遠く夢見たもの⑪
それから輝はアルフェリカと出会ってからの経緯について順を追って話していく。
転生体保護機関『ティル・ナ・ノーグ』と専属契約を結んでいること。
その依頼の中でアルフェリカに出会ったこと。
怪我をしたアルフェリカを保護するように『ティル・ナ・ノーグ』に命じられたこと。
夕姫は転生体の話を嫌うので、そのあたりについては割愛した。アルフェリカが転生体であることは輝が勝手に明かして良いことではない。
部分的に説明を省いたことで夕姫は納得しなかったが、守秘義務があることを説明すると、不満げにしながらもそれ以上は追及してこなかった。
事実としてアルフェリカが〝断罪の女神〟の転生体であること、外から来た覚醒体であることは守秘義務の範囲内である。それは彼女の権利を守るための処置だ。
「アルフェリカさんのことはわかったよ。わかったけど、一つだけ納得できないことがあるの」
ちゃんと答えて。夕姫の目が無言でそう訴えてきた。
「狩人をしてるのはまだいいよ。けどその契約って、やめられないの? 『ティル・ナ・ノーグ』ってランクの高い魔獣を相手にすることもあるんでしょ? 輝くんの怪我だってそのせいなんでしょ? こんな怪我してまで輝くんがやる必要ないじゃん」
「悪いがそれは聞けない」
輝は即答した。心配してくれるのは嬉しいし、夕姫に心配をかけたくないという気持ちも本物だが、その望みについては首を横に振るしかない。
なぜ、と問われる。
「俺には、やらなきゃならないことがあるんだ」
夕姫はじっと視線で続きを促してくる。話をする前に輝は躊躇いがちに確認した。
「転生体と覚醒体に関わる話になる。話しても大丈夫か?」
夕姫がびくりと身体を震わせた。彼女は転生体と覚醒体の話題をひどく嫌がる。その理由を輝は知らない。過去に転生体に纏わる何かがあったのかもしれない。そう推測はできても直接尋ねることはできなかった。
だが今回は避けては通れない。だからこそ聞くか聞かないかは夕姫の判断に委ねようと思った。
答えを待つ。どれだけの時間が経過しようと夕姫が返答しない限り沈黙は続く。
「…………いいよ、だ、大丈夫」
たっぷり数分の時間をかけて、か細い声で答えが返ってきた。青白い顔色から伝わってくるのは何かに対する恐怖。
それでも意思を示してくれたのだ。応えないわけにはいかない。
「俺の目的は、この世から転生体と呼ばれる存在をなくすことだ」
極めて真剣に輝はそう語る。
夕姫はさらに顔を青褪めさせて、アルフェリカは不愉快そうに眉をひそめた。
「『アルカディア』にいるとそこまで感じないが、現代における転生体への差別意識は強い。それこそ忌避感情と呼べるくらいに。神の力は強大だ。敵性があればその力が自分たちに向くかもしれない。力で劣る人間からすれば恐ろしいだろう。自分を守るためには転生体を排除するしかないというのもある程度は理解できる」
表情は険しく、知らず声は重くなる。輝が抱く感情が声音に滲んでいた。
「それだけじゃない。転生体が近くにいるかもしれないというだけで疑心暗鬼に駆られる。炙り出すために虐殺が始められることだってある。敵性がなくとも転生体だというだけで居場所を追われるやつもいる。家族を奪われるやつだっている。転生体が生まれ続ける限りこの不幸はなくならない。俺は人間が幸福であってほしい。それには転生体と呼ばれる存在がどうしても邪魔になるんだ」
告げる言葉に虚偽も虚飾もない。黒神輝が抱く心からの思い。
「俺が転生体保護機関『ティル・ナ・ノーグ』に所属するのは俺の目的のためには都合が良いんだ。だから『ティル・ナ・ノーグ』から離れるわけにはいかない」
心配する夕姫の気持ちを知った上で、受け入れられないと明言する。
夕姫は何も言わない。白くなった顔は今の話に大きなショックを受けているように見えた。
「転生体を忌避する理由はわかる。でも消される側はたまったものじゃないわ。迫害されて、居場所もなくして、隠れながら生きていくしかなかった人の気持ちを考えたことがあるの?」
口を開いたのはアルフェリカ。転生体が世の不幸の元凶であるかのように言う輝に対して怒りの感情を滲ませていた。
転生体というだけで迫害を受ける。やっとの思いで信頼を築いても、転生体であることが露見しただけで容易く瓦解してしまう。幸福はおろか居場所さえ奪われ、安息もなく苦難の日々を過ごすことになる。食うに困っても手を差し伸べてくれる者は誰もいない。
その絶望がわかるのかと転生体であるアルフェリカは輝に問う。
「あるよ」
あまりにも簡単に言い放った輝にアルフェリカが鼻白んだ。何か言おうと彼女が口を開きかけるが、それよりも早く輝は言葉を続ける。
「似たような体験を実際にした。だから考えたことがあるだけじゃない。知っている」
「え?」
夕姫が、小さく声を漏らした。
「今まで笑い合っていた人間たちの見る目が敵意や恐怖に変わった。友人は離れていき、家族同然だった人間にさえ疎まれた。住んでいた家は焼かれ、殺意と一緒に剣や銃を向けられた。居場所をなくしてあちこち旅してまわって、魔獣を狩りながら食いつないでいたよ」
それは
アルフェリカの透明な視線が輝を貫く。その話に嘘がないことがわかるとアルフェリカはさらに感情を昂らせた。
「そんな目に遭ってるのに、どうして転生体が邪魔だって言えるのよ……」
絞り出すような声には悲痛な響きが込められていた。
隣の夕姫に自分が転生体であることを悟られることも構わず。
「ただ幸せに生きたいと望むことの何がいけないの!? 何もかもを奪われていくのに、そんなささやかな願いすらあたしたちは持っちゃいけないの!?」
転生体というだけで恐れられる。それは仕方がない。転生体やその神がどんな人格者であっても、強大な神の力が自分たちを害さない保証はない。周囲の人たちからすればいつ爆発するかわからない爆弾のようなものだ。身を守るために遠ざけようとするのは悲しいが理解できる。
それでも幸せになりたかった。信頼できる人と笑いながら穏やかに暮らしたかった。そんな誰もが抱くような小さな願いを、アルフェリカは痛哭するように吐き出した。
「辛かったんだよな」
「っ!?」
その一言は間違いなくアルフェリカの胸を貫いた。
今にも泣きだしそうな顔で、それでも涙を流すまいと必死に堪える姿は、輝が言ったことが間違いではないことを雄弁に物語っている。
多くの地域で転生体は人間扱いされない。それは紛れもない事実。
けれど――
「転生体と呼ばれる存在をなくすっていうのは文字通りの意味じゃない」
アルフェリカの目が大きく見開かれた。嘘を見抜く力があるにも関わらず、輝が口にした言葉を信じられないという顔をしている。
「転生体が忌避される原因は、人間を敵視する敵性神と、神の力を悪用する敵性転生体がいるからだ。自分たちを脅かす存在が近くにいるから、人間は必要以上に恐怖する。なら、そういう神や転生体がいなくなれば、すべてが友好神と友好転生体だけになればきっと――」
それぞれが共存できる世界に近づけるのではないか。
「転生体とは差別用語だ。なら人間に仇為す神々を抹殺する。転生なんて許さず輪廻の理から弾き出す。人間と共存を望む友好神だけになれば、転生体は差別の対象じゃなくなる。そうすることが俺の目的。転生体と呼ばれる存在をなくすっていうのは、そういう意味だ」
アルフェリカと夕姫は唖然としていた。信じられない。できるはずがない。見開かれた双眸がそう言っている。
どれだけ荒唐無稽なことかは輝自身よくわかっている。
理想を思い描いても誰もが不可能だと断じて目指しすらしない。よしんば敵性神を根絶やしにすることができたとして、神によって傷つけられすぎた人類がいまさら神を信じることなどできるはずがない。
それでもそうすると決めたのだ。
「輝くんは、転生体が、その……怖く、ないの……?」
夕姫が、恐る恐るそのようなことを聞いてきた。輝の腕に添えられた手は震えている。答えを聞くこと自体を怖がっているのだと感じ取れた。
愚問だと思った。
「転生体だって人間だ。どうして怖がる必要がある」
「あ……」
夕姫の震えが止まった。瞳から不安が消え去り、強張っていた身体から力が抜けていくのが感じ取れた。
「キミはどうして、そこまでしようと思うの?」
「誓ったんだ」
輝は何かを確かめるように拳を握った。
「人間と神でありながら結ばれた二人を俺は知っている。人間と神は手を取り合えるんだ。だけど……」
握った拳をさらに強く握る。骨が軋みを上げるほど強く。
抱えた感情は後悔。
「だけど、世界の仕組み……人間たちに根付いた意識がその邪魔をする。二人は引き裂かれた。だから俺は誓った。もうそんなことが起きないように世界を変えるって。神が人間を傷つけ、人間が神を恐れて、転生体を迫害するなら、恐れられる神そのものをこの世から排除する。そうすれば残るのは人間と手を取り合える神だけになる。人間が神を恐れる必要がなくなれば、転生体もそれを理由に迫害されずに済む。きっと、あの悲しみは生まれなくなる」
障害は無数にあるだろう。想像を絶する程に難しいだろう。途方も無く時間がかかるだろう。
それでもそういう世界を創りたい。
転生体と呼ばれていた人間たちが笑っていられる世界。誰もが平等に未来を思い描ける世界。
そんな世界が悪い世界であるはずがない。なによりも――
「あの幸せな光景をもう一度見たいんだ」
少年のような笑みを浮かべて夢を語る。握り拳からはいつの間にか力が抜けていた。
遥か遠くに夢見る理想の世界。それこそが黒神輝の考える理想郷だ。
「本気でそんな馬鹿げたことを考えてるのね」
「できないとは思っていない」
そう言って輝は窓の外を見た。陽光に照らされた数々の摩天楼。その下で各々が活動を始めている。善も悪も表も裏も清も濁も関係なく、様々な者たちで成り立っている営み。
「『アルカディア』はその縮図だ。俺が思い描いていることその通りってわけじゃないけど、この都市では人間と神が手を取り合ってる場所が確かにある」
「もしかして、守護者のこと?」
「守護者?」
夕姫の呟きにアルフェリカが聞き返した。
「この都市を守る覚醒体のことです。高ランクの魔獣の退治や敵性転生体の制圧で活躍してます。知られてるのはゼロス=ガイランとシェア=ブルーレイズってゆー人たちです。ホントは他にもいるらしいですけど公表されていません」
「有名なの?」
「少なくとも『アルカディア』に住んでいて知らない人はいません。覚醒体だってゆーことは周知されてて、それを承知で支持してる人たちがいっぱいいます」
アルフェリカは黙って夕姫を見つめている。今の話が嘘ではないか見ているのだろう。透明な視線に射抜かれた夕姫は居心地が悪そうに身体を揺すっていた。
「想像もできないわね」
「もちろんアンチだっている。まあこの都市で過ごしていれば、そのうち目にする機会もあるさ。普通の転生体もこの都市では普通に生活してるよ。大っぴらに自分が転生体だと明かしてるやつは少ないし、全員が差別意識を全く持たないとは言えないけど、それでも他の地域に比べればずっと過ごしやすい。きっとアルフェリカも過ごしているうちに実感できるよ」
「話半分に聞いておくわ」
会話が途切れて静寂に包まれる中、ぐぅぅぅぅぅ〜〜〜〜、と気の抜ける音が輝のお腹からなった。そういえば昨日の夕方から何も食べていない。
「話はここまででいいよな? 腹減ったから朝メシにしよう。昨日食べ損なった夕姫の料理がいい」
「もう輝くんってば。けっこう大事な話してたと思うんだけどなぁ……いいよ、準備するからちょっと待っててね」
仕方がないなぁとため息をつきながら頬を緩めて、夕姫はキッチンに向かった。
「アルフェリカさんの分も用意しますから、その間に身だしなみ整えてきてください。寝癖がすごいですよ」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
礼を告げてリビングから出ていくアルフェリカとキッチンに立つ夕姫の二人を見て、輝は思う。
たとえ転生体であってもこうして何気なく互いに接することができる。共に在ることができる。
それが再確認できたことに満足しながら、夕姫の料理が出来上がるのを待った。
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