ギルドマスターの後悔

 コーアンの港町の冒険者ギルドマスター、バッカス・オーザケ42歳は後悔をしていた。


「何故こんなことになった?」


(自分は悪いことはしていない、自分は、本当は臆病者だ。だからいつも石橋を叩いてわたるように慎重に物事を判断するようにしている。元はA級冒険者でタンクとしてパーティーを組んでいたが、戦闘能力が高いと言う訳では無い。ギルドマスターという職務上舐められない様に乱暴な言葉遣いをしているが、本当はただの酒好きのおっさんだ。おっさんが一体何をした)

 

 バッカスは、昨日の出来事を、振り返っていた。


 昨夜は町の酒場で一人、酒を飲んでいた。独身のバッカスは独り身の夜が寂しく感じられる時はいつも決まって酒場で酒を飲んでいた。

 酒場の賑わいは寂しさを埋め、酒は切なさを忘れさせてくれる。親から自立して働く様になってから二十年以上続く、夜のロンリールーティーン。昨夜もただいつものようにたらふく酒を飲み自宅に帰って寝るだけだと、そう思っていた。

 酒を飲み始めてから一時間ほどたった時だった。見慣れた通りの景色の中に異質な違和感を覚えたのだった。その異質な感覚はどんどんとこちらへと近づいて来ており、すぐにその原因がバッカスの眼に入った。

 それは二十歳くらいの青年。黒髪で中々アマイマスクをした長身の青年であった。しかし、その青年が纏う気配と雰囲気はとても物騒な物で、例えるならば首輪の鎖が千切れかけた猛獣だった。

 バッカスはこの町の冒険者ギルド・ギルドマスターという職に就いているので、青年のような危険な気配を放つ猛獣を放置することなど出来ない。


(やれやれ、何があったのかは知らないが、こんな危なそうな奴は放っておけないか。それに見た感じは、まだ話が通じそうだな)


 バッカスはそう考えて青年に声をかけた。町の安全と、未来ある青年が一刻の過ちを犯してしまわないようにと声をかけた。


「兄ちゃん背中が煤けてるぜ。そんなしけた顔してるとツキが逃げちまうぜ」 


 バッカスは後悔していた。ツキが逃げたのは自分の方だった。だが、ギルドマスターとしてはあの時の直也を放置することは考えられなかった。それに話しながら目の前の男が噂のS級冒険者パーティーの一員だと気が付いた時には打算的に利用できないかとも考えた。酔っぱらいの話に付き合ったのも、酔って寝てしまった直也をギルドの宿直室に泊めたのも恩を売ろうとしたためだ。しかし、その行動がこうしてとんでもない事態を生み出している。

 今、冒険者ギルドは非常に大型で命を守る避難行動を即座に必要とする暴風をともなう台風のような魔法に室内を蹂躙され普通に立っているのも困難な状況の中で、ギルドの職員や訪れていた冒険者達は皆、舞い散る桜の花びらのように飛び回っている重要書類を追いかけているか、何らかの理由で力及ばず撃沈し床に倒れ伏しているかのどちらかである。


「何故こうなった、俺はここからどうすれば良い?」


 バッカスも当然この状況をよしとしている訳ではない、何とかして事態の収拾を図ちたい。だが、それが叶わぬことも知っていた。 ギルドを襲い、遺憾なく持っている力を振るっている二人の狂犬。この狂犬達が持つ力に対抗できる者はここにはいない。よって武力による制圧は不可能だ。そして、交渉や説得による事態の収拾も不可能だ。何故なら相手はこちらの話を聞く気が無いと言うことと、実は42歳のバッカスは、40歳を過ぎてから大魔法使いとなるほどロンリーで、親類縁者以外の女性とは緊張してしまい話をすることが出来ないレベルのある種童貞コンプレックス性の女性恐怖症だったからである。


(そんな俺なんかでは、狂犬どもを大人しくされることなんて出来ない)


 故にバッカスは望んだ。


「誰でも良い。誰かあいつらを何とかしてくれ」と。


 バッカスは知らなかった。時として運命の女神は、残酷で、とても悪戯が好きなことを。




 吹き荒れる暴風に逆らって、銀髪の狐の獣人姿のイズナがギルド内へ飛び込んで来た。直ぐに事態の把握を試み、周囲に目を配らせるイズナの目に写ったのは、意識を失いサクヤの腕に抱かれている直也の姿だった。イズナは意識を失っている直也の姿を見て言葉を失った。

 言葉を失ってしまったイズナの前に直也を抱いたまま降り立ったサクヤは、すぐに近くにあった比較的綺麗で風の被害を受けていないソファーの上に直也を寝かせた。


 サクヤが床に降りたったことで飛行魔法が解除されてギルドを襲っていた暴風が消えさり、ギルドに居た者達はひとまずホッと胸をなでおろす。

 がしかし、直ぐに異変に気が付いた。今度はギルドの中が寒くなっている。しかもどんどんとまだ温度が下がっているようだ。一同が寒さの原因を探ろうと辺りを見渡す。


 すると冷気を放つ一人の美しい銀色の髪をした獣人の女が目に入った。


 長い銀髪で肌が透き通る様な新雪のような白さ、高い知性を感じさせる瞳にすっと通った鼻筋、柔らかそうな色っぽい唇をした美女。細くて綺麗な手足と鍛えられたスレンダーな身体は、全身すべてを神が設計した作品と言っても過言ではない人知を超えた美しさを持つっている。その美しい獣人がモフモフの耳をピンと立て、モフフサの尻尾を、ピンを天に向けて立っていた。


「綺麗だ」

「惚れた」

「結婚したい」

「この美しさは天使様だ」

「寒い」


 男達は一目でイズナの見惚れ虜になってしまった。イズナが放つ冷気のことなども忘れて、その姿を忘れないように記憶しようとしているのか食い入るように見つめていた。


 イズナはギルドにいる者達の好意と好奇の視線を一身に集めながら、ゆっくりとソファーに近づき眠っている直也の前に膝をつくと、直也の頬を撫でながら後ろを振り変えることなく口を開いた。


「直也様の身に何があったのですか?」


 鈴のような綺麗な声に怒気をのせてイズナが話す。その怒気を乗せたイズナの一言で、ギルド内の雰囲気が一変し、ギルドにいる者達の肩に、恐れと恐怖が重く圧し掛かる。そればかりか正体不明の焦燥感にも襲われる。


 イズナは直也の頭を愛おしそうに撫でる。撫でながら顔だけ後ろに振り返り、この場にいる全員に対して睨みを聞かせながら話す。


「直也様に、何をしたのですか?」


 その瞳に宿っている激しい怒りにバッカスは心の底から恐怖した。イズナの持つ力の片鱗を感じてしまったからだ。


(こいつは化け物だ。さっきの狂犬達よりもずっと。桁違いだ。銀色の髪の女、こいつがイズナ・シルバー・フォックスか!)


 イズナに怯えガクガクと震えるまともに立つことすら出来ないバッカスにはもう出来る事が無い。一体どうすればことをうまく収めることが出来るだろう。考えても、考えても思いつかない。祈る事しか出来ない。


(神よ、私達をお助け下さい)


 バッカスの心からの切実な願い。しかも今回は神に本気で真摯に必死な願い。


 バッカスは願ってしまったのだ。運命の神は本当に残酷で悪戯が好きな事を知らないままに。




 冒険者ギルドから離れた、宿屋エキサイティング・「楽園の間」にて。


「むむ、この気配は? 面白そうな感じ? 寝ている場合じゃないわ。あっちの方からとても面白そうな感じがするわ」

「酷い、酷いです。締め落すなんて。私はただ幸せな家族計画を描いていただけなのに!ですが、シミュレーションはばっちりです。待っていてください直也さん」

「ん! イズナ姉の気が荒れているな。この感じは旦那様に何かあったのかもしれない。

おい二人共急いでイズナ姉の所に向かうぞ」

「私もいます! 無視しないで下さい! 私も私のイズナたまのもとへ」


 まったく同時に目を覚ました元魔王に天然エルフ、そして伝説のドラゴンに天上のヴァルキリー。それぞれ強い力と濃い個性を持った四人の恋する女たちは、言い争いながらも素早く身支度を整えて宿の窓から町へ飛び出し、全速力でイズナの気配がする方に向かったのだった。


 バッカスの苦悩はまだまだ続きそうであった。。



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