何をやっても敵わない

 テレビゲームをしたあと、プレゼント交換やボードゲームなどをして遊んだ。時計の針は二十二時を過ぎ、俺は休憩も兼ねて一階にあるベランダに出た。

 コテージに備え付けられているベランダには、木製の丸いテーブルや椅子が置いてありかなり広い。

 椅子には座らずに、ベランダを囲む柵の手すりに肘を置いて「ふぅ」と白い息を吐く。新鮮な山の空気が美味しい。


 すると背後から、ガラガラと引き戸が開く音が聞こえた。


「よっ」


 後ろを振り返ると、スリッパを履いた桜瀬がベランダへと入って来たところだった。


「よう、寒いぞ」


「平気平気、ちょっとアタシも休憩しようと思って」


「そうか」


 桜瀬は自然な動きで俺の隣に立つと、柵の手すりに肘を置いた。そのまま息を大きく吸い込み、白い息を吐いた。


「遊び疲れたな」


 俺がそう言うと、桜瀬はこちらに顔を向けて笑顔を浮かべた。


「そうね、かれこれ四時間くらいゲームしてたもん」


「クリスマスパーティーが始まって四時間も経ったのか。なんか一瞬に感じた」


「アタシもー、こうやっておばあちゃんになっちゃうのかなー」


 それは大袈裟ではなかろうか。出掛けた言葉を、静かに飲み込んだ。


「あ、推川ちゃんが湊のこと呼んでたよ」


 そう言われて頭の中に浮かんだのは、泥酔してソファーの上で溶けている推川ちゃんの姿だった。


「推川ちゃんが? どうした?」


「なんか「聞くことがあるんだったー」って言ってた」


「あー、それは放っておいてもいいかな」


 恐らくだが、車の中で話していた恋バナの続きをしようとしているのだろう。てっきり忘れたのかと思っていたのだが、覚えていたようだ。


「なにそれ、気になる」


「残念、秘密なんだよな」


「ええー、いいじゃん。悪いことじゃないんでしょ?」


「悪いことではないけど、喋っても俺が損するだけというかなんていうか」


「なにその煮え切らない感じ。余計に気になるじゃーん」


 桜瀬から目を逸らして、愛想笑いを返しておく。それで観念したのか、桜瀬はそれ以上は何も聞いてこなかった。

 ベランダには沈黙が訪れた。あるのは木々が風に揺らされる音だけだ。それでも気まずいとは思わなくなったのは、テントの中で沈黙の時間を一緒に過ごすことが多いからだろうか。


「ねえ湊」


 沈黙を破ったのは、桜瀬だった。


「どうした」


 名前を呼ばれて振り向くと、彼女は夜空を見上げていた。整った彼女の口は、何が言いづらそうに口をモゴモゴとさせている。

 どうしたのだろうと彼女の横顔を見ていると、その口が気まずそうに開いた。


「好きなんだけど」


 主語がない言葉に、俺の脳内にはクエスチョンマークが浮かんだ。


「何が好きなんだ?」


 俺が主語を聞き取れなかっただけだろうか。そう思って聞き返すと、桜瀬はゆっくりとこちらに体を向けた。その表情は、感情がごちゃまぜになったかのような、今までに見たことがないものだった。


「意地悪してる?」


「いや、してないけど」


 彼女は乾いた唇を左から右へと舌で舐めると、小さく深呼吸をしてから俺と目を合わせた。


「湊のことが、好きなの」


「え?」


 俺の心がザワザワと音を立てた。全く予想していなかった言葉に、喉からひゅっと空気が抜けた。


「友達としてじゃなくて、男として」


「男……として……」


 男として好きだということは、恋愛としての意味での『好き』なのだろうか。LIKEではなく、LOVEということなのだろうか。頭の中でグルグルと回り出した問いが、口から出てこない。手の平がじわりと湿る。口の中から水分が飛ぶ。目が勝手に泳いで、桜瀬と視線を合わせられない。それでも彼女は、俺の目をしっかりと見ている。


「そ、それは……」


「湊の彼女になりたい──ってことかな」


 彼女のその一言で、俺に逃げ道はなくなった。


「えっと、その……」


 分かりやすく動揺してしまう。今すぐに答えを用意しなければならないことは分かっている。だが、言葉が出てこないのだ。

 俺がまごついている間も、彼女はじっと返事を待っている。


「付き合いたいってことだよな?」


「うん、恋人同士になりたい」


『恋人』という言葉に、俺の心臓が飛び跳ねる。胃のあたりにジンと熱が走った。

 手が震えそうになるのを必死に抑えながら、気が付けば俺は頭を下げていた。


「ごめん」


 俺の口から出た三文字の言葉が、木々の揺れる音に消されていく。

 彼女が今どんな表情をしているのか見たくないから、顔を上げることが出来ない。十秒程が経ったところで、「はーあ」とため息が聞こえた。


「やっぱりそうだよねー」


 それは想像よりも明るい声だった。その声に釣られるようにして頭を上げると、いつもの笑顔を浮かべている桜瀬の顔が見えた。


「ごめんね! 急に変なこと言って。あ、アタシは全然気まずく思わないから、これからもいつも通りに接してくれると嬉しい」


「お、おう」


 早口でまくし立てられて、俺は理解が追い付かないまま頷いていた。


「でも、アタシは湊のことを好きで居続けると思う。フラれてすぐに消えちゃうような軽い恋愛感情じゃないから。だから──」


 彼女はそこまで言うと、俺の胸ぐらを掴んだ。そのまま力いっぱいに引き寄せられ、唇に柔らかいものが押し付けられた。それが彼女の唇であると分かったのは、これが二回目のキスであるからだ。


「ごめん」


 顔を離すなり、彼女から三文字の言葉が返って来る。すると背後から「バタン!」と扉が閉まる音が聞こえた。

 我に返って音のした方を見てみると、もうそこには人の姿はなかった。


「瑠愛だよ、今の」


 凛とした表情で桜瀬が言った。

 桜瀬とキスしていたところを、柊に見られてしまったのか。頭で考えるよりも早く、背筋に冷たいものが走った。


「追いかけてあげて」


 落ち着いた口ぶりだが、桜瀬の手が震えていることに気が付いてしまった。


「で、でも……」


 ここで告白してくれた桜瀬を置いて、柊を追いかけても良いのだろうか。余裕のない頭でそう考えると、彼女は俺から顔をそむけた。


「いいから」


 彼女に背を押されると、俺は倒れそうな勢いで走り出していた。振り返ることはせずに、柊を追いかける。


「何やっても、瑠愛には敵わないな」


 震えた彼女の声が俺の耳に届くよりも早く、ベランダの扉が閉められた。

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