第一章―3 第5話 『僕は弱い』


「【ケナズ】!!」



 名乗りを終えると同時に、ゲルハルトが杖先を正面に向け、その先のエミールに向けて小さな火の玉を速射する。



(! は、早い!)



 アグネスはその速度に目を見張る。やはり主席であるゲルハルトの技術は高い。

 この学園の中でも、その速度に到達しているものは教員含めてもそうはいない。それだけの実力を、ゲルハルトは持っていた。

 出会い頭に撃った威嚇用のケナズとは質の違う、戦い用のケナズ。

 アグネスはそれがエミールにあたる寸前で、目を背けてしまった。



「【タラリア】」



 エミールは一言、詠唱すると体の軸を前に傾け、一気に駆け出した。

 その速度は異常だった。

 ゲルハルトが瞬きをする間に、既にエミールは彼の隣にまで歩を進めていた。



「……!?」


「僕の勝ちだ」



 ゲルハルトはなにが起きたのかわからないまま、エミールの顔を凝視する。

 エミールの手にはゲルハルトが持っていた杖がいつの間にやら奪い取られており、元々エミールの持っていた杖の先はゲルハルトの眉間に突きつけられていた。



「……参った」



 ゲルハルトは両手を挙げ、負けを認めた。



「……君…………」


「なんだ……いや、なんですか?」


「…………いや、なんでもない。杖、返すよ」



 そう言うと、エミールはゲルハルトに奪った杖を返し、まだ目を瞑っているアグネスの肩を叩いて、さっさと門へと向かって歩いていった。



「……あれが、伝説か」



 歯を強く食いしばったゲルハルト。

 普段から傲岸な態度を取っていた彼を嫌うものも、この学園には少なくない。

 しかし、先程の決闘を目撃したものの中に、その姿を嘲笑うものは、一人としていなかった。






「す……凄いですね!?」


「え?」


「あのゲルハルトを一瞬で……! この目で見るまでは正直『本当に伝説なのかこの人……』って思っていたんですけど、本当にすごいですね!」



 興奮気味に捲し立てるアグネスとは裏腹に、エミールの顔はどこか浮かない。



「……? どうしたんですか? 勝ったのに辛気臭い顔して」


「いや……アグネスさん、彼、この学校の生徒で上位レベルに強いってことで、いいんだよね?」


「上位も何も、生徒でゲルハルトに勝てるのはいませんよ! それをあんな赤子扱い! すごいなぁエミールさん!」


「…………」


「……あ、あれ?」



 褒め讃える言葉の雨に、やはりエミールの顔は浮かない。

 アグネスはその訳が分からず、困惑を露わにした。



「……僕は……弱いんだ」


「え?」


「ヴィルヴァルトに腕相撲で勝てるわけもない、ナディアのように求められる能力があった訳でもない、ロスヴィータの火力に及ぶべくもない……それが僕なんだ」



 自分の手を視ながら、エミールは訥々と語る。

 エミールの口から出る名前は、老人らから言い伝えとしてよく出てくる名前だ。そのスケール感の違いに反応を返すことができない。



「……僕……この時代に生きるべき人間じゃ、ないのかもしれない」


「そ、そんなこと……」



 酷く落胆しているエミールが何を思い悩んでいるのか、アグネスには正確に把握することができない。

 そんなアグネスの様子を見て、エミールは儚くふっと笑った。



「……ごめん、君に言っても仕方がないことだった。足を止めて悪かったね。行こうか」



 エミールは学校の外に向けて歩みを再開する。

 その背中は、どこか寂寥感のようなものが漂っている。アグネスは、そう感じ取った。




* * * * *





<201年前・出会い>



 太陽の光が厚い雲に遮られ、植物がまともに育たなくなっている平野を、一台の馬車が駆けていた。



「うぇえ……おぅぶ……」



 その馬車に揺られながら、中に乗っていたエミールは自分の口元を押さえていた。



「おいおい、大丈夫か? あんた」


「う、うん……だいじょ……ぅぅう」


「駄目だなこりゃ」


 エミールは乗り物に極めて弱い。

 乗っていれば毎回酔ってしまうし、その症状も重い。

 そのエミールを見て、同乗している面々の態度は様々だ。

 ヴィルヴァルトはエミールを心配し、ロスヴィータとアヒムは鬱陶しそうに眺めていた。


「あの……失礼します」


「ぅ、う?」


 もう一人、馬車に乗っていたエルフの少女、ナディアがエミールの隣に座り、その背中を擦った。

 すると真っ青だったエミールの顔色がよくなっていく。


「ぉ、ぉお……あ、ありがとう……ございます…………」


「ううん……ただ、血の巡りを調整しただけだから」


 完全にグロッキーになっていたエミールは、きちんと座れる程度には体調が回復した。

 見知らぬエルフ少女の優しさに、エミールはその時は存分に縋った。


「おい……こいつが本当に勇者に選抜される可能性があるのか? 移動なんて、旅じゃ基本馬車だろう」


 アヒムは不機嫌そうにエミールを眺めながら、文句を垂れる。


「まーそう言うなって。理由なく選ばれる訳じゃないだろうから、こいつが選ばれる理由ってのもあるんだろうよ。『伝説の息子』であるお前とか、『1000年に一度の才能』って言われてるそこの魔女さんみたいにさ」


「……ふん」


 今、この馬車は王都に向かって進路を取っている。

 魔王が支配する世になり、魔物・魔族が人間の生活圏を脅かし始めてから2年近くの年月が経っていた。

 魔王の軍勢に滅ぼされていない国家の中で最大手とされる国、『ホーホラント王国』によって、この五人は招集されていた。


「しかし、その白髪の彼……なにもない田舎から拾ったじゃないか。君は自分の腕に何か覚えはあるのか?」


「……あ、いや……僕は普通の農民で……たまに来る魔物を追い払ったりとか、そんなもんです……」


「…………」


 エミールは肩身の狭さに、先程の酔いとは別種の嘔吐感が腹に生まれる。

 なにせ、生まれてから一度も村の外に出たことのないただの農民であるエミールにとって、この馬車の空気感は異常だったからだ。


 たまに村にやってくる行商の馬車とは、材木も革も、ひいている馬の質さえもまさに格が違う。

 そんな格の違う馬車に乗った兵士がいきなり、「王より招集の命が……」と言われ、よくわからないまま乗せられただけなのだ。


(勘弁して……)


 さっきから聞くに、赤髪の男は『伝説の息子』と呼ばれていたり、他の連中も『1000年に一度……』や『騎士の家系』など、聞くだけで住む世界が違うとわかる面々ばかりだ。


 エミールは、しんどかった。




* * * * *




<現在・王都行きの馬車にて>




「ぉえ……ぐふ……」


「あの、大丈夫ですか?」


「いや……うん、まぁ……201年前よりは……慣れたかな」


「うわぁ、話のスケールが大きい」


 相変わらず、エミールは乗り物には弱いままだったが、それでも前後不覚になるほどの酔いはしなくなっていた。


「結局、ナディアがいつも治療してくれて……いっつも彼女には迷惑かけてたな」


「ナディアさん……『スルフト森の聖女』って言われてる英雄様ですね!」


「……そんな風に呼ばれているのか。聖女、ね……」


「? おかしいですか?」


「いや……たしかに良い人だったし、彼女はたしかに勇者パーティの一員として歴史に名を残す存在だったとは思うけど……知っている人が『聖女』とか呼ばれてるというのは、変な気分だね」


 ナディアは旅路を共にした面々の中でも、エミールに良くしてくれた人だった。

 ヴィルヴァルトも陽気に、分け隔てることなく接してくれたが、逆にコミュニケーション強者だった彼には話を合わせるのに少し疲れたという感覚が、エミールの記憶に根付いていた。


「まあ、気を遣われていたんだろうな……今になって思うと」


 当時は伝説級な彼らについていくのに必死で、エミールは省みることもできなかったが、勇者パーティの皆は全員エミールに忖度をしていたのだろう。

 アヒムやロスヴィータは場違いであるエミールを戦場から遠ざけようとしていたのだろうし、ヴィルヴァルトは対等な立場として見てくれていた。

 そう思いを馳せてしまうと、ロスヴィータ以外の面々ともう会えないという事実が、エミールの胸に疼痛をもたらした。


「……あ、そろそろ王都につきますよ。エミールさん!」


「ああ……こうして窓から見える景色は、そう変わらないんだな」



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