第四章―16 第38話 『エミールの用心』



「待て!!」



 山小屋から出たエミールは、山道を駆ける。

 夜の帳が落ちた山道はすぐに先が見えなくなる。


 だが、エミールには感覚鋭敏化の【モーズグズ】がある。暗がりでの追跡も可能だ。



「く、暗い! ワタクシはそんな早く歩けな……痛い!! なにかに切られた!」


「枝だヨ。一々騒ぎ立てんな鬱陶しイ」



 肩を組みながら歩いているヴァリンとゴットホルトは、ずいずいと獣道を歩いている。

 そのうしろ姿を発見したエミールは、走る速度を更に一段階上げた。



「逃がさないぞ……! お前たち二人共!」


「ヒィ……!」



 追いついたエミールは、二人の進行方向へ立ち塞がる。

 怯えた様子のゴットホルトを尻目に、ヴァリンは組んだ肩を外して両腕を広げた。



「あれレー? あの誘拐された連中はどうしたのかナー? 置き去リ? なんてひどい人なんダ!! ギャハハハハ!!」



 笑うヴァリンを視ながら、エミールは鼻を鳴らして一笑に付した。



「お前が何を言っても聞かないよ。人が嫌がること以外、考えていないんだろ」


「そりゃそうサ。俺が生まれた意味はそこに在るんだからナ!」



 エミールの分析に、ヴァリンは愉しげな様子を崩さないままに笑っていた。



「ただ何も考えず追ってきたのハ、あまりに愚かだゼ? エミール」



 そう言ったヴァリンは、広げた両手を頭上に掲げ、パンパンと手を叩いた。

 すると暗がりからいくつもの影が、エミールを囲むようにして現れた。



「――――」



 それは魔物だった。触手がうねうねと生えたイソギンチャクのようなローパーと、くちばしが異常に発達した鳥。身体に空いた穴から異常な臭気を発するゴブリン……それらの群れは、ざっと数十はくだらない。



「俺は魔族なんだゼ? マ・ゾ・ク! 魔物従えてねえわけねーじゃン!! ギャハハハハ!!」



 下品に笑うヴァリン。

 エミールはふぅーと深く息を吐いた。






* * *






「はあ、はあ……!」



 山小屋内では、ヨナスとマクシーネが息を荒く武器を構えていた。

 足元には何人もの騎士が転がっており、ヨナスたちは優勢と言える状況だった。



「早くこいつら退けて追いかけるぞ!」



 ヨナスがそう言うと、それまでずっと騎士の奥で沈黙を守っていた用心棒が、組んでいた腕を解いた。



「させない」



 男は直剣を抜き、まずは近くにいたマクシーネに差し向けた。

 袈裟斬りを仕掛ける男に、マクシーネは巨剣を横に構えて防御する。

 鍔迫り合いの形になった2人は、互いに顔をにらみ合う。



「……お前、名前は?」



 男がマクシーネの顔を見て問いかける。



「マクシーネ・ライブラーですわ」


「ライブラー……ふっ、巡りあわせというのは奇怪」



 男はマクシーネの名前を聞いて笑った。



「オレはジーモンだ……サシでやろう」



 名乗り返した用心棒は、それを合図に剣を弾き、距離を取って構え直した。



「……あんなクズに雇われている割に、随分堂々とした方ですわね」



 マクシーネも同様に腰を落として剣を構える。



「いくぞ!」



 それからは山小屋の中に、剣戟と風を切る音が連続で響いた。



「な、何が起こっているの……?」



 それを傍目に見る被害者達は――――いや、彼女らは見えていない。

 マクシーネやジーモンの速度が速すぎて、目で追うことなどできなかったのだ。



「…………」



 それを1人、他の騎士を全て片付け終わったヨナスがクナイを手で遊ばせながら眺めていた。






* * *






「く……」



 魔物の襲撃を回避しながらも、ゴットホルトとヴァリンを睨み続けている。逃がすことのないように。

 しかし手を出すことはできない。そこらの魔物であればエミールであっても苦戦することはないが、魔族が直々に連れているものだけあって強い。エミールは苦戦を強いられた。



「ギャハハハハ! 無能だナ! 糞雑魚エミールくン!!」



 ぴく、とエミールの眉が微かに動く。

 わかっている。ヴァリンという存在は人を傷付けるために何でも適当なことを言う。


 しかし――



「おめえの弱点はそれカ……!」



 ヴァリンは人の機微に敏感なようで、エミールのわずかな表情の変化に喜色満面の笑みを浮かべた。



「ギャハハハハ!! 魔物はまあだまだ増えるゼ? 死ぬカ? 苦悶の表情を俺に見せてくれヨ!!」


「ふっ、ふっ……!」



 エミールの息が上がる。


 大規模な術式を展開するべきか、エミールは思案する。しかし、こんなところで消耗していては、ゴットホルトはともかくヴァリンを捕まえることができない。




 どうしたものか――考えているが、その必要はすぐになくなった。




「ぎぇえええ!!」



 山に耳を劈く汚い悲鳴が轟く。

 見るとそこには四肢をもがれたゴブリンがいた。

 その奥には葉巻を咥えた、斧を装備している男が立っていた。



「おうおうおう! 遅れてスマンのう!」


「アーブラハムさん……!」



 アーブラハムは一振りで魔物を蹴散らす。

 魔物の血の雨が降る。顔にかかった血を拭い、アーブラハムは自分の背後を顎で示し、エミールに歯を見せて笑う。



「兵隊かき集めるだけかき集めたわ!!」



 アーブラハムの後ろからは何人もの武器を装備した連中が立っていた。

 エミールはこのアルタトゥム霊山までやってくる前に、マクシーネの魔喰蝶を使って連絡を取っていた。仲間をできるだけかき集める……自身の力を過信していないエミールは、いざという時のための用意を怠ってはいなかった。



「ベストタイミングです。アーブラハムさん。それに……」



 傭兵のさらに後ろには、エミールの見覚えがある顔が威風堂々と宝飾が付いた剣を持ちながら立っていた。



「フーゲンベルク伯爵」



 フーゲンベルクは微笑みながら、手で合図を送る。すると、エミールの近くに居た魔物へ騎士が襲い掛かった。

 マッドムントの騎士団のようで、ゴットホルトが連れていたものとは騎士服が違う。

 フーゲンベルクを見つけたゴットホルトは、動揺して目をかっぴらいていた。



「な……なぜ伯爵がこんなところに!?」


「誘拐事件の黒幕が貴様だと聞いてな、ブラウンホーファー男爵。ワシ自ら出向くのが筋と思ったまでだ」



 フーゲンベルクは微笑を浮かべ、ゴットホルトへと詰め寄る。



「り、リーゼロッテ嬢の誘拐はワタクシの犯行では……!!」


「ワシが娘可愛さだけに動くと?」



 ゴットホルトは宝剣の切っ先をゴットホルトへ向ける。



「貴様は三流以下だ。為政者としても、犯罪者としても……人としても」


「ぐ、ぐぐぅ……!!」



 ゴットホルトは膝から崩れ落ちる。

 話しているうちに、傭兵や騎士たちが魔物を散らしていった。



「さあ、観念するんだ」



 もうゴットホルトの味方はヴァリンしかいない。


 完全に形勢逆転だ。もうゴットホルトに打つ手はないだろう。そう思って詰め寄るエミールは、彼の隣に立っていたヴァリンを見て言葉を失った。




「ギャハハハハ!!」



 ヴァリンは爆笑していた。


 意味が分からないその場にいる人間は、ヴァリンの凶行に息を呑んで見つめることしかできなかった。



「いや悪イ! おい男爵さんヨ! どんな気分なんダ? おめえ完全に終わっちまったけどヨ!?」


「――――こいつ、仲間にまで……」



 ヴァリンは完全に人が嫌がればそれでいい……まるでそう言うかのように、腹を抱えて笑い続けていた。



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