限られた陽だまりの中⑤


 間に合ってよかった。輝は心の底から安堵した。あと少しでも遅かったらこの少女は肉片となって魔獣の胃袋に収まっていただろう。


 少女の有様は酷いの一言に尽きる。衣服はボロボロで、傷のない箇所がない。肌のほとんどが赤く染まっており、筋繊維や骨まで見えている箇所まである。咬み傷のせいで元の素顔がわからない。


 目を背けたくなるような状態だ。


 輝が思い悩んでいると『黒狼』フローズヴィトニルが背後から飛びかかってきた。



「邪魔だ」



 手にしていた機械仕掛けの大鎌を無造作に薙ぐ。『黒狼』フローズヴィトニルの頭が真っ二つに裂け、魔力素マナの霧を立ち上らせて結晶に姿を変えた。


 それが皮切りとなり、魔獣どもは仲間を屠られた怒りを晴らさんと一斉に襲い掛かる。


 数はざっと二十体ほど。


 輝は武器を巧みに操り、全方位から迫りくる『黒狼』フローズヴィトニルの首を的確に刎ね飛ばしていく。


 『神滅大戦』ディオスマキナで多くの神が死に絶え、魔力素マナとなって大地に降り注ぎ、突然変異を起こした獣。本能のまま他者を襲い、蹂躙しか知らない神の眷属。


 神などいなければ、あるいは争わずにいれば、生まれるはずのなかった生物。


 死してなお人類を脅かす。その事実が無性に許せない。



法則制御ルール・ディファイン――魔力圧縮・方位掃射ソード・オブ・ザ・ハート



 蒼色の魔法陣が二人を囲うように展開される。数は六。膨大な魔力がすべての魔法陣の中で圧縮され、一斉に咆哮した。


 溢れ出した光の奔流が『黒狼』フローズヴィトニルの包囲を食い破る。蒼い閃光が視界を埋め尽くし、消しゴムでもかけたように黒の包囲網を瞬く間に平らげた。


 光が消え、残されたのは魔力素マナの霧による幻想的な景色のみ。


 戦闘音を聞きつけたのか、遠目には『黒狼』フローズヴィトニル以外の魔獣までもが集結しつつあった。


 一体たりとも都市に入れるわけにはいかない。だが一人ではとても手が回らない。



「魔獣をゲートに近づけるな!」



 誰かが叫ぶと応じるように雄叫びが轟いた。武装した大勢の人間がゲートから飛び出し、次々と魔獣を魔力素マナの霧へと還していく。


 この危機に参じた狩人たち。理想郷を守るためにそれぞれが武器を振るう。


 魔獣の大群を前にしても勇敢に戦う狩人たちが頼もしい。都市の防衛は彼らに任せられる。



「黒神さん」



 『ティル・ナ・ノーグ』の隊員が駆け寄ってきた。彼が着る制服には所属を示す『槍持つ妖精』の腕章がある。



「ああ、わかってる」



 神名を纏う和服の男。間違いなくアレが元凶の敵性覚醒体。



「あいつは俺がやる。フォローを頼む」


「もちろん。それが我々の役目です」



 輝の短い言葉にも、何をすべきか心得た様子でその隊員は離れていった。



「覚醒体だな?」


「問わねばわからぬか? 人間」



 全身で刻印が明滅している。転生体であることを示す神名。


 アレはこの世に在ってはいけない。アレは人間ではない。人間の形をした人間の外敵。


 黒神輝がこの世で滅ぼさなければならないモノ。


 眼球の奥が赤く染まっていく気がした。理性が本能に駆逐されていく。


 理性が塗り潰されぬよう押し留めながら、懐から赤色の液体で満たされたシリンジを取り出した。同時に機械鎌からシリンダー機構が動き出し、空のシリンジが六つ排出される。


 覚醒体はシリンジに数滴残った赤色の液体を見てすぐにそれが何であるか察した。



「それは、血液だな……人間には生成した魔力を体外に放出できぬ者がいるという話を聞いたことがあるが……なるほど、汝は魔術師としては欠陥品というわけか」



 揶揄する声を無視し、空となった六つの穴にシリンジを装填。


 それを敵対行動と見做したか、覚醒体がこちらに腕を向けた。



法則制御ルール・ディファイン――」



 紡がれる言葉に特別な意味はない。ただ自己の内面を改変させるための暗示。改変された意識はこの世の理を操り、人の業を以って世界を捻じ曲げる。


 機械鎌がシリンジの中身を吸って稼働し、触媒となって術式を構築する。


 向けられた腕が帯電する。あの覚醒体が雷を使うことは遠目に見ていた。直撃すれば無事ではすまない。



「――対魔障壁・五重展開ソード・オブ・ザ・ハート



 それよりも速く右腕を突き出す。浮き出たのは蒼い輝き。回転し、膨張し、魔法陣を紡ぐ。


 展開されたそれは魔の脅威を阻む【対魔障壁】アンチ・マジック・シールド。瞳と同じ輝きを放つ大小異なる五つの蒼い魔法陣。


 紫電の雷撃と蒼い障壁がぶつかりあう。


 衝突したエネルギーは行き場を失くし、四散しながら地面に爪痕を残した。障壁は耐えきれず崩壊し、その負荷は代償として右腕に裂傷を刻んだ。噴き出した血飛沫が頬を濡らす。


 だがそれだけだ。



「くっ、欠陥品の分際でっ。万全ではないとはいえ我が雷を防ぐか、人間!」


「黙れ敵性神!」



 敵の苛立ちを叫びで押し潰し、次の術式を起動。蒼色の魔法陣が再び展開される。


 魔法陣を銃に例えるなら、込められた魔力は銃弾であり、この機械鎌は撃鉄。



法則制御ルール・ディファイン――魔力圧縮・一点解放ソード・オブ・ザ・ハート



 機械鎌を魔法陣に叩きつけると魔法陣が咆哮した。破壊エネルギーが一条の光となって迸る。



たわけがっ!」



 ズバンッ、と雷撃が閃光をともなって弾けた。放たれた魔術と同等のエネルギーが衝突して爆ぜる。爆発の生じた個所、輝と覚醒体の挟む地面が爆散した。


 抉られた地面の向こう側。息も絶え絶えな覚醒体が忌々しげにこちらを睨んでいる。



「このザルツィネルの『神装宝具』――【雷樹】ジュピトケラノスを前に、その程度の術式でどうにかできると思うたか! つけあがるな人間!」



 魔術とは人間によって編み出された人の業。軍事利用もされる強力な力であっても、所詮は人間の枠での話。元来より人間よりも高みに在るとされてきた神の力には到底及ばない。


 ザルツィネルの身体から発せられた紫電が円をかたどる。その中に星と魔術文字が刻まれ、またたく間に五芒星ペンタグラムが描かれた。魔力を注がれるにつれて凶暴な輝きを増していく。


 あれほどの手傷を負いながら、まだこれだけの魔力を操るのか。


 機械鎌から空のシリンジが二本排出される。繰り出される強力な攻撃に備えて、新たにシリンジを装填しようとした。



「再装填の猶予は与えんぞ」



 百雷を超えた万雷。空を覆わんばかりの雷すべてが地上へと殺到する。その規模はもはや天災だ。回避などできるはずもない。装填は間に合わなかった。防げるだろうか。――否。


 防げなければ、死ぬ。

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