学校にローファーを履いていくのはダメ、だよ?

ハヤサカツカサ

第1話 噂

 「それではこれ以降の時間は自由見学となります。見学に来られている学生の方々は各自で興味のある場所へ行っていただいて構いません。では解散してください」


 体育館壇上にあがって話していた教師がそう言うと、椅子に座って高校説明会を聞いていた生徒が三々五々体育館から出ていく。その中に一人の少女がいた。四月に中学三年生を迎えた彼女も来年には花の高校生。将来の進学先をどこにしようか悩んでいたところ、お世話になっていた先輩に勧められたのが今説明会に来ている高校だった。


そんな彼女が自由見学で向かったのは先輩の所。ではなく、学校の図書室だった。県内随一と謳われる蔵書量を誇る図書室はこの高校の名物でもあった。


 「楽しみだわ。どれくらいの本があるのかしら」


 渡されていた地図に従って歩いていくと、すぐに目当ての場所にたどり着く。学校では珍しい豪華な造りの扉を開けると、本がぎっしり詰め込まれた本棚がいくつも視界に飛び込んでくる。


 「わぁ、すごい!」


 読書家である彼女が視界を埋め尽くす本を見て喜ばないわけがない。だが思わず興奮して大きな声を上げてしまった。誰かがいたら迷惑をかけたかもしれない。恐る恐る広い図書室を一周してみるが、彼女以外には誰も見当たらない。安心して胸をなでおろしていると、夕方の陽射が彼女の顔を照らした。暗くなるまであまり時間もない。二、三冊気になる本のあらすじを読んで帰ろう。


そう思って本棚の前を歩いていると、ふと一冊の本が目に止まった。この高校の図書室の本は定期的に新しい本を入れているらしく、比較的真新しいものばかりなのだが、その本はまるで間違い探しの答えのように一冊だけ汚れて古びていた。気になり、手に取る。表を見た彼女は首を傾げた。古い小説かと思って手に取ってみたのだが、表には日記と書かれている。持ち主の名は


神崎雪菜かんざきゆきなさん……って読むのかしら? すごい綺麗な字」


流れるような筆運びで書かれた流麗な文字。スマートフォンでのやり取りが増え、美しい手書き文字に触れる機会がほとんど無くなっていた少女には新鮮に感じられる。こんな綺麗な文字を書く人はどんな日記を書くのだろう? それに少しだけ内容も気になる。日記という他人のプライベートを覗き見るのには気が引けたが、後ろめたさよりも好奇心が勝った彼女はページを開いてしまった。それは神崎雪菜というかつてこの学校に在籍した生徒のものであった。読み進めるうち何かに取り憑かれたように少女は読み進める。周囲の音が消え、時間の感覚さえ消えていく中、彼女の意識は神崎雪菜と同化し始め、感情ごとその記憶が流れ込んできた——




 

「雪菜。校舎にある片方だけのローファーの噂のこと知ってる?」


「何その話? しおりは本当にその手の話に目がないよね。そんな噂話を気にするよりも、今度の期末テストのことを気にした方がいいんじゃない? あんた、このままだと赤点コースへ一直線だよ」


 場所は昼間の学校食堂。雪菜は正面に座る、噂好きな友人に釘をさすとうどんをすすった。絹のような黒髪に、陶磁器のような白い肌。クールな印象を与える切れ長の目が特徴的な美少女だった。


 「それなら大丈夫! 噂の真偽はもうすぐ判明するから、それさえ分かったらあとはテストに集中出来るもんね!」


 明るい茶色に染めたショートカットを揺らしながら力説する栞は胸の前で拳を握り締める。小動物のような愛くるしい表情はコロコロと変わり見ていて飽きない。その瞳は興奮で輝いていた。


 「で、その噂ってどういう内容なの?」


 わざとおやっと驚いた顔をして自分をからかってくる栞を睨みつけるが、気になってしまったのは事実。恥ずかしさでそっぽを向いた彼女は窓の外を見ながら、


 「ちょっと気になっただけよ。どうせ、あんたの噂話なんて聞くの私ぐらいしかいないんだから早く話しなさいよ」


 言い訳し、栞を睨みつけた。見事に獲物が食いついたことに喜びを隠そうともせずに、テーブルの上に身を乗り出した栞は話し始めた。


 「なんでもね、私たちの昇降口のところに屋根が張り出しているところがあるでしょ。そこに黒いローファーが片方だけずっと落ちてるらしいんだよ!」


 「何それ? 清掃業者とかが撤去しないわけ?」


 「んー。なんかローファーが落ちてる屋根のところに続く窓とか通路がないから、そのままになってるんじゃないかな」


 「ふぅん。で、そのローファーがどうかしたわけ?」


 「そのローファーがね、実は……古くなると新しいものに変わり続けてなくなることがないんだって!」


 「へぇ、それは確かに不思議ね」


 少し興味を持ってしまったことは悔しかったが、確かに面白そうだった。ずっと置きっぱなしであれば、誰かが捨てたものが残っているだけかもしれないが、新しいものにわざわざ置きかわるというのは確かに不思議だ。


 「それでね。また最近ローファーが古くなってきたらしくて、近いうちに新しくなるんじゃないかって話で持ちきりなんだよ!」


 「そうなんだ。全然知らなかった。さきはこの噂話知ってた?」


 雪菜の質問に返事は返ってこない。真横を向くと、隣に座っている友人は満腹になった満足感からか、そのままメガネを鼻先までずらして船を漕いでいた。首が前にカクカクと動くせいで、すっかり相槌を打っているのだと勘違いしていたのだ。


 「それでね、それでね……」


 その後も栞は話題を次々と変えながら話し続けた。時間はあっという間に過ぎ、間も無く午後の授業が始まろうとしていた。慌てて食器を下げると、午後の教室へ急いだのだった。




「ねぇ雪菜! 今コンビニで咲と話してたんだけど、数学の課題提出が明日までって本当!?」


 悲鳴に近い声で電話がかかってきたのはその日の夜だった。制服から私服に着替え、自室のベッドでくつろいでいた雪菜は呆れ気味に返事を返す。


 「本当よ。先生何度も言ってたわよ、いつもと提出する曜日が違うから間違えないようにって。まぁ、栞が寝てる間にだけど。そんなに進んでないの?」


 「うん……なんなら私の問題集全然開いてないから、他の人が見たら新品と勘違いされるくらい。それに課題に必要な教科書とかも全部学校に置いちゃってるよー!」


 「…………」


 呆れて言葉も出ない。このまま電波の調子が悪いとでも言って切ってやろうか。無言を貫いていると恐る恐るといった様子で、栞が尋ねてきた。


 「ねぇ」


 「何?」


 「学校まで一緒に教材取りに行ってくれない?」


 「それなら咲と一緒に行けばいいじゃない。私今、家だし」


 「それはその……。教材取りに行って今から真面目にやったって間に合うわけないし、だから。ね?」


 「要するに取りに行った後に私に勉強教えて欲しいってことでしょ?」


 遠慮がちに頷く声がスピーカーごしに聞こえた。高校に入学してからずっとつるんできた仲だ。何を考えているかは大体想像がつく。勉強が苦手な栞ではとても明日までに間に合わせることは不可能だろう。仕方ない。貸しだ。家庭教師代として何かファミレスで奢ってもらいながら教えるとしよう。


横になっていた体を起こすと、校門の前で待ち合わせねと伝えて電話を切る。両親は共に夜勤で帰りはかなり遅くなるか、下手をしたら帰れないかもしれないと朝話していたため、夜の外出を咎められることもないだろう。玄関で靴を履こうと自分のスニーカーを探すが、学校から帰った後洗ってしまったことを思い出す。


「しまった完全に忘れてた。しょうがない、これでも履いてくか」


 そう言って取り出したのは黒いローファー。私服に黒のローファーはちぐはぐではあったが、夜で月明かりも出ていない今夜ならば特に目立たないだろう。別に見られても気にはならなかったが。慣れた手つきでローファーを履くと、玄関を出て学校へ歩き出したのだった。

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