忍者

 蓮介が機巧カラクリ堂を出てから、彼の後をつけていたのは、見た目はただの庶民の男。子供ぽい蓮介より年上ぽいが、しかし実年齢的にはそれほど離れてもなさそうだった。全然目立たず、さりげなく、しかししっかり蓮介を、常に視界に捉えている。

 彼の名は亜花あかといった。見ただけでわかる者などいないだろう、彼が実は菊刀里きくとうのさとしのびであるなど。



 戦国時代というのは闇に潜みし忍たちの黄金時代でもあった。

 記録にはほとんど残っていないが、当時、有力であった多くの武将たちが、彼らのような存在を使う事によって、大きな戦果を得ていた。

 忍というのは物見ものみ、つまりは戦術としての諜報活動の達人である。優れた忍は他の誰より早く、敵の情報を探り、重要人物を暗殺し、敵部隊を混乱させ、そして時には敵側の同業者を防ぐことで、自分が仕える武将を勝利に導いた。

 しかし時代が変わり、大きな争いなき江戸の世となった日の国においては、武士以上に戦いの中でしか生きられない忍は、瞬く間に衰退していく事となった。かつて多くの忍を有していた伊賀いが甲賀こうがの隠れ里は、もうどちらも存在せず、いくつかの地方に小規模な里が存在しているだけ。亜花が生まれた地である菊刀里も、そうした小隠れ里の一つ。


 かつてのような戦いの場ではなく、人探しや大衆の情報操作、要人の護衛などが主な仕事となった忍であるが、亜花が数日前に受けた依頼はかなり変わり種だった。

 まず、菊刀里に、依頼内容を書いた手紙と、 依頼料としては破格と言える量の金だけが届けられた。その依頼の手紙と金を届けてきたのは、信じられないほどに高性能な、等身大カラクリ人形。しかしすぐに自己破壊し、ただの残骸となった。それだけでも、"祖カラクリ"のことなど知らなかった亜花たち菊刀里の忍たちにとってはかなりの驚きだったが、依頼内容もまた、かなり衝撃的なものであった。



 ギタイセンというのは透明状態となった場合でも、 視覚的に確認できないこと以外には変わりない。 しかし船の外側にいる人までは透明にならないから、それを使うカラクリ師は、透明状態のそれを動かす前に、必ず内部に入る。

 つまりそれにこっそり乗りたい場合、透明なギタイセンの内部にカラクリ師が入るのを待って、それからある程度動いてしまって、それがどこにあるのかすらわからなくなってしまう前に、さっさと乗るのがいい。手紙にそう書かれていた通り、スズウラマルの場所まで蓮介にこっそりついて来た亜花は、彼が中に入ってから、それに堂々と乗った。

 もちろん蓮介は、船の内部に入る前に"ハクガン"という、動物を探すためのカラクリ探知装置で周囲を探ったのだが、 亜花はしっかり、その対象範囲である七百尺(210メートル)よりも少しだけ離れたところにいたのである。

 蓮介が船内に姿を消してからスズウラマルが動き出し、その場からいなくなってしまうまでの時間は、ほんの十秒くらいだろう。しかし、十秒もあれば、特に足に自信がある忍の亜花なら、七百尺くらい余裕で移動できる距離であった。


 スズウラマルは、完全に手紙に書かれてある通りの動きをした。

 それは透明なまま空中へと浮かび、そのまま空の道を使って、与那国島へと向かった。

 スズウラマルは、正確には透き通っているわけではなく、光を屈折させることで実質的な透明化を実現している。かなりの速度で空中を動くその船に、へばりつくような体制でいる亜花も、下からの光の屈折範囲には入っているから、地上の人たちにその姿が見られることはない。

 それも聞いていた事なのだが、地上のどんな生物、乗り物よりも早いだろう速度で動いているにも関わらず、船外の亜花にすら、あまり体への負担はなかった。

 蓮介が船内から出てきたら、全ておしまいであろうし、 その点に関しては手紙にも書かれておらず、賭けであったが、結局彼は出てこないで、スズウラマルはついには与那国島に到着した。


ーー


 透明なまま、隠れ里入り口の上の海域まで降りてくる。ここからなら、人が横からも見れるし、そうなると、まるで空中に浮かんでいるかのような亜花が確認されるだろうが、どうせわずかな時間なので、そんなことはもうどうでもいい。

 それよりも、飛行していた五時間くらい、ひたすらにへばりつき、じっとしていたこともあり、そのさらに前、実は蓮介が来るはずであった機巧カラクリ堂近くでも四時間待機していた亜花は、少しばかり疲れていた。

 亜花は、あらかじめ用意していた、兵糧丸ひょうろうがんと呼ばれる、ごく小さいながらも、一度の食事の代わりとなる丸薬を食べる。ここまで、潜入の段階までは無事に来れた。問題はここから……


 そして入り口が回転し、亜花を乗せたまま隠れ里へ繋がる通路へと入ったスズウラマル。隠れ里に住人でない人間が入り込む事になったのは、かなり久々。


ーー


「何?」

 透明化を解除するのとほぼ同時、メイサイムシの動作に違和感を感じたことで、ようやく蓮介も彼に気づく。

「お前は?」

 すぐ外に出てきて、立ち上がったばかりで、いつの間にか薄暗い色の忍び装束を着た彼と対面する。

「忍者」

 そうだと蓮介にはすぐにわかった。

 忍者がよく着ている忍装束と呼ばれるものは、もともと農民の服装なのだが、 忍として活動するために多くの改良が加えられるうち、だんだんと機能重視のものも作られるようになっていったもの。そういう訳で現在の忍は、他の職業の者に化けている時以外は、いろいろと扱いやすいその服装を着る。

「うっ」

 服で覆われていた右手首部分から、肩まで服を破り出てきた、灰色の木の枝のように細い腕に、太い指が四本ついた手のような"シシ"と呼ばれるカラクリ。忍者が投げてきた、目にも止まらぬ速さの刃物を、自動的に機能したそのシシがはじいたのと、彼が凄まじい跳躍力で蓮介を飛び越えたのはほぼ同時だった。

 そして蓮介が振り向いた時、もう亜花はスズウラマルも飛び降り、隠れ里の方へとかなりの速さで走っていた。

「間違いないけど」

 シシにはじき飛ばされ、転がっていた刃物が、忍者がよく愛用する道具であるクナイであることを確認して、蓮介はあらためて、相手の正体を確信する。驚異的な身体能力も、こっそりここまでついてこれたのも、それなら頷ける。

「でも、逃がすか」

 どう考えても、忍者は隠れ里へ潜入しようとしているのだろう。 ここまで入ってしまえば、後はそれほど複雑な道じゃない。

 とにかく、スズウラマルを全速で動かす。

「ああ、もう」

 潜入者忍者はあまりにも早すぎる。そして隠れ里までは、基本的にほとんどロセンシャ形態を使わなければならないのだが、その状態でのスズウラマルの最高速度は、忍者に比べて遅すぎる。

「まったく」

 蓮介は、ロセンシャ形態となり動きだすスズウラマルから自分も降りて、見た目はただの大きめの靴だが、高い飛翔や高速な走りを可能にするカラクリ、"フージン"を、足をでたらめに振るような仕草で起動した。


「なんて奴」

 追いかけながら呟く蓮介。

 全速の馬すら追い抜けるフージンでの走りでも、おそらく先を行く忍者より少し速いくらいでしかなかった。ほんの少しずつ、確かに近づいてはいるが、最初に距離を取られすぎていた。

 また、蓮介は2つの武器を持っている。手投げ式の球体だが、あらかじめ定めた場所にかなり正確に飛んでいき、何かに当たると破裂して、強烈な眠気を誘う煙を発生させる"バク"。それに、拳銃によく似ているが、鉛弾とかでなく、圧縮した大気を放ち、対象に衝撃を与える"クーホウ"。しかしどちらの武器も、互いの速度的に狙い撃ちなど出来る状態でもなかった。


ーー


「疲れないのか?」 

 何の打開策も見つけられないまま、数十分間の追跡劇。

 もう絶対に間に合わないだろう。

 そして、見事に彼を隠れ里にまで到達させてしまった時……

「侵入者がいます」

後から来た蓮介にできたことは、とにかくそう叫ぶことくらいだった。


 それからとにかく、まるで森を飛び交う猿のように、複雑に入り組む隠れ里を縦横無尽に動く彼を、蓮介は同じように追いかけようとして、しかしすぐに失敗してしまう。

「わ」

 不規則に動く足場の一つにぶつかり、あっさり落ちていく。

 しかも運悪く、フージンを停止してしまったようで、再びそれを起動させようとするが、しかし空中で、かなり焦ってもいるために難しい。

「うあああ」

 下は水だが、高さ的にはまずいだろう。

 このまま落ちてしまったとするなら、おそらく痛いではすまない。一番下まで落ちる前に、どこかにまたぶつかる可能性もあるが、それもそれでまずい。

「あっ」

 しかしどこかにぶつかることも、一番下に落ちる事もなく、下の方の足場で、七尺(2.1メートル)くらいの、頭のないカラクリ人形に足を掴まれて、逆さのまま制止した蓮介。

「大丈夫? 蓮介」

 逆さのまま掴まれた蓮介に、近寄ってきた女性。

由梨ゆりさん」

 カラクリ人形に、そのまま子供のように抱えられ、優しく足場に立たされた蓮介。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 助けてくれたカラクリ師、細川ほそかわ由梨は、雪菜の友人の弟子。蓮介より五歳ほど上で、加奈とも顔見知り。

「あなたが帰ってきたって話聞いてね。何かあったのかなと思って。まあ実際に、とても危ない目にあってたわけだけどさ」

「あいつ、侵入者は?」

 恥ずかしさをごまかすように、蓮介はとにかくそっちにまた気を向ける。

「あれね」

 侵入者に気づいた住人たちのいくらかが放つ、バクやクーホウをことごとくかわしながら、あちこち飛び交っている亜花を指差す由梨。

「ねえ蓮介、あれは何者なの? あの動きはどうやってるの? 外の何か?」

「あれは間違いなく忍者です。それと、あれはただ身体能力が凄いだけです、仕掛けなんかありはしません」

「ニンジャ?」

「まあ知らないですよね」


 ただでさえ、外の事に興味のないカラクリ隠れ里の多くの住人たち。忍者の噂さえ、知る者などほとんどいない事は当然。


「でもそれなら大丈夫ね、あれがいくら凄い身体能力でも、身一つの芸なら問題ないわ」

 それはそうだった。確かに由梨の言う通り。どれだけ忍者が凄いと言っても、所詮は凄い人間にすぎない。その内疲れてもくるだろうし、失敗もするだろう。このカラクリ隠れ里でいつまでも逃げ続けられるものではない。

「そうだとは思うけど」

 しかし蓮介は疑問を感じていた。


 敵は明らかにギタイセン、というより"祖カラクリ"の情報を得ていた。何よりこの隠れ里の存在を知って、侵入してきたのだ。そして忍と呼ばれる者たちは、決して愚かではない。彼らは可能性のない仕事などしないはず。

 忍者、彼はこのカラクリ隠れ里に侵入してきた。何か、あるいは誰かのために……

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