愛は隣同士に座り、母さんとはテーブルを挟んで向かい合わせになっている。テーブルの上にはピザが二枚あるが、まだ誰も手を付けてない。


「それで湊……この偉いべっぴんさんは……?」


 母さんはチラチラと瑠愛を見ては、俺の顔を見て確認する。


「えっと、紹介するね。こちらは同じ高校に通う柊瑠愛。そんでもって僕の彼女です」


「どうも、湊とお付き合いさせて頂いております。柊瑠愛です」


 ちゃんとした挨拶も出来るんだな。よく言えましたと褒めてやりたい。


「か、彼女さん? 本当に? こんな可愛い子が?」


「そうなんです。俺にもこんな可愛い彼女が出来たんです」


 信じられないような目をする母さんは、「はえ〜」と声を漏らしながら瑠愛を見る。


「えっと……柊さん?」


「ん、名前で大丈夫。です。」


 取ってつけたような敬語だったが、母さんは気にする様子なくテーブルに前のめりとなる。


「瑠愛ちゃんはハーフなの?」


「うん、日本とロシアのハーフ。です」


「だからなのねぇ。日本人離れしていてとても美しいわ……まさかこんな子が湊の彼女になってくれるなんて……あ、ピザ食べていいからね。じゃんじゃん食べてちょうだい」


「ありがとう。お義母さん」


 敬語を使うのを諦めた瑠愛はピザを両手で持つと、小さな口でパクリと食べた。


「食べてるところも可愛いわね……ずっと見てられるわ……」


「だよな……可愛すぎるよな……」


「アンタ、瑠愛ちゃんだけは大事にしなさいよ。こんな美人な子、他に居ないんだから」


「分かってる。俺も瑠愛以外は考えられない」


 俺と母さんから熱い視線を送られながら、瑠愛はキョトンとした顔でピザを食べている。


「今日はお家でデートだったの?」


「いや、特にデートの予定は無かったな」


「……? だって瑠愛ちゃんが家に遊びに来てるじゃないの」


 そうか。無事に瑠愛を紹介出来て安心していたが、まだ同棲のことを話してなかった。でも、ここまで来て話さないワケにはいかないだろう。


「落ち着いて聞いて欲しいんだけど……実は瑠愛と……同棲してるんです……」


「……え? ど、同棲……?」


「今まで隠していて申し訳ございませんでした」


 俺が頭を下げると、瑠愛もピザを食べながら頭を下げた。

 母さんは今日で一番驚いているようで、目を見開いたまま固まっている。


「お義母さん。大丈夫?」


 瑠愛が声を掛けると、母さんはピクリと反応してから俺たちを交互に見た。


「そっか……今の高校生はそうなのね……」


 多分、俺たちの場合は特別なケースだと思うが、母さんは自分に言い聞かせるようにして何度も頷いた。


「じゃ、じゃあ瑠愛ちゃんの親御さんには……?」


「ああ、挨拶ならもう済んでるよ」


「そうなのね……それなら安心……なのかしら……」


 母さんはそう言いながら、二枚目のピザを手に取った瑠愛を見た。


「瑠愛ちゃん」


 母さんに名前を呼ばれて、瑠愛はキョトンとした顔で首を傾げた。

 そんな瑠愛に向かって、母さんは深々と頭を下げた。


「これからもウチの湊を、どうかよろしくお願いいたします」


 こうやって言われるのは、何だか少しだけ照れる。

 瑠愛はどんな反応をするのだろうと思っていると、手に持っていたピザをテーブルに置いて、母さんと同じように深々と頭を下げた。


「こちらこそ。任せて。お義母さん」


 かしこまった雰囲気は皆無だったが、瑠愛らしく言葉を返せたようだ。


 それからは三人でピザを食べて、母さんは「これ以上はお邪魔だから」とそそくさと帰って行った。

 母さんが家に来ると決まった時はどうなることやらと思ったが、同棲していることも無事に伝えられたので、大健闘だったんじゃなかろうか。

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