二人きりじゃないと

 昨日始まったばかりに思えた冬休みも終わりを告げ、今日は久しぶりに学校へと登校する日である。

 二週間ぶりの制服に身を包んで、校舎の階段を登っていく。ドアノブに鍵を差し込んで扉を開いて、冷たい風が吹く屋上へと足を踏み入れる。

 テントの前には二人分の上履きが並んでいて、どちらもつま先の色は赤色。ということは、中に居るのは柊と桜瀬だろう。


「入るぞー」


 いつも通り声を掛けると、テントの中からは「はーい」と桜瀬の返事が返ってきた。

 ファスナーを開くと、柊と桜瀬が身を寄せ合いながら毛布にくるまって寝転がっていた。


「相変わらずだな、二人とも」


 そう言いながらテントの中へと入り、ファスナーを閉める。普段の定位置に腰を下ろして、近くにあった毛布を膝に掛ける。

 ようやく一息ついたところで、寝転がっていた柊が体を起こした。


「湊、ちゅーしよ」


 キスをせがまれるのだろうなと予測はしていたが、実際に言われるとドキリとさせられる。

 柊は毛布から抜け出すと、四つん這い歩きでこちらへと寄ってきた。


「ま、待て待て」


 その真剣な表情に、思わず後ずさる。しかしテントの中に逃げ場なんてなく、あっさりと柊に距離を詰められる。


「ちゅーしよ?」


 俺の座るすぐ側でちょこんと正座をした柊は、無表情のまま首を傾げている。

 俺だってこんな美少女にキスをせがまれれば、今すぐにでもしてやりたい。だが俺のうぶな心が邪魔をするのだ。数ヶ月前までぼっちを極めていた人間に、美少女とのキスはレベルが高すぎる。


「きょ、今日は桜瀬も居るから」


 だからこうして何かと理由を付けては、キスを先延ばしにする。もともとの約束では一年生が終わるまでにキスをするとのことだったので、一応約束は破っていないことになる。しかしこれだけ女子の方からアプローチをしてくれているのに断るのも、男としてどうなのかと思う。


「紬からアドバイス貰った」


「ど、どんな……?」


「待つだけじゃダメだっ──」


「わぁぁぁ! ストップストップ!」


 突如として大きな声を上げた桜瀬は、顔を真っ赤に染め上げながら布団から出てきたかと思うと、柊の口を手で塞いだ。しかし柊が何を言おうとしていたか分かってしまったので、もう手遅れである。


「それを湊に言ってどうするの!」


「んもも」


 口を塞がれていて、柊は上手く喋れないようだ。桜瀬はこちらへと視線を向けると、作り笑いを浮かべた。


「湊、さっきの聞こえてないよね?」


「ごめん、聞こえちゃっ──」


「聞こえてないよね?」


 どうやら選択肢はひとつしか用意されていないようだ。


「聞こえてません」


「そうだよね、聞こえなかったよね。でも聞かなくていいことだから。分かった?」


「はい、分かりました」


 桜瀬は「よろしい」と頷くと、柊の口から手を離した。ようやく口から息を吸えるようになった柊は、「ぷはぁ」と可愛らしく息を吐いた。


「瑠愛もね、湊の言う通りだよ。キスをするなら二人以外誰も居ないところじゃないと」


「そうなの?」


「まあ決まりはないんだけどね。ちゃんとしたキスがしたいなら二人きりの方がいいと思う」


「そうなんだ、分かった」


 素直に頷いた柊の頭を、桜瀬が優しく撫でる。

 するとテントのファスナーがジジジと音を立てて開き、白衣姿の推川ちゃんが入ってきた。その手にはプリントが握られている。


「そんな端っこでなにしてるの?」


 推川ちゃんに尋ねられて、桜瀬は「あははー」と誤魔化すようにして笑った。


「ちょっと色々あってですね」


「朝から忙しいわね」


 くすりと笑った推川ちゃんは、その場に足を崩して座った。

 桜瀬と柊がいつもの定位置に戻ったのを確認して、推川ちゃんはポケットからメモ帳を取り出した。


「それだけ元気なら風邪引いてる子はいないわよね」


 三人が頷いたのを確認した推川ちゃんは、メモ帳にボールペンでメモしていく。


「ひなちゃんは登校日初日からお休みかしら。何か聞いてる?」


 三人が首を横に振ったのを確認した推川ちゃんは、メモ帳にカリカリと書き込んでいく。


「また寝坊かな。三人はひなちゃんの真似して休まないようにね。進学や就活するときに内申が響くから」


「「はーい」」


 俺と桜瀬の声が重なると、推川ちゃんは「いいお返事ね」と言いながらメモ帳をポケットにしまった。


「出欠確認はここまでとして、今日はみんなに配らなきゃいけないプリントがありまーす」


「ええー、嫌な予感がするー」


「大丈夫よ。テストとかではないから。みんな取りに来てー」


 それを聞いて安心しながら、推川ちゃんからプリントを受け取る。自分の定位置に腰を下ろしてからプリントを見てみると、そこには『進路希望調査』と大きな見出しが書かれていた。その下には長方形の空欄がある。


「見て分かるように進路希望調査の紙ね。下の空欄に今のところの考えでいいから進学か就職かを書き込んで、春休みに入る前までに提出してね」


 もう進学か就職するかを決めるのか。今のところと言っても、自分の進路に向き合わなくてはいけないことは確かだ。


「何か質問ある人はいる?」


 その質問に柊が手を挙げた。三人の視線が柊へと集まる。


「はい柊ちゃん」


 推川ちゃんが指名をすると、柊は挙げていた手を下げた。


「分からない場合はどうすれば」


 淡々とした声で柊が問うと、推川ちゃんは面食らったように目をパチクリとさせた。


「進学も就職もしないの?」


「分からない」


「分からないかー、でもどっちかは書いて欲しいんだよね。親と相談してみたら?」


「そうする」


 柊が了承したのを見て、推川ちゃんはホッと胸を撫で下ろした。


「他に質問ある人はいない? 大丈夫?」


 三人が手を挙げずにいると、推川ちゃんは「よし」と言って立ち上がった。


「それじゃあ私はここら辺で失礼するわね。早く書けたら早めに提出してくれてもいいから」


 推川ちゃんはニコリと笑ってからテントを後にした。

 進路希望調査のプリントにもう一度視線を移す。正直に言うと、俺もまだ進学にするのか就職にするのか決めかねている。なので柊と同じように、親と相談しなくてはいけないのかなと思いながら、プリントを畳んでバッグの中へとしまった。

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