新雪の乙女③


 ベッドの上で仰向けになりながら、輝はぼんやりと車の天井を見上げていた。


 荒野の夜は静かだ。人々の喧騒が聞こえない。街の明かりも届かない。あの日々では当たり前だったものが、今は何ひとつない。


 今の生活に慣れはしたが、ふとしたときに理想郷アルカディアでの日々を思い出してしまう。自身の選択で手放した日常を思い返して感傷に浸るなど惰弱だじゃく以外の何物でもない。


 隣ではアルフェリカが静かな寝息を立てている。眠りながら繋いだ手を彼女は放そうとしない。


 彼女は一人では眠れない。眠ると悪夢にうなされる。「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝罪を口にする。


 何に対する謝罪なのかはわかっている。アルフェリカが気に病む必要のないことだと言葉で伝えても、彼女には伝わらない。その罪悪感を取り除くことができない。


 その自責の念に一人では耐えられないのだ。こうして手を繋ぎ、一人ではないということを感じないと、安心して眠ることもできない。


 黒神輝はアルフェリカ=オリュンシアを守ることができた。


 しかし救うことまではできなかった。


 結局そういうことだ。自分の力不足。選択したことすら満足に成し遂げられない半端者。


 歯痒はがゆかった。



「ここで折れたら、なんのために生き恥を晒しているかわからなくなるよな」



 転生体の居場所を創る。人間と神が共存できる世界を目指す。そのために人間を敵視する神々を滅ぼす。


 誓いを折れども、これだけは捨てられない。



「……輝?」



 ふと漏らした独り言に反応したのか、アルフェリカがうっすらと目を開けた。存在を確認するように繋いだ手が握り締められる。



「悪い、起こしたか」


「ううん、眠りが浅かっただけみたい。なんだか今日はうまく寝つけなくて」


「ちゃんと眠るまで側にいるから安心しろ」



 幾度となく口にしてきた言葉をかけるとアルフェリカは頷いた。



「でもやっぱり眠るのは少し怖い。目が覚めたら、また独りになっちゃいそうで……最近『ソーサラーガーデン』――『魔導連合』にいたときのことも夢に見ることがあるから、なおさら」



 アルフェリカがそこでどんな目に遭ったのか輝はもう知っている。


 世界屈指の魔術都市。魔術に関して一流の研究機関、教育機関がいくつもあり、その中でも随一の組織が『魔導連合』という機関。魔術師の登竜門と言われるそれは名だたる魔術師を世界に輩出している。


 アルフェリカはそこで実験体として扱われていたという。『ソーサラーガーデン』を統べる『魔導連合』は『神葬霊具』しんそうれいぐで殺害されたはずの〝断罪の女神〟エクセキュアがアルフェリカに転生したことを知り、その原因を解明するために彼女をモルモットにした。


 苦痛の日々。神名に干渉される激痛をその日の実験が終わるまで強いられる。実験が終われば暗い独房で夜を明かし、目が覚めれば再び実験が行われる。毎日毎日休むことなく一年間ずっと繰り返されてきた。


 いつしか夜が明けることを恐れるようになって眠ることも怖くなった。こんなにも苦しい日々しかないのなら、いっそ舌を噛み切って死ぬことさえ考えたという。


 追い詰められたアルフェリカに選択肢などなかった。彼女は〝断罪の女神〟エクセキュアの力を借り、拘束具も独房も壊し、追手も殺し尽くして『ソーサラーガーデン』から逃げ出した。


 それからエクセキュアの復讐対象であるウォルシィラの情報を集めて世界を渡り歩き、『アルカディア』に辿り着き――輝と出会った。



「輝は、一緒に居てくれるって言ってくれたわね」


「ああ」



 それはアルフェリカと交わした大切な約束。



「凄く嬉しかった。あたしのことを知って本心からそう言ってくれた人、いままでいなかったから。けど――」



 泣きそうに微笑むアルフェリカが気に入らなかった。


 そんな顔が見たいんじゃない。そんな顔をさせたいんじゃない。そんな顔をさせるためにアルフェリカと一緒に居るんじゃない。


 そんな余計なものは背負わなくていい。辛い目に遭ったのなら幸せになっていい。穏やかな日常を求めるなら幸せになることだけを考えていればいい。



「なら俺を頼れ。辛かった昔のことなんて忘れさせてやる。これから辛いことがあるなら俺が一緒に居てやる。独りにはしない」



 黒神輝はアルフェリカを傷つけない。黒神輝はアルフェリカを裏切らない。アルフェリカを傷つけようとする奴らから黒神輝はアルフェリカを守る。


 それがアルフェリカとの約束。違えることなどあってはならない。



「輝」



 もう一度、泣きそうになりながら微笑んだ。そこに込められた感情は先ほどのものとは異なる。輝を呼ぶ声は湿っぽく熱を帯びていた。



「もっと、近づいてもいい?」


「ああ」



 繋いだ手を解いてアルフェリカは輝に身を寄せる。輝の温もりを得ようと腕を絡め、身体を摺り寄せた。



「今日は、こうしていてもいい?」


「それで眠れるなら好きにするといい」



 少しでも安らげるようにと空いた腕で彼女の頭を抱き寄せる。アルフェリカの身体から力が抜けていったことが伝わってきた。



「これ、結構安心する」


「このままでいるから早く眠れ。明日も何があるかわからないんだからな」


「うん」



 返事と共にアルフェリカは目を閉じた。


 しばらくそうしていると規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら眠ったらしい。


 これを信頼と思うことはできなかった。きっと信頼とは程遠い別のモノ。


 ――依存。


 脳裏に浮かんだ単語にいびつさを禁じえなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る