雪合戦

 嘉永五年閏二月二日(1852年3月22日)


 蓮介たちは雪門の近くには来ていたはずだった。だが、門と呼べるようなものはほとんど何もない雪原地帯ばかりで、まるでそれは雪の底に埋もれているかのようにも思えた。


「私、勝手に何か巨大なもの想像してました」

「ああ、俺もだ」

 蓮介も、そこは莉里奈とまったくの同意見。


 だが用意していた地図の情報はかなり正しくはあった。おかげで蓮介たちは、配置されていた"祖カラクリ"の組み立て屋敷で休息することもできた。


「ところで、さっきからきしむような音が聞こえるような気がするが」

「風も結構強いけど、これは大丈夫なの?」

 ほんの数分ほどで、平べったい板から変形した、そのカラクリ組み立て屋敷は、カラクリ師でない亜花と弥空からすると、耐久的に少し不安なようだった。

「これは素材が特別だ。"祖カラクリ"のこれまでの歴史も長い。ただ動作機構として利用されるだけじゃなくて、それを使って新しく生み出せるものも多くあった」

 ただ蓮介も、隠れ里自体のこれまでの話にあまり詳しいわけではない。


「蓮介さん。空国遺跡は、空にあるわけではないですよね?」

 莉里奈としては少し意外だった。

「いや」

 蓮介が、まるでその可能性に気づいていなかったかのように、驚いたような表情を見せたのは。

「それはないと思う。それは、だけど」

 実際は、彼は別のことに気づいていた。

 雪門が実はない、これはありえない。

 雪門は実は別な場所にある、これも考えにくい。そうだとしたら(少なくとも彼はそうだと認識している)貴重な祖カラクリ屋敷をただ置いていたりするのはおかしい。

「カラクリ師が二人いるか。多分そういうことだな」

 残された可能性は一つ。

「どういうことなんです?」

 莉里奈にはまだ見当つかない。

「ああ、もしかし」

 だがまず、それどころではなくなったようだった。

「さっきより大きいな」と亜花。

 つまりさっきは彼にしか(?)聞こえなかった、きしむような音。今度は、他の者にもはっきり聞こえるほどの大きさ。

「これは警告音だ。"祖カラクリ"が近づいてる場合の音」

 それだけ言って、それが変形している時点で目立ちすぎな屋敷を、蓮介は平べったい板へと戻した。

「気をつけろ」と言われるまでもなかった。

 同じくカラクリ師の莉里奈はもちろん、事前に「自分たち以外のカラクリ師は基本的に敵だと思うように」と聞いていた他の二人も、身構えた。

 しかしこうなったら、風が強く雪も降っているのが好都合だったかもしれない。近づいてくる"祖カラクリ"を持つ誰かに、まだ明確に位置を知られていないのだとしたらだが。


「もし」

 何もないまま数分がすぎたが、蓮介はその時間を無駄にはしなかった。

「早くに俺の任務のことを知って、ここで待ち伏せ出てたとするなら、むしろこうなる前にこっちが奇襲をかけられてると思う」

 少なくとも、警告機能を備えたカラクリ屋敷で休息を取るよりも前に仕掛けてきたはずだ。

「気づいたのはカラクリ屋敷を作動したから。だとしたら俺たちの場所はもうバレてるはず。それですぐに攻撃を仕掛けてこないのは、俺たちのことを警戒してるからだろう。相手からすれば戦力が未知数なのに違いない。多分、任務を邪魔しようというより」

「遺跡を守ってる人たち?」と莉里奈。

 カラクリ屋敷の起動がわかったということも、そういう事なら説明しやすい。

「あるいは、強力な兵器として狙われてるということがわかっているキホーとやらをか?」

「多分な、キホーだ」

 亜花の言葉にすぐ頷く蓮介。

「となるとやっぱり空国遺跡はこの場所」

 しかし今は、それもじっくり考えている場合ではないだろう。

「よし。このまま待っていても仕方ないし、こっちから仕掛けよう」

 すでに策もあった。

「囮作戦で」


ーー


 入門者を意識した、しかし非常に実践的な"几カラクリ"の指南書「機巧図彙からくりずい」。初歩的な機構を用いた和時計やカラクリ人形の作り方を含めた概要が主な内容とされているその本が、実はそれ一冊では完成していないということを知っている者は少ない。

 機巧図彙を書いたカラクリ師、細川半蔵頼直ほそかわはんぞうよりなおは、隠れ里の自分の一族だけに「機巧文からくりぶん」という書を与えていた。それは言わば機巧図彙の副読本なのだが、それはそれで単体では"祖カラクリ"の指南書の構成となっている。

 幼い頃から、隠れ里の外では天文学を学び、暦算の奥義を極めていた彼は、その知識を駆使した特殊な暗号により、機巧図彙、機巧文のどちらにも隠された文を用意している。さらに、やはり一族にだけ伝えられている彼独自の天文体系に基づく一定の法則に従って、二つの本の隠れた文を組み替えると……


「おおじいさま」

 細川の一族で、今も隠れ里に生きている最後の一人である由梨が、大切に保管されている機巧文を手に取ったのは数年ぶりだ。


「由梨、あなたに可能な限りでいいから、隠れ里に戻って、他の長二人の動向を見張っててほしい。それでもしどちらかが里を出たと思えたら、特に残ってる方に気をつけながら」と雪菜に頼まれてからたった二日。

 隠れ里で彼女を待っていたのは、まったく予想外の展開。いや、予想外というよりも、考えていたよりもずっと早すぎる展開。そういうことになるだろうとは考えていた。隠れ里全体に広がっていた緊張感は彼女だって知っていたのだから。

 長の二人はもういなかった。一人は行方知れず。そしてもう一人は、死んでいた。雪菜と共に、由梨が隠れ里を出てからの四日ほどの間に。

 里の者たちは意外と冷静だった。しかし冷静に、さまざまな怒り、憎しみが渦巻いてはいた。由梨はと言うと、彼女の驚きはおそらく誰よりも上だった。何者かに、体に穴を開けられることで殺された伽留羅の遺体は、なぜかあの、少し前に殺された麻央の家で発見された。そして彼は、自らの血で死ぬ間際に、ある記号を書き残した。その意味に、由梨だけは気づけたのである。意味と言うか、それはつまりある頁だ、機巧文の。


 由梨は、里の長である伽留羅が、細川家と繋がりがあることは知らなかった。しかし、それ自体おかしくはなかった。若い頃の彼は、細川半蔵の天文学の同門だったらしいと聞いたことはあったから。


「カラクリ人間」

 それは、理論的には可能であるが、実際の技術的には不可能であるとされていたもの。"祖カラクリ"を駆使した大きな人形に、仮想的な物質生成技術を合わせて造る、見かけは生きた人間そのままの機械人。それが伽留羅が、(選んだわけではなく、選択肢が他になかったのだろう)由梨に伝えてきたこと。彼が示した頁から得られた情報。

(蓮介のやつ、そういえば)

 彼はおそらく疑っていた。素性の知れない彼、もしかしたらあれを……


ーー


 蓮介は、自分のことは知られてるだろうと思った。ただし厄介な相手と思われているのかはわからない。なんにせよ、自分が一人で仲間たちから離れたら、自分の方か仲間たちの方かに敵は仕掛けてくるだろうと予想した。そしてその予想は見事に的中する。

 カチリというような音と共にあちこちで弾け飛ぶ雪。蓮介自身にも何か衝撃波が放たれていたようだが、シシがそれを受けて、逆に流すことで利用し、その有効範囲から、蓮介を出してくれたようだった。しかしその場で倒れてもしまう。とても冷たいが、たいした痛みはない。

「一人じゃないだろ?」

 だが、おそらく衝撃波を放ってきたのだろう、両手で白銀の球体を持った男以外には、誰も確認できなかった。

 そして男は、問いに答えはせず、球体を撫でるような仕草。その時、シシの反射的な警戒動作から、近くの雪の中を何かが動いてることに気づいた蓮介は、とっさに、敵の方に撃とうとしていたクーホウで、その何かが動いていると考えられるほうに向けた。

 盛大にあちこちで弾ける雪。それは、蓮介と敵が互いに放ったクーホウのどちらの衝撃のためでもあった。ただし、今度は蓮介への衝撃波はなかった。

(これは)

 蓮介の知らないカラクリを使っていた。おそらく雪の中を自由に動く小型機械。それと連動した仕組みで、かなり読みづらい軌道に照準を合わせれる特性クーホウ。つまり、どうやら現れた敵の一人が持っている、全方位に衝撃波を放てるらしい球体クーホウは、あっちこっち周囲を走っている小型機械により、その攻撃方向を決める。

 だが仕組みなど今はどうでもいい。重要なことは、一度でもまともに受けたら意識を持っていかれるかもしれない敵の攻撃が、その発射先から全く見ることができないこと。自分の意思でかわすのはほとんど不可能なこと。

「ここは」

 ならば、戦いの方法は一つだろう。

(先手必勝)

 蓮介は素早くフージンを起動し、球体男に近づこうとする。

「うっ」

 しかし加速しようとしたその瞬間に、やや離れたところからだろう、おそらくまた特性の遠距離用クーホウ。とにかく、それを察知したシシが威力をかなり弱めてくれたが、それでもまだ結構な震動に、体が震え、立ってられななかった蓮介。

 そして球体男の方は、それを絶好の好機と見たようではあったが、さらに追撃が放たれることはなかった。その前に背後から亜花が放った打撃を受けて、彼のほうが倒れたから。


「蓮介、大丈夫か?」

「ああ、平気だ。それよりまだ一人」と立ち上がる蓮介。

「多分それももう心配ない。そいつが攻撃するよりも先に見つけた」


 そして亜花の言葉から間もなく、弥空に剣を、莉里奈にも(亜花から借りたのだろう)忍び銃を突きつけられて、観念した様子の男の姿が、蓮介たちにも確認できた。



 それから、組み立てカラクリ屋敷に戻り、まだ意識のない相棒と共に、意識のある方も椅子に縛って動きを封じた蓮介。

「秋吉蓮介だろう、お前」

 なにか聞くよりも前に男は口を開いた。

「俺の今の任務のことは知ってるのか?」

「さあな、私は知らない。だがだいたいの予想はつく。お前のような隠れ里から離れてるカラクリ師がここに来る理由なんて、あまり多いとは思えないからな。おそらく、私たちが守ってるものに関係してるのだろう」

 だいたい予想通りだった。

「キホーだな? お前たちが守ってるものって」

 だが男は、その問いには何も答えなかった。

「もう言わなくてもほとんどわかってるようなことだろうが、俺の任務はそれの破壊だ」

「れ、蓮介さん」

 確かにもう、相手もわかっていることなのかもしれないが、正直に話した蓮介に、一番驚きを見せたのは莉里奈だった。

「思うに、お前たちの使命はそれを守ることだが、それを達成するために力を貸してくれる誰かがいても問題はないし、手段にこだわってるわけでもない」

「何が言いたいんだ?」と、そこでまた男は口を開く。

「ここに来るまでにも少し事情が変わってる。さすがに三人の内の誰かは言えないけど、俺に今回の任務を直接に与えたのは長の一人だ。だが、意図的に教えられていないことがあるような気がしてる」

 そう、だからこそ、実際にそれに辿り着いてしまう前に、それの破壊を始める前に、知れることは知っておきたいと、蓮介は考えていた。

「それを知って、その後に俺がどうするか、任務をそのまま続けるかもわからない。つまり今お前たちがお前たちの使命を果たせるかどうかにも関係してるのだから、どうせなら普通に答えた方がいい」

 問題は、重要な問題が何かを今だにわかっていないということだろう。だが可能性があるものが限られているのは確かだ。隠れ里の現状か、長たちの隠し事か、何はともあれ特別な立場の自分を日本で使う事か、あるいは……

「キホーとはどんなカラクリなんだ? それで何を行うための兵器なんだ?」

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