第19話 秋冬 ボウエンアイランド その1

 青み掛かった空は、すっきりと澄み渡り、雲一つない透明な空気の下で、遠くの山々の稜線までがくっきりと見通せた。

「先週までの雨が嘘みたい」日和が口走った。

 忙しかった夏の繁忙期を無事終えて、紡、日和、ブレンダの三人は、兼ねてより計画していた通りハイキングに出掛けた。目的地は沢山のコテージが立ち並ぶゼニア・ラビリンスと呼ばれる場所。自然を満喫するという理由から、紡たちは敢えて狭い林道を選んで歩いた。

「これ結構効くね。最近、運動不足だったから」日和が言う。

「おいおい、島で運動不足って、どういうこと?」

 先頭を歩く紡が、信じられないという表情で振り返った。この島では普段から歩くしかないのだから。

「日和さんは、お休みの日いつも家にいますもんね」ブレンダも日和の方をチラリと見た。

「インドア派なの。私」二人に向かって日和は訴えた。

 長い林道は森の中の様々な場所で分岐を繰り返し、複雑な迷路と化していた。日和が「これ、あみだくじみたいね。選んだ道によって運命が決まる」と言って笑い、他の二人も釣られてしまう。

 ちょくちょく寄り道していた所為か、三人がキラーニーレイクの辺りに到着したのは、キセツを出発してから一時間が過ぎた頃だった。

「リヴは、もう着いてるかなあ」湖畔で休憩を入れながら、日和が紡に尋ねた。

「うん、多分。車だからね。もうとっくに到着して、コテージで昼寝でもしてるんじゃないかな」

「そうですね。リヴさんなら有り得ますね」何を想像したのか、ブレンダは口元を押さえてクスクス笑った。

「良し、それじゃあ出発だ」

「オーキードーキー」日和とブレンダがそう言うと、再び三人は目的地目指して歩き出した。

 木漏れ日が揺れ、啄木鳥が木をつつく音色が響いてくる。

 ふと心配になって、日和はブレンダの方を見た。

 大丈夫だろうか。

 やはりこの前のこと、紡さんにだけは話しておいた方が良いのではないか。

 否、請け負った以上、ブレンダの秘密は秘密のまま何としても守り通さねば。

「どうかしました?」ブレンダが視線に気付き日和の方を見た。

「いや……。大丈夫。何でもない」

「そうですか。今日、楽しみですね」

 楽しそうに歩いているブレンダのことが気になって仕方がなかったが、日和は、そのことには触れず只管歩き続けた。

 

 コテージは思ったよりずっと広く、快適だった。

 先乗りしたオリヴィアは予想に反して、既にバーベキューの下準備を進めており、紡たちが到着した時には、すっかり用意が整っていた。

「ええー凄い! リヴ、これ全部一人で用意したの?」日和が聞くと、「ソウデス。イガイニ、タイヘンデシタ」とオリヴィアは答えて、腕を解すようにグルグルと大袈裟に回した。

 午前中から出発した紡たちが目的地のコテージに着いたのは、午後三時を回った頃だった。最近少しづつ、日が暮れるのが早くなって来てはいたが、食事を始めるには少々早い。四人は夕食開始を一時間後に決め、それまでの間、各々、思い思いに過ごすことにした。

「この家が、幽霊屋敷なのですか?」ブレンダは紡に尋ねた。

 オリヴィアの話を聞いたブレンダは、紡と共に、コテージの背後に、どっしりと鎮座する洋館を訪れていた。

 この館の娘が行方不明になったのは、今からおよそ六十年前、オリヴィアが生まれる十二、三年前のことだったらしい。当時、島の自警団のリーダーだった彼女の父親がこの時の捜査を担当し、陣頭指揮を執ったという話だ。

 娘の父親の依頼で、地元の住民も交えて必死に探した挙句、捜索の手はバンクーバー市街地にまで伸びたらしいが、結局、行方を掴むことは叶わなかったらしい。

 ネットの情報も携帯すらもない時代だ、この途方もない広さの北米大陸で一人の少女を見つけることは不可能に近いものだったに違いない。紡は身震いした。

 それにしても親子二人だけで住んでいたとは思えない、大きな立派な館だ。紡とブレンダは、絡み合った野薔薇の茎と茎の隙間を通り抜け、更に館に近づいてみた。

 あちこちに出来た蜘蛛の巣が、体に纏わりついてきて歩き難い。かなり古いものなのだろう、分厚そうな白い壁は、表面に苔がびっしりと張り付き、所々、地面から生えてきた蔦が絡まって、その一部を覆っている。

「何か書いてあるぞ」

 玄関脇の番地を表す数字の下に文字らしきものを見付けて、紡が興奮した声を出した。急いでブレンダが駆け寄る。

「見えないな」

 吹き曝しの文字版には壁と同じように苔が貼り付き、殆ど読み取ることが出来ない。紡は注意深く苔を剥がして、そこにある文字を読もうと試みた。

「これは、F……AL? 何だこれ?」

「——FALL。フォールじゃないですか? ほら、ここ同じ文字。Lですよこれ」ブレンダが指摘する。

「何だって『滝』なんだ?」

「さあ? 分かりません。それに——」

「『秋』かも知れない」ブレンダは小首を傾げた。

「ふむ。これだけじゃあ何ともいえないな。他にも何か書いてあるっぽいが、全く見えないし」

「見えませんね」

「うむ。無理だ」

 そう言うと、紡は「はあーっ」と深い溜息をついた。

「でも何だか私、ここを知っているような気がします」そう言いながらブレンダは壁に付いた無数の傷を指でなぞる。

「本当か!」

「ええ、ただ何となくですけど——」

「いや、何も手掛かりがないより余程良い。もしかすると、これが記憶を辿る手掛かりになるかも」

「そうですね。何か思い出せるかも」ブレンダは顔を上げた。

 二人は連れ立って洋館の正面玄関へとやって来た。

 西洋の古い城を思わせる重厚な門に手を伸ばすと、ドアノブに手を掛け、力を込めて紡はそれを引いた。

 扉はびくともしない。

 どうやら玄関には鍵が掛かっているらしかった。紡とブレンダは、交互に挑戦してみたが、二人の力ではどうすることもできず、中に入ることは断念せざるを得なかった。

 諦めて空を仰いだブレンダは、館の二階の窓辺に人影が見えた気がして、暫くそこから動けなかった。

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