第29話 カゴ

「ノト、お前にも手紙か?」

「あ、忘れてました」


 立ち上がったときに、手に持っていたそれをシャルムに指摘された。握りつぶすとまではいかないが、少しくしゃっとなってしまった。


 ぴりっと封を開けてみれば、中にはぺらっと小さな紙が一枚。形がいびつで、まるで端切れのようだ。


 なぜか背筋が冷たくなり、ブルッと震えてしまった。


 ぺらっとめくると、その中央に、見なれた字。


 『依頼はキャンセル。貸し一つ』


 挨拶どころか、宛名も差出人もないそれは、まぎれもなく……。


「どうした? 顔色が悪い」


 俺は胸の前で、ピンッと広げて見せた。


「会長からか」

「あちゃぁ。こりゃ後々あとあと大変そうだな。ごしゅーしょーさま」


 依頼は全キャンセル。それは大変にありがたい。


 今の今まで依頼のことはすっかり頭から飛んでいた。勅命を賜ったとなれば、全力を尽くさねばなるまい。依頼などやっている場合ではないのだ。


 だけど借り一つ。師匠に借り一つ。


 返すときが恐ろしい。一体どんな無茶を言い出すのか。


「行くぞ。不幸をなげくのはまだ早い」


 不幸だなんて酷い。その通りだよ、畜生。


「依頼がなくなってよかったじゃないか」


 シャルムが俺の二の腕をぽんと叩き、横をすり抜けて出て行った。


「あのオバサンにだって人情はあっだろ」


 肩を叩き、リズも出て行った。


 俺は手紙をもう一度見た。


 文字が消えているわけはなかった。


「おい、早く来い」


 師匠は人情に厚いが、情け容赦という言葉を知らないんだ。


 俺は一度天井を仰いでから、部屋を出た。


「これに、乗るんですか?」

「そうだ」

「悪名高きエルマキアのカゴに乗れるったぁ、ついてんな」


 街門を出た所まで案内された俺たちの前には、武装した憲兵団に囲まれた、一台の馬車があった。憲兵団は俺たちを護衛してくれるらしい。協会や憲兵団の全面協力とは、こういうことを言うのだなと、他人ひと事のように思った。


「エルマキア――羽のない鳥のような形をしていて、全身を黄色いウロコで覆われた二足歩行の動物。エルマキアのカゴ――エルマキア四頭の上に丸太を渡して客室を乗せたもの。長所はとても速いこと、悪路でも進めること、浅い川を渡れること。短所はとても揺れること。エルマキアは跳ぶように走る上に、それをつないでいるため、客席が水平を保っていられる時間は一瞬たりともない。停止しているときでさえも」


 何かで読んだ説明を言葉にしてみればその通り、目の前のエルマキアは、草をんだり、きょろきょろと体を動かしたりと自由気ままに動いており、そのたびに客室がぐらりぐらりと傾いていた。


 あの上に乗るのか? 無理じゃね?


「詳しい説明をあんがとよ。あたしらはこっちだから」


 リズが指さしたのは、くらをつけた一頭のエルマキア。


 呆然ぼうぜんとしている俺の前で、リズはひらりと鞍の上に乗り、驚いて暴れたそいつを、こともなげに乗りこなした。


「シャル、いいぞ」


 リズが巧みにエルマキアを座らせると、シャルムはリズの前によいしょっとよじ登った。


 シャルムを左腕でしっかり支えると、リズはエルマキアを立たせた。すくっと垂直に立ち上がったそいつは、きちんと停止して、動く気配を見せない。


「なん……で、乗れるんですか……?」


 エルマキアは軍で使われている特殊な動物で、落ち着きがなく自由奔放な性格のため、乗りこなすのが難しい。周りの憲兵団は涼しい顔で乗っているが、それは日々の訓練の賜物たまものだ。


 なのになんでリズがそんなに軽々と乗りこなすんだ。


「特審官の護衛やってんだ。こんなんたしなみの一つだってぇの」


 そんな嗜みがあってたまるか。


「乗れるなら、もう一頭頼んでやるぞ?」

「乗れるわけないでしょう!?」


 シャルムはリズに乗せてもらっているだけじゃないか!


 俺だって乗せて欲しい!!


「危ねぇから荷物をよこしな。剣もナイフも一本残らずだ」


 マジか……。


 全身からありとあらゆる尖ったものを取り出し、背負い袋に詰めた。


 リズは、なんでそんなところにまで隠してあんだよと呆れていた。ナイフは投げたら回収できるとは限らないんだから、数持つのは当然のことだと思うのだけれど。


「待て。物理防御魔術をかけてやる」


 俺今から馬車に乗るんだよね!?


 なんでそれだけなのに防御魔術が必要になるの!?


 シャルムにクソ長い詠唱の魔術を丁寧に丁寧にかけてもらった俺は、かけられた梯子はしご――これすらも前後左右に揺れる――をよじ登り、カゴに乗り込んだ。


 椅子は超ふかふかだった。


 というか、内側が全面布張りになっていて、椅子と同じく中に綿が詰め込まれ、軟らかくしてあった。


 どうして天井を含めた全面なのかは、考えたくなかった。


 座席には革のベルトがついていて、御者の手によって、俺の右肩から左腰骨へ、そして左肩から右腰骨へと、上半身をクロスするように掛けられ、体が固定された。


 御者がドアを閉めると、そこにもちゃんと布は張ってあり、小さな窓がつけてあった。のぞきこめばかろうじて外が見えるくらいの大きさだ。その対面の壁にも小さな窓があり、光源はその二つしかない。


 薄暗いを通り越して暗い。ますます不安になってくる。


 床はぐらりぐらりと揺れ続け、自分が座っているんだかどうなんだかわからなくなりそうだった。


 しばらくして出発の鐘が鳴り、周りがざわざわと動き出すと、カゴもゆっくりと動き出した。


 衝撃で後頭部を背もたれにぶつけた。


 転がるボールの中にいるように体がシェイクされる。


 シャルムがさっき「嘆くのはまだ早い」と言った意味がようやくわかった。


 その後のことは、何も覚えていない。

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