短編小説【いとしのメールアドレス第1話 パソコンと夫婦】
@nobuo77
第1話パソコンと夫婦
第1話 パソコンと夫婦あらすじ
一人親方大工の伸吉はパソコンが欲しい。
妻のトモは頭から否定する。
夫婦には将来を夢見る二人の息子がいる。
ある日トモは「パソコン買ったら」と、夫に言った。
パソコンと夫婦
大工の伸吉が新築住宅の工事現場で、パソコンの購入意志を示した時、
「何ンに使うとね」
壁の釘打ちをしていた妻のトモが、しばらくして声をあげた。作業の手は動いている。
「何って、仕事さ」
予想通りの反応に伸吉はぶっきらぼうに答えた。
「何ンとんしれん。お父さんの仕事は大工だろう。ノコギリと金ヅチが商売道具だよ」
トモは無表情で言い終えると、台所と洗面所の間仕切りボードを、再びエアーガンを使ってシュパッ、シュパッと打ちはじめた。
伸吉が普段と何かちがったった事をはじめようとするとトモはひと言、伸吉にとって耳障りな言葉を吐かなくては気のすまない女だ。
伸吉はこの程度の反発があるのは初めから覚悟していた。
「パソコンはプレハブメーカーや資材屋さんも使っているだろう。材料の追加や見積もりにも便利だしな」
「携帯があるがね」
「相変わらず古い女だ」
「古くて悪かったね」
トモはガシャッと大きな音を立てた。
伸吉がトモのほうにふり向いた。
エアーガンのホースを、脚立の先に引っかけたのだ。
伸吉は当てこすりをされたと思いカッとなった。
生唾を飲み込んでじっとこらえた。
ここで爆発したら自分が落ちこんでいくだけだと、これまでの経験からわかっている。
それにしても近頃、トモのイライラが目立つ。
伸吉は大工の一人親方だった。
二人の子供が小学校に入った頃、東京のプレハブメーカーがこの地に進出して来たのを機会に独立して一人親方大工になった。
それまでは地元中学を卒業以来ずっと地元の親方について修業してきた。
伸吉の独立後、妻のトモも結婚前から勤めていた食料品店のパートを辞めて小取りとし
て一緒に働くようになった。
結婚当初は夫にむかって口答えをするような女には見えなかった。
時々、不満の表情を見せることはあったが、いまのようにああ言えばこう言うような態度に出ることはなかった。
自宅は長男の伸太が小学三年、次男の学二が小学校に入学した年の秋に完成した。夫婦して働き出して十年目だった。
「二人とも勉強を頑張って、大学まで行くんだ」
トモは新築に引っ越した頃、口癖のように話していた。
伸吉もトモも中学しか出ていなかったので子供たちの進学の期待は大きかった。
一家は新しい我が家で輝いていた。
「ぼく、大きくなったら建築家になる」
長男の伸太は、その頃よく両親に勧められていた将来の職業を口にした。
「伸太の引いた図面の家を建てるのがお父さんの夢だよ」
トモは蜜柑の皮をむきながら伸太に語った。
次男の学二は、床に腹這いになって、テレビに見入っている。
「ぼくは絶対、野球選手」
テレビに熱中しているものばかりと思っていた学二が、ガバッと上半身を起こして、ト
モの手から皮をむいた蜜柑を取り上げて、口の中にほおり込んだ。
伸吉はこの頃、仕事から帰って晩酌のお湯割りと、テレビを観るだけの日常に、虚しさを感じるようになっていた。
思いだしたようにパソコンの影がうかぶ。
仕事は順調で充実している。
しかし何か心が満たされない。
仕事でも家庭でもトモと一緒にいる時間が一日の大半を占めている。
ふと、パソコンがひらめく。
「今更勉強しなくても」
とトモは言う。
「お前と一緒にするな」
現場に二人だけだと、激しく言い争う時がある。
言い争いに夢中になっていて、いつの間にか現場員や他の業者がそばに来ていて、ばつの悪い思いをした経験が何度もある。
四六時中夫婦一緒では、良い事ばかりではないだろうと、今でも笑われたりする。
一緒に働くようになってやがて二五年になる。
トモがいない現場仕事は、今の伸吉には考えられない。大切な労働力であり相棒なのだ。
長男の伸太が生まれた時には一ヶ月目に現場につれてきた。
トモが家に閉じこもって子育てするより現場の空気が吸いたいと言ったからだ。
次男も現場の空き地にブルーシートを張ったテントの下に寝かせて子守りをしながら仕事をした。
生活に追われていたわけではない。
そのころは一家四人がひとかたまりになって、仕事をしているという充実した日々だった。
いま伸吉がパソコンを一台購入しても、日々の生活に影響を与えたりはしない。
毎日妻と一緒に働いているので、購入前に一声かけておいた方が、後々何かと都合がいいと計算したからだ。
金額の張る品物を伸吉の独断で購入したら、二人の間の機嫌の修復には何週間もかかる。
第一、財布は結婚以来、妻の手中にある。
「自分が手掛けた現場の図面を、パソコンに入れて置くんだ」
伸吉は昼食後、トモの気持が落ち着くのを待って言った。
「図面だったら今でも棚の上にとってあるから、いつでも見られるじゃない」
「うん」
「無駄な」
トモは相手の感情を考えずに、グサリと言葉を突き刺す。
若い頃のトモはこんな言葉をいったことはなかった。
これまでに何度か衝突した。
歳を取るにつれてトモのグサリは伸吉の胸にこたえるようになった。
その日の午後は無言で過ぎた。
「お父さんが必要だったら買ったら」
帰りの軽トラックの助手席でトモがぽつりと言った。
「うん」
伸吉は表情を変えずにトモの太股に左手をのせた。
気にしていたのかと思うとちょっとトモが愛しくおもえた。
https://otibohiroi.com/pc-and-couple/
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