俺を追い込むは口づけ
桜瀬と柊は四人が座れるベンチを取っていてくれていた。持っていたおしるこを彼女たちに手渡してから、俺とひな先輩もベンチに腰掛ける。左からひな先輩・俺・柊・桜瀬の順に座っている。
リップ付きの甘酒はひな先輩にあげて、膝の上におしるこの入った紙皿を置く。
「これがおしるこ……」
隣に座っている柊が、ポツリと呟いた。その目はじーっとおしるこを見ている。
「瑠愛、中にお餅入ってるから気を付けてね」
「うん、分かった」
柊は割り箸で餅を掴むと、皿を口元に寄せて小さな口でかじった。
「美味しい」
抑揚のない柊の声を聞いて、他の三人もおしるこを食べ始める。
餅におしるこの汁が染みていて、とても甘い。久しぶりのおしるこに、舌が喜んでいるようだ。
「んー! 美味しい! 温まる〜♪」
隣に座るひな先輩は足をバタバタとさせながら、幸せそうな笑顔を浮かべている。
「本当ですねー、小豆が美味しいです」
桜瀬も同調するように言って、紙皿に口を付けて汁を飲んでいる。喉に汁を通すと、「はぁ」と白い息を空に浮かべた。
四人はそれから黙々とおしるこを食べ続ける。こんな何気ない時間が一生続けばいいのにと感慨にふけていると、隣に座っていた柊が何かを思い出したかのように俺の顔を見た。
「湊、ちゅーしよ」
その言葉の破壊力は計り知れず、柊以外の三人は同時にむせ返った。桜瀬は紙皿を口元に寄せながらむせていて、ひな先輩は驚いた瞳を柊へと向けている。
「は、はい……?」
「ちゅーしよう」
「いやいやいや、どういう──」
「約束したもん」
「やく……そく……」
珍しくムッとした表情をする柊を見て思い出した。みんなで旅行に行った時に、「一年生が終わるまでにキスをする」と約束をしてしまったのだ。
あの時はすぐに忘れてくれるだろうと思ってそんなことを提案したのだが、柊はまだ覚えていたようだ。
「確かに約束したな……」
俺がそう言うと、ベンチの両端に座っていたひな先輩と桜瀬が体を前のめりにさせた。
「え、いつの間にそんな約束してたの!?」
「なんで勝手にそんな約束してるの! ずるいじゃないか! わたしもちゅーしたい!」
桜瀬とひな先輩も食いついてきたことにより、話題を逸らすことが出来なくなってしまった。
ひな先輩は俺の肩に顎を乗せて唇を突き出し、キスをせがんでいる。からかっているだけだろうから、彼女からのキスの要望は無視しておこう。
「紬とちゅーしてたから、私もしてもらおうかと思って」
何気なく呟かれた柊の言葉が、俺と桜瀬の心臓をえぐる。桜瀬はバツが悪そうな顔をしたまま、身を引いた。俺を置いて静かに逃げ出したのだ。
「湊くん、紬ちゃんとのキスは許すけど、瑠愛ちゃんとキスしたらわたしにもキスだからね」
「なんでそうなるんですか……」
ひな先輩のことだから本気で言っているのかもしれない。今もまだ俺の肩に顎を乗せているので、ひな先輩の表情を確認出来ない。もしもここで振り返ってしまえば、キスされてしまうのではと思ったからだ。
「湊、約束した」
柊に目を真っ直ぐに見られて、逸らすことが出来ない。彼女の青い瞳に映っている俺の顔は、ぎこちない笑みを浮かべていた。
「約束はしたけど……一年生はまだ続くじゃないか」
桜瀬とひな先輩に見られながらキスをするのは、どうしても避けたい。
「もしかして一年生のうちにキスするって約束をしたの?」
桜瀬が身を乗り出して尋ねたので「そうです」と頷くと、彼女は苦笑いをしながら柊の頭を撫でた。
「あー、どうせ瑠愛が忘れるだろうって思って一年生のうちにキスするって言っちゃったんでしょ」
考えていたことを全て言い当てられてギクリとした。それが顔に出てしまっていたのか、柊はムッとした表情のまま両頬を膨らませた。その顔が怒っているように見えるのは、珍しく無表情ではないからだろう。
「残念ながら瑠愛はそういうの忘れないよ〜、むしろしつこいから」
「し、しつこい?」
「うん、これからキスするまでずっと、顔を合わせればキスしようって言われるよ」
「え……」
経験談なのか遠い目をする桜瀬を見て、動揺が収まらない。
「私、忘れないから」
頬を膨らませて、柊はムキになっている声を紡いだ。
ちょっとした仕草や声色だけで、柊の感情が分かるようになってきた気がする。ちなみに今は、俺に対して怒りを覚えている。
「そ、そのうち絶対にします……」
「なにを」
「キ、キスです」
「うん、絶対」
柊は頬に溜めていた空気を抜いて、おしるこに入っている餅を食べ始めた。これは許してくれたと受け取っていいのだろうか……。
「ねえねえ湊くん」
ひな先輩に肩をちょんちょんとつつかれ、彼女の方へと振り向く。そこに居たひな先輩は、いたずらっ子の笑みを浮かべていた。
「なんですかその顔……嫌な予感しかしないのですが……」
絶対によからぬことを考えている時の顔だ……一体何を言われるのだろうと身構えていると、ひな先輩は俺の肩に手を置いた。
「瑠愛ちゃんとキスしたらわたしにもだからね! 卒業するまでの楽しみにしておくよ」
ひな先輩は「にひひ」と笑いながら、念を押すようにして言った。
柊から最初にキスしてくれと頼まれた時に、どうしてしなかったのだろうか。あの時にキスを済ませてしまえば、こんなことにはならなかったはずだ。
首をぐるりと回転させると、知らんぷりを決め込む桜瀬がおしるこを食べていた。どうやら助けてくれる人は、この場には居ないらしい。
思わず深いため息を吐くと、目の前に白くモヤがかかった。
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