ウルトラQ『あけてくれ!』とかぐや姫
今回は評論のようなものを書いてみようと思うのです。
まずウルトラQ『あけてくれ!』を知らないという方はググってください。直ぐに概要が出てくるかと思います。かぐや姫はジブリの予告編を見てください。
空の向こうはユートピア~なんていう考え方は古今東西を問わない、言うなれば普遍的な価値観であろうかと思います。この両作品の共通点はそこなのです。どちらも向こうは素敵な世界という価値観というかそういう幻想がある世界ということです。竹取物語はあまりそういうことは――ユートピア――ということはあまり触れませんが、ジブリの方だと色濃く描き出されています。そしてこの両作品のもう一つの共通点としてはその世界を知っている語り手の存在です。『あけてくれ!』ではSF作家、『かぐや姫の物語』ではかぐや姫本人ということです。このことがそのユートピアの内容を伝えてくれる、いわば狂言回しなのです。
この両作品は結末が違います。『あけてくれ!』はあちら側を選ぶことはありませんでしたが、こちらの世界に再び絶望します。かぐや姫はつれていかれることで絶望するのです。もっともかぐや姫の方は高畑勲による彼の人生への回答という見方もできるのですが、そうであっても向こうは絶望だったわけです。しかし前者ではこちら側も絶望なわけです。
どっちも地獄という可能性は置いておいて、しかし二作品とも向こう側は一種のディストピアです。やっと本題に入ります。ユートピア=ディストピアなのではないか‘ということです。これはディストピア小説の金字塔である1984年にいえると思うのです。あれも体制に疑問や不満を抱かなければ生存を確約されるという点や恒常性という点ではユートピアなのです。
実現したユートピアがディストピアということに相当早い時点で日本人は気が付いていたのかもしれない、そういう視点で竹取物語を読むと面白いかもしれませんよ。
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