第6話 準備

 何なんだよ。


 これから数十日間も一緒にいることになる相手。


 若くて、偉くて、恐らく実力もあって、そして少々怒りっぽい。


 うまくやっていけるだろうか。


 今日何回目になるかわからないため息が漏れた。


 しかし、やることが決まったのなら、あとはやるしかないのだ。


 それはもう、染みついてしまった習慣のようなものだった。


 ぐぅ。


 そうか。朝食がまだだった。

 

 戸棚からパンを取り出し、桶に入っている水で無理矢理流し込んだ。


 これじゃいつもと変わらないじゃないか。


 今日はトトルの玉子を焼いて、新鮮なサラダを作って、食後にはキモモを食べようと思っていたのに。


 この休みを楽しみに連日ほぼ徹夜で頑張って来たのに。


 どうして俺が突然こんな目に。


 はぁ。


 だめだ。ついため息をついてしまう。


 とにかく準備を進めなければ。


 まずは持っていく物だ。


 服はこまめに洗濯すればいいから最低限。食料は現地調達すればいいから保存食を少しだけ。小さな鍋とカップは持っていこう。野宿は滅多にないと仮定して、タープ代わりの薄い防水布と丈夫な紐だけ持つ。あとは歯ブラシだとかタオルだとか細かい日用品。


 この辺は簡単だ。足りないものがあれば、経由する街で買えばいい。


 気をつけなければいけないのは、入手が困難なもの。


 特に仕事道具。


 でかける依頼を請け負ったからといって、すでに受けた仕事がなくなるわけじゃない。移動しながら描くしかなかった。


 筆記用具は厳選して箱に入れ、紙は種類ごとにまとめて油紙で包む。インクの小瓶こびんは割れないようにそれぞれ布でくるみ、特殊な素材もいくらか袋に入れた。


 採取用の手袋、袋、からの小瓶も忘れない。精製用の道具も出来ることなら持っていきたいが、かさばるし重いし壊れやすい。現地の協会に借りるしかないな。乳鉢と圧搾器だけあれば最低限のことはできる。


 あとは武器と防具だ。


 しまってあった剣を引っ張り出し、刀身をさっと確認した。手入れは道中でしよう。


 棚の引き出しの中のナイフも同様だ。普段使っている大ぶりのナイフと、枕の下のナイフも回収し、全てテーブルの上に並べた。


 さらにこうに金属を縫い込んだ指なし手袋、底のしっかりしたブーツ、耐火耐刃素材の外套を出す。


 防具はこれだけ。


 プレートや盾なんか持っていない。戦闘要員ではないのだから、これで十分だろう。でなければ買うしかないが、そんなことにならないことを祈りたい。


 こんなもんか。


 何度も旅をした経験があるので、この辺の準備は早かった。


 持ち物は五日の旅も五十日の旅も変わらない。仕事道具を持って行くかどうかくらいで、徒歩でなく野宿もしないのであれば、むしろ少ないくらいだ。


 大変なのは家をける準備の方。


 長期不在にするのであれば、腐るものは置いていけない。危険なものや、貴重品も。


 わざわざ盗みに入るほどの物がある家には見えないと思うけれど、住人が長期で不在になるのなら、ダメ元で侵入するような不届き者がいるかもしれない。


 食糧はカゴや袋ごと外の扉脇に集めた。


 畑があるので家の中に野菜はほとんどない。逆に穀物や保存食は多かった。引きこもっている間に食料が尽きると死活問題だからだ。


 帰ってくるまでもつんじゃないかとも思ったけれど、予想が外れるとさらにもったいないことになる上に、帰宅早々それを始末する羽目になる。


 処分するしかなかった。


 持っていけない素材は、そのまま置いていくものと、処分するものに分けた。後者をさらに二つにわけ、片方は袋につめた。


 残ったもう一方を、家の裏へ持って行き、穴を掘って放り込む。植えてあったフタチリバナも全て引っこ抜いて入れた。


 ついでに魔法陣を描き損じた紙、実験用のメモ、調合中のインクなんかも入れて、最後に油を少々。


 そこに火打ち石で火をつけると、勢いよく燃え始めた。炎が白や紫になりながら踊るのを見て、もったいないという気持ちがわき上がってくるが仕方がない。


 確実に燃え尽きたことを確認し、灰を埋めてしまえば処理は完了だ。


 家の中にとって返し、貴重品を集める。


 現金はもちろんのこと、宝飾品や魔石もだ。精製に使う特殊な金属の棒は、まさか持っていかれることはないだろうが、それなりに高価なので一緒に袋に入れた。


 かまどの灰を捨て、軽く掃除してから桶の水を捨て、装備品を身に着けた。


 これで準備は終わり。


 荷物を入れた鞄を背負い、外に出た。扉から見える室内は物が減って少し寂しくなっていた。


 おっと窓を閉めていない。


 全開になった窓をしっかり閉めて、扉の鍵を閉めたことを確認した時には、太陽は頭上を越えていた。


「行ってきます」


 なんとなく呟いて、素材の入った袋を抱え、町に足を向けた。


 あ、しまった。


 三歩歩いたところで忘れ物に気が付いた。


 慌てて引き返し、三度も施錠を確認した鍵を開けて、机の引き出しの隠しスペースに入っていた、細い鎖のついた魔石を取り出し首から下げる。


 危ない危ない。


 改めて鍵をかけ、今度こそ町に向かった。


 帰ってきたときに家が吹っ飛んでなくなっていました、なんてことがありませんように。


 今朝の特審官の魔術を思い出して、なんとなく思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る